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全般性不安障害と診断された日

 初めまして、フィッシュと申します。早速ですが私は全般性不安障害という精神疾患を患っています。では、全般性不安障害とは何か? というのを簡単に説明致しますと、多くの出来事や活動に関する不安、心配(予期憂慮)といった感情が日常生活において漠然ばくぜんと続く精神科疾患を指します。全般性不安障害では、抑制することが困難な不安や心配が持続することから、日常生活を円滑に送ることができなくなります(メディカルノートより引用)。 

 つまるところ、自分に関係あるもの無いもの全ての事柄に不安を抱えてしまう疾患だよ~という感じに捉えていただければ平気です。私は特に自分に関係の無い事象まで不安に感じてしまう傾向が強く、例えばウクライナ侵攻が始まった時には日本も攻められるのではないかと気が気ではありませんでした。
 ある日突然北朝鮮のミサイルが落ちてくるのではないか、交通事故に遭うのではないか、失明するのではないか。そんな感じで不安の絶えない人生を送っていました。
 はい、過去形です。何故かと言うと現在は薬のお陰で不安を感じることが少なくなってきたからです。よかったね。おめでとう。
 ではそろそろ本題に移ります。

いつ、どのようにして全般性不安障害と診断されたのか?

 遡ること半年以上前、2022年7月30日のことです。原因は分からないけれども全身が怠いことに気付きました。とはいえ、これはいつものことだったので特に気にしていませんでした。私はこの当時デイリーヤマザキでバイトをしており、早朝勤務が嫌すぎて毎日憂鬱な日々を送っていました。
 その日も2日後に迫った勤務が嫌すぎて怠さに満ち溢れていたのでしょう。断言出来ないのは、半年も前のことなので記憶が朧気だからです。備忘録も書いたのですが既に消してしまったので当時の記憶を何とかして思い出している状態なので、もしかすると実情とは違う可能性がありますがどうかお許しください。
 話を戻しまして、その日も憂鬱な気持ちを抱えながらも連休を満喫していました。そして迎えた2日後の勤務、8月1日。ここで私の運命は大きく変わることになります。というのも、私はこの日に退職の旨をバイト先の人に伝えようとしていたのです。私は高校卒業してから就職せずバイトで凌いできた人間ですが、出勤の度に尋常ではない疲労感が身体を襲うことに耐えきれず退職を決意しました。

 ですが、私はどうしても退職の旨を伝えたりすることが苦手でして。対面で頼み事を断ることも苦手です(LINEなら平気です)。なのでこの時も本当に自分は全員に伝えられるのか、と不安になっていました。
 そして決戦(?)の8月1日、私はまず同じ時間に勤務しているおばあちゃんアルバイトさんor私の3つ上くらいの先輩アルバイトさんor私の後に入った歳上の後輩さんに退職する旨を伝えました(記憶朧気だった為に誰とシフトが一緒だったのか覚えていない)。そしてその時、驚かれました。その後は労いの言葉を頂きました。

 私は泣きました。

 なんで? と思われるかも知れませんが、泣いた理由は私にも分かりません。ただ何故かその反応が胸にきて泣いてしまったのだと思います。ただ私は人前で泣くことは恥ずかしいことだと捉えている人間なので、決して悟られないように泣きました。同じように他の出勤しているメンバーにも伝え、同じような言葉を貰い、そしてまた泣き出すという繰り返しでした。
 私は早朝の6時~9時までのシフトだったので、9時からのメンバーにも8月15日までで退職する旨を伝えました。やっぱり温かい、優しい言葉を頂けました。そして遂に限界が来ました。
 退勤の時間となりバックヤードに戻って椅子に座った時、瞳から涙がボロボロと溢れ出してきたのです。(あ、マズイな)と思った時にはもう遅く、人前で涙を流すという自分の中で1番恥ずかしいと思っている行為をしてしまいました。 

 ですが、当時のバイトメンバーは優しい人しか居なかったので、皆さん私を気遣ってお菓子をくれたりティッシュを渡してくれたりしました。まあその優しさが嬉しくて更に泣いてしまったのですが。その日は何とか泣き止んで帰宅しましたが、8月15日までの2週間、ちゃんと出勤で出来るのかなぁ。まあこれまでも何とかなってきたんだし、何とかなるでしょ!

「なりません」 

 この言葉はバイト先のベテランさんの一言です。オープン時から今現在までずっと勤めていて、テキパキ仕事をこなせる憧れだった人。実は私の母もこのデイリーヤマザキにオープニングスタッフとして働いていて、このベテランパートさんとは仲が良い。地味に私が小学6年生だった頃に出会ったので付き合いはかなり長い(現在22歳)。 
 で、どんな流れでこの台詞が出たかと言うと私がバイト先から帰宅したボロボロ泣いてしまったことを母に伝えたらそのベテランパートさん、仮にKさんと呼ぶことにしよう。Kさんと連絡を取り合ったらしく、「○○(私)は15日までやるって言ってたので心配しないでください」「いや、アレは無理だね。今日限りで辞めさせなきゃ」という感じになったらしく……その後は話がスムーズに進んでいき、私は8月1日付で退職することになりました。

 ここまでが私が退職することになった流れ。大事なのはこれから(脱線しすぎ)。退職の9日後、8月10日に精神科に行くことになった。予約をしたのは7月頃だったのだが、ご時世もあって精神科の新規患者が多くて予約が3週間待ちくらいだった記憶がある。 
 そこで私はこれまで抱えていたことを全て話した。人と話す時に緊張しすぎてしまうこと、仕事以外で電話が出来ないこと、自分と関係の無いことまで不安に感じてしまうこと等々。そして私の悩みを一通り聞いた先生から出た言葉は、「まだハッキリ断言出来る訳ではないんですが、症状としては全般性不安障害ですね」だった。 
 全般性不安障害、とは……? と思ったけれど、全般性って言ってるから多分全部の物事が不安に感じる精神疾患なんだろうなぁ、とぼんやり考えていた。自分ではてっきり社交不安障害だと思っていたので、この診断には驚いた気持ちもあった。
 何はともあれ、私はこの診断に心を救われた。自分が限界だったのだということと、そんな状態で働いていたのだということが知れたから。途端に心がスッキリした気持ちになったし、処方された薬を飲んだら次第に何でも不安に感じてしまうことも無くなった。今不安なことといえば、初めての人と会う時にしっかり話せるかなということくらい。あと就活。
 書くことが無くなったのでこの辺りで終わりにしますが、この時のことを思い返す度に思うのは、もっと早く予約が取れていれば心が壊れる前にバイト辞められたのにな~!!!でした。
 限界を迎える前に病院に行こうね! 以上!

追記

 症状を医師に伝えたと書きましたが、いつからその症状が出ていたの?と思い返してみたのですが、幼少期からです。昔から人付き合いが苦手で、初対面の人がいる場所では必要以上に緊張してしまう癖がありました。
 また、三者面談のような場も苦手で自分のことを何も話せないまま終わることも珍しくありません。親が居ると、親に私の発言が変に思われないか不安になってしまうんですよね。
 中学時代はスクールカウンセリングにも通っていたので、その頃から精神科に通っていたらまた何か違かったのかなと思います。少なくとも全日制の高校を半年で辞めるなんて事態にはなっていなかったと思います、はい。

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