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弟のほほ


 「ネェ、タスケテ、マーチャン、ガッコー イカナイッテ」

 職場に義母のアメリアから電話が入った。私は、またか…と呆れながら電話を切った。

 マーチャンとは、私の15歳離れた弟だ。母親はもちろん違う。
 父は、私の母が家を出て行ってから、以前から付き合いがあったらしき女性と再婚した。
 その女性は、弟を産んでまもなく、持病を拗らせ亡くなった。
 葬儀では、父に抱かれたまだ小さな1歳足らずの弟が、参列者の涙を誘った。
 その数年後、私は父から独立して、いや、父と弟が、いつの間にか家に帰らなくなり、自然と独立するような形となった。父が私から独立していったと言うべきか。
 父の居場所に大体の見当はついていたから別に心配もしない。自営業者の父は事務所として借りていたマンションがある。そこに居るであろうことは想像はついていた。
 そして、突然姿を消したことに、もう一つ、ある想像が頭をよぎった。「まさか、またオンナ?」
まさかね、もういい加減あの歳でオンナは卒業でしょう。でもなぁ、父のことだしなぁ、なんて頭の中でひとり討論会を繰り広げながら、生存確認ではないが、弟のことも気になったので事務所マンションへ向かった。

 15年間ひとりっ子として生きてきた私の人生に、突然現れた継母と父との間に弟が産まれ姉弟(きょうだい)ができた。
 中学生の私は、複雑な気持ちを抱きながら徐々に大きくなる継母のお腹に目をやる。実の母とは違う匂いのこの継母さえ愛せないのに、この継母の子なんて愛せるのか。思春期の複雑で未熟な思考力の中に、そんな思いも掠めていた。
 そして難産のすえ、帝王切開に切り替わり弟が産まれた。 
 産まれて10日程の弟を抱かせてもらった時、私の不安は杞憂に終わった。あの継母の匂いはしない。甘酸っぱい匂いがほやほやと毛の生えた頭皮からする。純粋に可愛いと思えたのである。

 継母が亡くなって、父ひとりで弟を育児できるはずもなく、もちろん私も保育園の送迎や、病気になれば通院に同行したりと、育児に当然のように加わっていた。「まあ、若いお母さんね」と事情の知らない人から言われることもしばしば。面倒だから訂正もしなかったが、女子高生の私は心の中では傷ついていたことを思い出す。女子高生がチャイルドシート付きのママチャリに乗るのも勇気がいるものだ。
 学校も弟の病気の時は休んだりもしたし、父が、ぶっ倒れて入院したりすれば、伯母の力も借りながら弟の面倒をみていた。
 ここ数年『ヤングケアラー』という存在について話題となっている。『ヤングケアラー』と初めて聞いて、どんな背景や状況のことを現すワードなのか知った時「そっかぁ、そりゃ大変だよな」と、どこか他人ごとだったのだが、この文章を書いている今気づく。私は、しっかりヤングケアラーだったわけだ。
 父と、可愛いけどやんちゃな弟との生活は大変だった。イライラとさせられ、父とも何度も衝突した。それでも心を壊さず、明るく楽しくしていられたのは、たまに内緒で新宿や渋谷のディスコへ繰り出しオールナイトで遊んだり、新宿渋谷まで行かなくても溜まり場となる友人宅で朝までおしゃべりで発散してたからかもしれない。モウモウとタバコの煙で充満している部屋は、灰皿には吸い殻の山、スナック菓子の食べ散らかしでカオス状態だったけれども、私にとっては日常を忘れられる安全地帯だったのだろう。
 これも今気がついたが、現在の『トー横キッズ』と同じか?家に居場所のない未成年がトー横に集まる。私も何度か新宿や渋谷で補導されたっけ。
 当時、不良は時代遅れで恥ずかしいモノだと思っていたから、制服のスカートを長くしたり、不良グループに所属はしたりはしなかった。だから私は不良少女ではないと自負していた。しかし、私がしてきたこは歴とした不良少女ではないか。

 夜、事務所マンションに到着すると、私は呼鈴も押さずに開錠し、少し乱暴に玄関ドアを開けた。突然の物音に、暗闇の部屋から「ヒャ!」という女性の小さな叫び声が聞こえた。
 私は、父から紹介もされていない新たなオンナの存在が的中し、ましてや生活まで始まっていることに気分を害した。
 そして無遠慮に暗く電灯の消された部屋にズカズカと向かい、襖を勢いよく開けると、小さな部屋いっぱいに布団を敷き詰めた上に、父、弟、女性が川の字で横になり、レンタルビデオで映画鑑賞をしていた。
 父は「おう。なんだ、おまえか」と横になりながら平然と言う。弟は、スウスウと眠っていた。女性は、オズオズとどうしたら良いのかわからない様子で立ち上がり「ドウモ、ハジメマシテ…」と私に向かって挨拶しようとした。
 小柄で見た目も幼い東南アジア系の女性だ。たぶん、私と大して歳も変わらないだろう。
 恥知らずな父親の行動に私は憤慨し、彼女の挨拶を無視してマンションを飛び出した。

 父は、3度目の結婚をしようとしていた。なぜ、こんなクズなオトコにオンナはコロっと騙されるのか。
詐欺師のように口が上手いに違いない。オンナを口説いているところを見た訳ではないが、そう想像できる。
 羽振の良い時代もあった。しかし不摂生が祟り大病をしたりして、仕事もろくにできる状態ではないし、借金だらけの父だった。また、酒癖も悪いときている。最悪のクズだ。

 密かな生活が私にバレてしまい、もう隠しておけないと思ったのか、父は家族で食事会をすると言ってきた。私は、父のことはどうでも良いが、あの外国の女性に冷たい態度をとってしまったことを気にしていた。彼女は何も悪くないのに、大人気ない態度をとってしまったことに反省して食事会に参加することを承諾した。

 焼肉屋で行われた食事会で、改めて父がフィリピン人のアメリアを私に紹介した。私は先の悪態を詫びた。彼女は気にしてる様子を見せず「アタリマエヨー パパ アナタニ  ワタシノコト ゼンゼンイッテナイヨー、アナタ オコルノアタリマエヨー」アメリアは明るく感じの良い女の子だった。歳はかろうじて私より少し上。
 私は彼女に、父は借金も沢山あるし、歳だって父親ぐらい離れている、大病をしているから、いつまたぶっ倒れて救急車騒ぎになるかわからない、そんな身体なのに大酒飲みで酒癖も悪い、そんなんでも良いのか、と問うた。
 彼女はコクリと頷き「ダッテ パパヲ アイシテル。トシ カンケイナイ」とはっきりと言われてしまった。これ以上私は何も言えない。
 弟もアメリアを「ママ、ママ」と呼んで甘えていた。すでに母子の関係を築きつつあるのだ。可愛がってくれているのなら、もう本当に何も言うことない。
 私は、父に「しっかりやってください」と少し突き放した様な言い方ではあるが、新しい家族を認めるという意味で言うと「そんなことはわかっている」と、可愛げのない返事が返ってくるのであった。

 それから数年後、弟のマーちゃんは小学校へ上がった。それと並行するように、父の方は体調不良を理由にさらに仕事ができずにいた。アメリアが働くフィリピンパブでの収入が唯一の日常の糧となっていた。

 朝から部屋を暗くして横になっている父。アメリアだって朝帰りだから父と一緒に眠っていたいだろう。しかし、弟に朝ごはんを食べさせ学校に行かせなければいけない。彼女は、とにかく何か朝ごはんだけは食べさせ弟を送り出す。そして、夕方まで眠る。カーテンを閉めきった暗がりの部屋へ弟は学校から帰ってくるのだ。アメリアはシャワーを浴びて出勤準備をする。父はやっと布団から出て酒の肴と夕食の準備。そして、唯一電灯を灯すキッチンのダイニングテーブルで、3人が夕食を食べて、アメリアは出勤。父と弟は暗がりの部屋に戻り、羊羹とテレビをつまみに万年床の上で焼酎の酒盛りが始まる。弟はその横で眠るというサイクル。
 父も体調の悪い身体のことで精一杯だったと思う。気持ちの弱さゆえ酒、タバコをやめることができない。大酒を飲み、現状を忘れたいのか。アメリアも稼ぐことで精一杯だったはず。自国の家族に仕送りをするという使命も彼女は担っている。子どもに細やかな気配りができるはずもないから、そんな生活は小さな子どもに皺寄せがいく。

 そんな時、弟が学校で問題児扱いを受けていると聞いた。
 アメリアが言うには学校の先生から電話があったという。普段は借金取りの電話ばかりだから電話に出ないが、たまたまアメリアが留守番電話を聴いてみたら学校の先生で、一度学校で面談したいと言っていたそうだ。父に相談しても他人ごとのような反応なのだと言う。アメリアは日本語が苦手だし、私に面談に行ってくれないかと言う。…私が行く他ない。
 私は、父たちの生活がまともと思えなかった。乱れた生活と感じて嫌悪感さえあった。そんな乱れた生活の中で弟を育てていることが恥ずかしく思った。こんな生活だから、弟の行動も乱れたのではないか。聞けば、学校から配られたプリントもろくに見ていない。日本語が読めないアメリア。常に他人ごとの父。学校から指定されて持っていくものを、持っていってないこともしばしばだと言う。
 私は恥ずかしかった。こんな生活をしているなんて他人には言えない。「こんな生活の中で弟は育てていませんよ。他のお子さんと同じようにまともな生活をしています」と取り繕いたかった。
 私はまず弟を叱りつけた。「あんた、学校で何やってんの?おねえちゃん学校に呼び出しされてんだよ!
」弟は口を尖らせて何も言わなかった。
 とにかくランドセルを開けて、プリント物があれば私に渡すようにアメリアに指示した。
 それからというものアメリアは、弟に何かあれば、しょっ中私に連絡を寄越すようになった。家でも生意気な態度をとっていると言う。
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 「ネエ、マーチャンガ…」
 「ネエ、タスケテ…」

 私も、いい加減にイライラしてきた。何でもかんでも私を頼るなよ!
アメリア、あんた、全部わかって父と一緒になったんだよね。

 「ネェ、タスケテ、マーチャン、ガッコー イカナイッテ」

 私は、職場のホワイトボードに「外回り」と適当なことを書き、事務所マンションへ向かった。
 弟は布団に包まって寝た振りをしている。私は弟の布団を剥ぎ取り、「何時だと思ってるの⁈起きろ!学校行くよ!」と怒鳴ると、不貞腐れた顔で身体を起きあげ床に座る。「ほら!支度しな!」と言っても小さなオモチャで遊んでいて動こうとしない。
 私が大声で怒鳴っているのに父は目も覚さない。狸寝入りを決め込んでいる。それにも腹が立つ。さらに支度しない弟にもカッとして弟の頬を平手で叩いた。
 アメリアは「キャッ!」と悲鳴をあげた。私の乱暴な行動に。

 アメリア!良く見ときな!あんたが嫁にきたとこは、こんな場所なんだよ。
 弟はやっと支度に取り掛かった。車に弟を押し込み学校に向かった。
運転しながら、助手席の弟をチラッと見る。私は左利きだ。弟の右頬は食べ頃の桃のように赤かった。私は乱暴なことをしたと恥じ、胸が苦しくなった。手を伸ばし頬を撫でたかったが、できなかった。
 授業が始まっている教室まで送り、担任の先生に姉だと挨拶し、面談には私が来る旨を伝えた。

 面談当日。
 先生は「なかなか連絡が取れず困っていました〜。本人に聞いても“わからない”と言われてしまって」と明るい調子で語っていた。
弟は「わからない」と言っていたのか。そう言うしかないだろう。
 私は、現状を取り繕い、父は体調が悪く入退院を繰り返している、義母は外国人で日本語が不慣れなため、電話には出られないし、プリントも読めない。なのでこれからは、何かあれば私にお願いいたします、と伝えた。
 先生は、弟が学校で乱暴な行動が目立つと言う。級友にも暴力を振るったこともある。何かにいつもイライラしている。とのことだった。
 先日の私が弟にした暴力を思い出し胸がズキっとした。
 「弟さんは、関心をもって気を配ってもらってる環境でしょうか?」と先生に尋ねられ、私は一瞬言葉に詰まった。誤魔化せない、この先生には下手な取り繕いはきっと通じない、本当のことを話そう、と思った。
 私は「お恥ずかしながら…」と先程話したことに、言っていなかった負の部分を付け加えて話した。大酒飲みで量が過ぎると酒乱のようになる父。仕事もろくにできないので、借金が嵩み、借金取りからの電話ばかりだから電話に普段から出ない。義母は生活費を稼ぐために夜の仕事に出ている。弟とまともに向き合ってるかと言えば向き合えていないと思う。と正直に伝えた。
 そして、つい先日の学校に送った日、あの日は、もちろん弟にも腹が立ったし、周りにいる大人たちが何もせず見てるだけだったことにも腹が立ち、弟を叩いてしまった、と告白した。先生に話したことで罰が軽くなるような気がして胸が少し楽になった。
 先生にとっては、色々な家庭の子たちと接してきた経験から、我が家のケースも珍しくはないのかもしれない。ウン、ウン、と私の話しを聞いてくれた。
 「もし、ペットが飼える環境なら飼ってみるのもお勧めですよ。弟さんにペットの親代わりをさせます。意外と責任感とか愛情が芽生えたりするんですよ」「それから、お姉さんが弟さんに向き合ってあげてください。毎日は無理でも、話しを聞いてあげてください。その話しを否定せずに聞いてあげてください」と先生は助言してくださった。何かあれば、私と連絡をやり取りする約束をして面談は終わった。

 私は、早速、弟を近所の小さな公園に誘った。北向きで寒いせいか、公園には人子一人居ず、二人分のブランコを私と弟で占領できた。
 黙ってブランコを立ち漕ぎをする弟に「ねえ、寂しい時とかないの?」と尋ねると「べつに」と言いながらブランコの漕ぐチカラを上げていく。グゥイーングゥイーンと弟は空に舞い上がる。私の声が聞こえにくいかと思い、大きな声で「あのさぁ、なんでもおねえに話してよ。嫌だったこととか、嬉しかったこととか!」「…」返事が聞こえない。「ねえ!聞いてる⁈」と弟の乗ったブランコのチェーンを捕まえて速度を下げさせ揺れを停止させた。私は、「ねえ!聞いてるの?」ともう一度聞き、弟の腹を「この!」と言いながら、両腕でギュッと抱いた。

 3、4歳頃の弟は、私が鬼の役や悪者役をして逃げる弟を、家の中でも、外でも追いかけて「このヤロ!つかまえた!」と両腕で腹をギュッと抱き横にブランブランと横に振ったりするとキャッキャと喜んだのを思い出した。

 もう小学生の弟は、キャッキャと喜ばない。くすぐったいといった様子で身をくねらせ「わかったよ!」と言いながら私から離れようとするが、私は離さない。力を込めて弟を抱き上げ、私が弟のブランコを乗っ取り腰をかけ、膝の上に座らせた。そして、両足だけでブランコをゆっくり漕ぎながら弟の頭に顔を埋めた。もう、あの産まれたての時の、あの甘酸っぱい匂いはしない。汗とホコリっぽいような匂いに変わってしまったが、まだまだ子どもの匂いだ。
 私は、私が叩いた弟の右頬に触れた。そして撫でた。ブランコで身体が温まっている弟の頬は、今日も赤く食べ頃の桃のようだ。
(あの時はごめん。痛かったね)
許してもらおうとは思わない。ただ謝りたい気持ちで、右頬を5本の指で摘み、軽くニギニギと愛らしい頬を弄んだ。
 「ねえ、ペット飼ってみる?犬とか猫はダメだけど、小鳥とかハムスターとかなら大丈夫じゃない?」
「飼いたい。インコがいいな」
「よし、じゃあ、おねえちゃんが買ってあげる。そのかわり、あんたがインコのパパなんだよ。世話をしないと死んじゃうからね」「うん!世話する」意外と簡単にペットを飼いたがったことに驚いた。やはり弟は寂しかったのかもしれない。
 鳥専門のペットショップへ行き、お店のおじさんに飼いやすいインコを教えてもらいながら、セキセイインコをニ羽選んだ。黄色い身体のパイナップルと鮮やかな緑の身体のピーナッツ。弟が早速名前をつける。ゲージや餌など飼育に必要な一式を買い揃えた。おじさんに飼い方を教えてもらい、ホクホクと私たち姉弟は帰路についた。
 なんの相談もなくインコを二羽も連れて帰ってきたことに、父もアメリアも咎めなかった。「エー?マーチャン ソダテルノー?デキルー?」「できるもん」弟は自信たっぷりに答えた。

 弟は三日坊主にならず、ちゃんと育てていた。もちろん二羽とも可愛いけど、黄色いパイナップルの方が良く懐いているから、どちらかというとパイナップルの方が可愛いと教えてくれた。
 インコの飼育は、他にも良い作用をもたらした。
 昼間、インコを日光浴させなければいけない。暗い部屋に閉じこめておけないから、カーテンを開けて暗がりの生活から脱却だ。
 元来、動物好きの家系である。父もインコの飼育に黙ってはいられなず、インコについて、あれやこれやと講釈を垂れる。挙句には飼育に参加。果物や、料理の時に出た菜葉の虫食い部分をインコにあげたりしている。
 アメリアは、おっかなびっくりでインコに触ることはできないが、ゲージに敷く古新聞の交換時、弟のサポートをしていた。
 インコが来たことでインコが家族を巻き込んで、家族を引っ掻き回し、父、アメリア、弟の関係性が柔らかく温かいものにしてくれたように感じた。
 その後、先生に学校での様子を聞くと、「もちろんヤンチャはヤンチャですよ。でも丸くなった感じはします。インコの話し、本人から教えてもらいましたよ。お姉さん、ご協力ありがとうございます」とのことだった。

 しかし世の中、順調なことばかりではない。インコが脱走してしまった。よりによってパイナップルが脱走してしまったのだ。ピーナッツだったら良かったという訳ではないのだが。
 弟は、泣きながら私に電話を寄越した。「ママが!ママが!パイナップルを逃した!」まるで、アメリアがワザと逃したように言うから、アメリアは慌てて電話口を変わり、「チガウ!アクシデント!ワタシニガシテナイヨ!」とにかく私は弟たちのマンションへ向かった。
 泣き腫らした目をして、ぐずぐずとしながらも興奮は落ち着き、事の真相を話してくれた。
 いつものようにインコたちの世話をしていた弟。水を入れ替えたり餌受けをキレイにするため、手をゲージに入れたり出したりしていると、パイナップルが手に乗ってきた。可愛いからゲージからパイナップルを出して遊びはじめた。その時、アメリアはアメリアで、窓を開けて掃除をしていたのだった。部屋の中をバサバサ飛んでは、弟の頭に肩に止まったりしていたが、そのうち、パイナップルは空いてる窓を目指して飛び出し、去っていってしまったそうだ。すぐに探しに行ったが、全然見当たらないと言う。
 遠くに飛べないようにと、ペットショップのおじさんに翼の羽根を切ってもらったのに、もう伸びてしまったのか。
 「誰も悪くないね。アメリアも、あんたも」弟はコクンと頷いた。
「これからは声を掛け合うんだよ。
窓開けるよー、ゲージ開けるよー、って」
 弟はまたコクンと頷き私の腹でまた泣き始めた。アメリアも横で弟の背をさすり「マーチャン、ゴメンネー、ママ、キヲツケルヨー」と言って慰めていた。

 母親との別れは記憶にないから、弟にとって初めての愛しい者との別れだ。

 私は、もう一羽パイナップルに似たコを買おうと提案したが、弟は、「でも、それはパイナップルじゃない」と言う。本当にその通りだ。
 愛しいモノが居なくなった喪失感は、似たものを当てがえば埋まる訳ではない。時間を経て、愛しいモノとの思い出が熟成され、徐々に徐々にぽっかり空いた部分を埋めてくれるものなのではないか。その当時の私は、まだまだ若くてそんなこと考えたこともないが、現在の私はそう思うのだ。

 「パイナップルの分もピーナッツを大事にしてあげよう」と話し合った。

 それからまた数日後、父が長期入院することになった。
1泊ぐらいの入院なら、弟はアメリアと、どうにか過ごしていたが、さすがに長期となると、アメリアも仕事を休めない。
 弟はランドセルを背負い、ピーナッツを連れて、私のところでしばらく暮らすことになった。

 「ピーナッツがあんまり元気ないんだ」と弟。
「パイナップルが居なくて寂しいのかな?」私は、ピーナッツの様子を見ながら言った。

 プルプルプルと微かに震えながら止まり木に乗っている。「ピーナッツ」と名を呼びながら手を入れてみるが端へ、トトトトと逃げていっていってしまい手に乗りたがらなかった。
 「寒いのかもね」と、いつもより毛布を追加してゲージにかけてあげることにした。

 朝、目を覚ます。弟のことも起こす。とても寒い朝だった。忙しい朝だが、何はともあれ、ふたりでピーナッツを確認をするために毛布を剥ぐ。
 ピーナッツは、冷たく、そして固くなって床の上に落ちていた。

 うさぎは寂しくなると死んでしまうと聞いたことがある。都市伝説か何かかと思っていたが、まんざら疑うこともできない。インコもそうなのかもしれない。パイナップルのことが好きだったピーナッツにしてみたら、自身だけのゲージは広くて寂しく寒さが身に沁みたのか。パイナップルが居れば、寒さも寄り添って暖をとっていたのだろう。
 素人があれやこれや想像したところで死因はわからない。病気を持っていたのかもしれない。

 弟は何も言わず、泣いたりもしなかった。朝ごはんもしっかり食べた。
 「おねえちゃんが、仕事から帰ってきたらピーナッツのお墓を一緒に作ろう」と私が言うと、弟は「うん」と頷いた。
 「いってきます」とランドセルを背負って玄関に向かう弟の横顔。
今朝の弟の頬も桃のように丸く赤かった。






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