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50代のおばさんがうつ病になりました。②

 #7119では、薬の処方についての指導はしないという。強烈な頭痛に冷静さを持てていなかっただろう。痛みの恐怖で#7119に電話をかけていた。
 なんだかんだで、時間はかなり経っていて、家族もひとりふたりと帰ってきていたが、家族に頭痛を訴えたところで解決してくれるとは思えず寝室からゴソゴソ、ソワソワ#7119かけてみた。

 対応してくれた女性のオペレーターに今朝からの状況をを説明する。とてもじゃないが眠って痛みを忘れさせるような状況ではないこと。痛みのせいで力んでいるせいか、体が熱いこと。痛みは頭部左側だけだということ。を伝える。
そして、医師の診察が必要ならば、目眩はもうないので行こうと思えばすぐに向かうことができることも伝える。
 オペレーターは言う。
「私は、看護師の資格を持つ者です。お話しを伺っていると早急に医師の診察が必要と思います。今から救急車を要請いたします」
「えっ⁈救急車は大丈夫です。歩けます。今から診てもらえる病院を紹介して頂けるだけで充分です」
と私は慌てて断った。救急車は死にそうな方のみが乗るものではないのか。
「いえ。症状からして歩くなど危険です。要請のほうにこのお電話を回します。もう少しだけお待ちください」と言われて待っていると、119に回されたようだ。
 回線が切り替わり、今度は男性オペレーターである。ある程度の情報は女性オペレーターから共有されたと思うが、もう一度同じことを聞かれた。同じことを言わされたついでに、救急車は来なくて結構。タクシーなどで向かうので病院だけ紹介して頂けないだろうか、と頼んでみたが願いは叶わなかった。「向かわせますのでお待ちくださいね」仕方なく電話を切る。
 いつのまにか全員揃った家族に、救急車が今からきて私がそれに乗って病院に行く旨を伝える。
 皆の顔から「」がうかがえる。
いちから説明する暇もなくサイレン音が近づいてくる!
 あっ!もう行かなきゃ!
ビール缶をひとくち飲み、くつろぐ夫も慌てて着替える。一緒についてくる気なんだなぁ、と夫を横目で見て玄関に向かうが、オペレーターに歩けると言ったものの、壁に寄りかからないと家の中でさえチャキチャキと歩けなかった。
 夫の用意が整ったのと同時に救急隊が呼鈴を押した。

「はーい、お電話した本人です」
と言いながらそーっとドアを開けると、イケメンの救急隊が力強くドア大きく開き、外には4人の救急隊が立っていた。

 戦隊シリーズの若者達のように頼もしくも感じたが、その反面、なんだか気恥ずかしい。こちらは、すっぴん、着古した部屋着。

 私が住むこぢんまりとしたマンションはエレベーターも狭い。担架が入らない。そんな場合の病人の運び出しを想像もしていなかった。

 隊員のひとりが、ガサガサガサッとシートの様なものを広げた。キャンバス地にビニール加工されたような、一見、大きめのエコバッグ。色も青か黄色。IKEAのショッピングバッグが連想されるよなものを私の前で広げたのだ。
「ここに座ってください」
私は固くお断りした。
「救急車まで歩けますから、これは大丈夫です!」
「そうはいきません。座ってください」

 そんなやり取りを声の響くマンションの廊下でしていても恥ずかしさが増すばかりなので、隊員の指示に従い、ショッピングバッグ(ではない)に大人しく座った。  
 私の体重で4人救急隊員の腕の筋肉がギュッと張ったのを感じた。私自身が自分を持ちあげている訳ではないのに、重たい体重が私自身に直に伝わってくるのだ。顔から火が出そうに恥ずかしい。恥ずかしさで目を閉じてうつむいた。エレベーターが窮屈に感じるし、1階までの到着がえらく長く感じた。狭いエレベーターではこのように搬送されることを私は知った。
 1階に到着すると担架はすでに用意されていて、手際良くあっという間に寝かされ、救急車の中に滑るように収納された。
 救急車内は非常に沢山の蛍光灯が煌々と照らされていて、今度は恥ずかしさではなく、眩しさに目が開けられない。
 救急車の中で血圧を測ったり、意識レベルを確認するためか、色々と質問されたが、生年月日と名前の質問以外は覚えていない。
 夫も乗り込んできて、輸送先も決まったので救急車は出発した。
 頭が割れるように痛い私には地獄のような道中であった。救急車のスプリングが効いているのか道が悪いのか、ベルトで固定されているが体が跳ねる。掴まれるものにギュッと握って安全を自ら確保する。
 比較的近い脳外科病院に行くらしいのだが、病院名を聞いてもあまり土地勘もないためどれぐらいで到着するのか見当もつかない。

 そのうち救急車のスピードも下がり、到着の準備に入ったのがわかりホッとする。

 ハッチが開き、まず夫が降りて、私の担架も滑り降りる。そのまま慣れた様子で素早く明るく照らされた部屋へと運ばれ、今度は病院の診察台に載せられると、それはそのままCTスキャン(もしくはMRI)の寝台であった。

 寝台が動いているのか、ドーナツ型の機材が動いているのかわからないが、あっという間に検査は終わり、看護師さんに手伝ってもらい、寝台から車椅子に座った。

 病院に着いてから、ここまでの手際が見事で感動さえした。

 さて、検査結果の画像もすぐ確認できるようで、PC画面に私の頭の中の画像が沢山投影されている。
 「大丈夫です。何も問題はありません。お帰りになって大丈夫ですよ」と画像を見ながら医師は言った。

 気がついた時には、戦隊、もとい救急隊員はもういなかった。きちんとお礼もできず申し訳ない気持ちになった。

 大騒ぎしたけど、何でもなかったです。重たいおばさんを大事に大事に運んでくださりすみません。

 看護師さんが鎮痛剤を持って現れた。
「まだ痛いですか?今飲みますか?」
私が喉から手が出るほど欲していた鎮痛剤。
「はい。飲みたいです」と受け取ると、家にもあるロキソニン。

 私は結局大騒ぎしてロキソニンを飲みにくるために救急車で搬送されたのだ。このロキソニンなら我が家の救急箱にも常備されている。なんたる情け無いことだ。

 ロキソニンの効果は驚くほど高く頭の痛みもスゥーっと弱まり、強張っていた体の痛みも溶けていく気がした。
 落ち着いたらタクシーで帰ろうと夫が言うので、こくっとうなずく。
 タクシーを呼んでくれた病院スタッフさんが、本日は仮の診察ゆえ、昼間に正式な診察を受けることと、この度の診察料をお支払いもその際にお願いいたします、とのこと。

 朝、目眩で辛そうな妻の姿しか知らずにいた夫。
 夫は仕事から戻って早々に救急車に乗せられ妻に同行したものの、救急隊員と私のやり取りを聞きかじり、何となくことの次第が見えてきてはいたが、ところどころ空白が埋まらない部分を、タクシーの中で質問責めにされた。
 夫はやっと点と点が線で繋がり、合点がいったようで安心したようだ。
 すっかりロキソニンの効果により頭が軽くなり先程までの自分がウソのように、夫の質問に面倒臭がらず答えられた。
 救急車の乗り心地と雲泥の差のタクシー。車窓から見慣れた景色が目に入り、私も安心した。
 私の帰宅を、心配しながら待っているであろう(多分)子どもたち。
 イケメン好きの次女に、イケメンの救急隊員の話しをしなきゃフフフ。病に蝕まれつつも、くだらないことを考えられる余裕はあるのだった。


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