忙しさというクスリ

初めて社会に参加して働き始めたものの、とにかく本当に忙しい。
朝起きてから夕飯の時間になるまでほとんど何かしらの仕事に追われているため、考える時間が一切なく、1日や1週間が一瞬で過ぎ去っていく感覚になる。
大人がよくいう、「仕事を始めてからは人生一瞬だよ」の意味を身をもって実感できた気がした。

朝の冷たい空気を吸いながらゆっくりと散歩をしていると、最近の自分がいかに愚かだったかを思いしる。
張り切りすぎて「何か自分にできることはないか」と仕事を増やしまくり、実際いくつかは形になったが、結果に繋がったとは言えない状態だ。
リソースの配分方法、目的の設定の仕方、自分のマインドコントロール、タスク管理など課題を上げれば枚挙にいとまがないが、必死で働いているとそういった課題にすらも気がつけなくなってしまっていたのだ。
改めて、自分の無能さを痛感させられる。


一方で、働くこと自体はキツかったかと言われると、全くそんなことはない。それどころかむしろ、日に日に体調が良くなっていった。もしかしたら自分には激務耐性が人より備わっているのかもしれない。

それはメンタルに関しても同様で、仕事に追われている充実感や、終わった後の達成感はかなりのものであった。
「忙しい忙しい」と愚痴をこぼす人たちの目が心なしか笑っているように見えていたのは、気のせいではなかったのかもしれない。

ただ同時に、これは中毒性のある薬物のようなものだとも思った。
他のことを何も考えられない状態は、ある意味で精神に安定をもたらすものの、その状態から抜け出すということを考える余地すらをも奪うため、止めようにもやめられないのである。
1ヶ月そこらしか働いていない自分がそうなのだから、10年とか働いている人はもう言わずもがなであろう。


高校時代、とても厳しい部活に所属していた時に、尊敬する先輩が「オフは自分で作るもの」だといっていた。
その先輩は実際に、大事な試合が少ない時期にあえて「怪我をした」と偽って練習を休み、病院に行くフリをして部から離れていた。
後になって聞くと、当時こっそり元プロの選手が運営している競技の分析施設に自費で通っており、そこで練習メニューやフォームの調整をしていたらしい。
ちなみに自分は、そんなことは頭にもよぎらず、ただコーチの指示に従って、模範生であり続けていた。
試合で活躍したのは圧倒的にその先輩であることは、もはや言うまでもないだろう。


人間は考える葦である。
失敗を分析し、要因を突き止め、抽象化して自分の中にストックしてけば、昨日の自分よりかは成長できるのではないか。

昨日の自分よりも一つ、何か変わることができたと胸を張って言えるよう、日々内省の機会を作っていきたい。



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