50代のおばさんがうつ病になりました。⑤
私にも病院選びには、一応のこだわりがある。医学部を卒業し、並々ならぬ研修期間を経て一人前の医師、先生と呼ばれるようになったからと言って医師なら誰でも良い訳ではない。そこは、やはり人間同士の相性みたいなものを大事にしたい。
どんな名医と謳われる医学博士でも、お話しをしてみて、この方とは合わないと思ったら、診察はそれきりにするだろう。
正直、先日の脳外科の院長にはがっかりしている。猫だましをくらわされたことも意味がわからない。私のことを相撲好きと思っての冗談だったのか。そして「ストレスだから問題ない」と最後に院長は言った。ストレスって問題ないものなんですか?
かつて会社員時代、ストレスチェックなるものを定期的に受けさせられた。もちろん私は毎回ストレスマックスの結果で医師の診断を受けるよう結果表に書かれていた。受けないでいると、催促された記憶もある。こんな責任重大な仕事をしていてストレスない人いないでしょ。と私自身もストレスを軽視していたが、これだけストレスで大騒ぎしている時代、「ストレスだから問題ない」の一言で終わりはいかがなものか。専門外なら専門の病院を紹介するとかないのか。最低限、「ストレス溜めず発散するようにね」の言葉は出ないものか。
私は、よくこの「ストレスを溜めず発散してね」という言葉をかけてもらうことが多かった。側から見てもストレスフルだったのかもしれない。私は、笑顔で「はい。ありがとうございます」と答えていたが、ストレス発散っていったい何をすれば良いの?発散方法がわからないのである。
一度目の目眩の際に受診した内科医にも「ストレスは適度に発散するようにね」と言われた。「はぁ…」と答えて帰ってきた。
専門外で病名が何だけわからない不定愁訴は「ストレス」とされる。
そのストレスを放ったらかしにしたから、私は今現在こんなことになってるのだ。
はたと気がついた。あの脳外科病院長は、「ストレスを溜めず発散させて」なんて言葉は、気休めにしかならないと、わかっているのかもしれない。私もよく多用するフレーズだが、社交辞令にすぎない。だって、私自身がストレス発散方法知らないわけだし、私みたいな人間は多いのではないか。
私は「ストレスを〜」と最後に優しい言葉ぐらい言えないのか、と憤慨したわけだが、医師が社交辞令を言ってどうするのだ。
「ストレスはストレス。病気ではない」
ストレスを増やすも減らすも自分次第ということだ。
ストレスが私を押しつぶしそうになる感覚もわかる。そして、ストレスが小さくなって身体が心が軽くなる感覚もわかる。
しかし、私は、それを自身でコントロールなんてできない。
そして、いつからか、常にストレス満載の状態で生きているのである。
そして、そのストレス満載な私ができる対処方は、感情を何処かに置いておいて、今できることをがむしゃらにやること。あれやこれや考えちゃダメ。ストレスに気づいてはダメなのだ。
ストレス満載なら、そのまま動けばいい。動けば動ける。
まさかとは思うが、私と脳外科病院長とは考え方が似ているのかもしれない。またはその反対で、ノンストレス派か。
ストレスをどうこうしてくれる医療機関なんてないのだ。
私の症状は、ストレスからくるものであって、私自身がそのストレスをどうすることもできない。
しかし、満載のストレスという荷物の荷解きを手伝ってくれる医療機関はあるのではないか。
期待を込めて新規予約を入れた心療内科へと向うのであった。
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