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#3 文字は読めても文章は読めない人が多い

1年ぶりの投稿です。なんだか緊張しますが最近感じたことを即興で考えてブログとして残します。まず、この題材の本質は読み手の読解力にあると思っている。というのも、大学4年にもなって、研究室に配属されたことで他者との交流も増えて人と何気ない話をする人が多く、話すのが苦手なのかな(?)と神の視点で考えることが増えた気がする。そういった理由には、性格だったり、これまでの外的な環境•要因だったりが当たり前に関係しているのかなと思うのが普通だと思うが、現代人(特に若者、俺(21)も含めて)の読書離れによる読解力の著しい低下が1つの原因の要因だと思っている。SNSを例に挙げてみる。今や、TwitterやInstagramなどのSNSがごく当たり前に使われていて(俺自身は両輪とも読み専やが)、簡単に自分の意見を発信できる現代になっている。Twitterでは単なる数文字程度のポストでもその発信者には発言の意図がある訳でそれを汲み取れずに普通なら相手の意図を汲み取って理解できて当たり前のはずの言葉の意図を汲み取れずに、余計な返信だったり、返って発言者本人が語弊を訂正しないといけなくなってしまうような読解力のなさが露見した返信がとても見られるように感じる。本題に戻ると、文章というのは文字を見て読むことではなく、その本人が伝えたいことを伝えるための手段であるのに関わらず、文字が読めたことに満足してわかった気になっている人が多すぎると思う。読解力すなわち話の筋を理解するための論理的思考が足りない人が多いんじゃないかな〜と高校理系選択、大学機械専攻のthe理系一般大学生(21)が言っております。読解力に関係する話で、比喩の表現をそのままそれぞれの言葉のつながりとして捉える人も増えているのじゃないのかなと。改めて読書の大切さが染み染みと感じます。国語のテストとかでよく見た「〇〇文字でこの文章を要約しなさい」みたいな問題が得意で好きな人は人の文章をよく理解できる人なのかなと思っています。みなさんは好きでしたか?嫌いでしたか?僕はそれなりに好きでした(得意ではなかったので下手くそな文章かもしれません)。あと僕の文章見にくかった人もいるかもしれませんが、「文章」「行間」「文章」…(繰り返し)のような構造だとスクロールしている時間が無駄だと感じてあまり好きじゃないのでこんな感じに敷き詰めた文章になってます。言うのも今更ですが...

読んでいただきありがとうございました。
ほんでまた未来の自分が見返すときのために、またほんなら〜。

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