見出し画像

50代のおばさんがうつ病になりました。⑦

 さて、私はまだ自分がうつ病を患ったことを信じることができずにいた。
 確かに、頭がボォウっとして頭が回らないし、フラフラもする。外がやけに眩しいし、つけっぱなしのテレビがうるさくて煩わしく、吐き気さえしてくる。しかし、これは、あの大きな目眩と異常な頭痛の後遺症的なものじゃなかろうか。
 私は、うつ病の症状について検索してみた。より信頼出来るサイトが良いと思い、厚生労働省のサイトを開く。

 以下は厚生労働省のサイトからの引用と、治療に入る前の私自身の状況である。

悲しく憂うつな気分が一日中続く。

 日々を生活するのが精一杯で、悲しいとか、憂うつとか意識したこともなかった。機械的な日々。

❷これまで好きだったことに興味がわかない。何をしても楽しくない。

 好きだったことを一切やらなくなっていた。だいたい趣味(手芸・ものづくり)をやる時間もない。
 私にとっては友人と会うのも大切な時間だった。「時間は作るもの」と友人と会う時間を作ってみようとしたが億劫で、とてもじゃないが会う気がしない。

❸食欲が減る、あるいは増す。


 食欲が減ることはなかった。また増すこともなかった。しかし、楽しんで食事をしていた訳でもない。とにかく何か食べとかないと元気が出ないし。という感覚で食事していた。家族のために作った夕食の欠片を噛み砕いて飲み込んでいたような状態だ。

❹眠れない、あるいは寝すぎる。

 眠れないことはなかった。布団に入れば、バタンキューである。そして、すぐ朝になる。全く寝た気はしていなかった。「あぁ〜、よく寝たぁ〜」と思ったことがない。

❺イライラする。怒りっぽくなる。

 常にイライラである。怒りの対象はだいたい家族である。わめき散らしたくなることもしばしばあった。しかし、それをグゥっと胸のうちにしまい込んでいた。私はまともな大人としていたい。

❻疲れやすく何もやる気になれない。

 全くその通りである。疲れて、疲れて何もやる気がしない。滋養強壮剤も効いてるのか効いてないのかわからない。

❼自分に価値がないように思える。

 そもそも自分が価値ある人間かなんて考えたこともなかった。たぶん価値なんてないであろう。

❽集中力がなくなる。物事が決断できない。

 注意散漫ということもなかったが、母の介護の件に関しては、あれこれ考えることもできずにいた。深く熟慮するとかできず、「ケアマネジャーさんの言う通りで良いです。」とにかく打ち合わせとかの類いは億劫で早く終わらせたい。

❾死にたい、消えてしまいたい、いなければ良かったと思う。

 これは十数年前からそう考えていた。生きていくって大変だな。もういっそ消えちゃいたいな。だからって、自殺とかは怖くてできないけれども。

このうち5つ以上(1か2を含む)が2週間以上続いていたら、専門家に相談することをお勧めします。

と厚生労働省のサイトには記されていた。

あれ?どうやら本当にうつ病のようだ。それも、だいぶ前からその傾向がある。なるべくしてなったと思えてきた。
 もう何年も前のこと。学生時代からの仲良しグループと都心でランチとお茶をした。おしゃれをして大好きな友人たちと会って近況を語らう。定期的に行われるこの会食は、私にとってとても大切な時間だった。
 その日もとても楽しい時間を過ごした。そして、帰りの電車に乗り込む。車窓からは華やかな都心は遠ざかり、陽が落ちて住宅街の家々の灯が見える。オレンジ色の暖かく幸せを連想させる色。
私はいつのまにか泣き出していた。自宅に近づくにつれ、この後に待っている夕食作りや、家事、家族の面倒をみることを想像して「家に帰りたくない」と涙が溢れたのである。
これ以来、友人たちとの交流の後が辛くなるため、だんだんと会うことが減っていった。帰りがあんなに辛くなるなら、参加せず家で朝から家事してる方がいい。
 このエピソードは、❶にも❷にも該当するのではないか。
 そして、趣味や好きなこと私率先してやることにより、ストレスを発散していたことに今更ながら気がついた。私は、あの幸せなオレンジ色の暖かい灯を見た瞬間からストレス発散を放棄していったのだ。
 職場で行ったストレスチェックがマックスになるはずだ。時すでに遅し。今からストレス発散しようにも、何もする気が起きないほどまでになってしまっている。
 以前「人生とは楽しむもの」と考えていた私が「人生とは苦行」と考えるようになっていた。これは❾にも該当する。
 そして、徐々に蝕まれていく病に気がつくこともなく、会社を辞めて事業を始めてしまった。順調だった業績も右がた下がりに。物価の上昇。経済的にも厳しくなっていく。私は、もう会社員ではない。自分ひとりでどうにかしていくしかない。
❽にも該当しそうだが、きっと、まともな判断能力も欠落していった。
経済的な部分の穴埋めをアルバイトで補うことに。
 このように文章に起こしてみると
無理が祟ったとやっと理解できる。

 クリニックや病院によっては、問診だけではなく様々な検査を経て診断名を出される医師もいるそうだ。
私が選んだ主治医は、私との会話のやりとりでうつ病と判断した。
 私も納得した。自分なりにうつ病の特徴を自分の状況を照らし合わせて、病を受け入れることができた。

 早く治して復帰しなくては!

 私は医師の処方した薬を間違いなく忠実に飲み、優秀な患者となることにした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?