【コラム】気にしすぎ?アフターコロナと平成の不適切にもほどがある?
こんばんは!
今日も理科から脱線して、保護者さんの悩み相談をいただいた話です。
自分からすれば、コロナではないし、インフルでもないし、大会参加は問題ないと簡単に判断してしまうのですが、
今の時代にあった悩みだと思い、真剣に考えてみました。
最近ハマっているドラマがあります😊
「不適切にもほどがある」
どんなドラマかと言いますと、
結構人気みたいですね。
私はただのミーハーではなく、宮藤官九郎さんのドラマが好きで、木更津キャッツアイなどセリフ覚えるくらい見返してます。
お笑い要素が強いのですが、その中に世の中の問題提起を掘り込んでくるような作品が多く、その世界観がものすごく好きです。
このお話も、
という内容のように、昭和のコンプライアンスをモチーフにした話ですが、ただ昭和を否定する話ではないのです。
生きづらくなった令和の世の中にも一石投じるような話であり、皆さんに好評であるのだと思います。
人の悩みの100%の原因が人である
その名言を聞いた時、どれだけ忍耐力が必要で、受け流す力が必要な世の中だなと、生きづらい世の中だなと感じたのです。
例えば体罰。絶対にダメ!
昔は先生には当たり前のようになっていたのかもしれませんが、もちろん指導上いけません。
いけないと分かっていながら、止められなかったことが、部活動で生徒が自ら命を絶つという衝撃的な事件につながり、
その事件が起こって私たち教師のコンプライアンス違反が強くクローズアップされるようになりました。
しかし、同時に過度に言われ始めたのは、
先生は怒ってはいけない
という変な価値観。
確かに勝ち負けに怒ることや、好き嫌いで怒ることは絶対にいけない。
でも、生徒が命の危険があるよう行動をしたときは?誰かをいじめたときは?
先生が本気で向き合う感情ツールに怒るはあってはダメなんですか?
こんな話を聞きました。
時代が変わる時、必ず大きな出来事が起こり、その教訓によってその時代の価値観が決まる。
インスタや旧Twitter、そこでの心無い書き込みで傷つき、亡くなられた芸能人の方もいます。
辛いことが起こり、そこで初めて「ネットモラル」が話題になり、
この言葉はダメと言ったルールや価値観が決定されます。
ジャニーズの性加害問題も、時代を大きく動かした話かもしれません。
ジェンダーの理解もここ最近です。
事件が教訓になり価値観を決定したのだと思います。
ですが、そこには「行き過ぎた考え方」が生まれているのも事実であり、人の価値観がどんどん狭くなっている気がするのです。
私が体験した、こんなエピソードがあります。
確かに、今の時代には、男女関係なくは不適切な発言かもしれません。しかし、正直何か行き過ぎているような気持ちも拭えませんでした。
子どもの合唱に感動した素晴らしい話が、返って誰かを傷つけてしまう話だとしたら、、、そう思うと胸が苦しくなりました。
さて、1番最初のアフターコロナの話に戻ります。
もちろん、その子が体調不良であれば、否応なく大会に出ることはダメかなと思います。
では、心配する保護者さんの気持ちも分かりますし、どのように解決すればいいのでしょうか。
私が考えたことは、
全員の意見を一致させることはできませんが、全員の気持ちを理解しようとすることは可能なのかもしれないということです。
「人情:人に備わる自然な心の動き」
いつの時代もこの言葉を大切にすれば、
他者に感染させてはいけないという人を思う気持ちも
自分の子供を大会に出してあげたいという子を思う気持ちも、
どちらも人情であり、自然な心。
どちらが正解かはありません。
ただ絶対に正解であると確定していることは、誰かを想う気持ちが共通しているということ😊
合唱の話も、子供を思って感動した自分も、ジェンダーに苦しむ方を考えたある方の思いも、誰かを想う自然な心。
実は想う対象が異なるだけなんですね。
でもやっぱり難しい世の中ですので、お互いの想いを理解100%できることはないですが💦
不適切にもほどがある?
いや、誰かを想う人情は昭和も令和も変わりません。
特に先生は子供を愛する気持ちは変わらずいきましょ!
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