見出し画像

『痴人の愛 原題:Of Human Bondage』(主演:レスリー・ハワード、ベティ・デイヴィス 1934年6月28日アメリカ公開)個人の感想です


『痴人の愛』

『痴人の愛』、谷崎潤一郎の長編小説の映画を観ようと思ったら、アマプラで有料だったので、つい、近くにあった同じタイトルのこちらを観てしまいました。もちろんこれが何なのか全く知識もなく、観始めたわけだけど、ひと通り見終わって、これって普通であれば『いけ好かない』であろう女性に恋する男の物語ではないか。この映画は一体何なんだろうと思い、理解するために映画を観た人のレビューを読んでみると、主演女優のベティ・デイビスの演技がとても上手だとか、監督のジョン・クロムウェルの特徴が良く出ているとか、この映画の主張より、役者や監督を褒める内容が多いではないか。

この物語は、主役は医学生・ケリー(レスリー・ハワード)、お相手は、カフェ女給・ミルトレッド(ベティ・デイビス)。ケリーは生まれつき足が悪く(内反尖足)ハンディキャップを負っている。ある日、ケリーと友人はカフェを訪れる。目的はケリーの友人がミルトレッドにアプローチするためだったのだが、ミルトレッドのお店での振る舞いが悪く、友人は、アプローチを止める。一方でケリーは、ミルトレッドに一目ぼれし、食事に誘ったり、家に連れてきたりで、お付き合いをしようとする。ミルトレッドは、ついては行くものの、その気はなく、ケリーのプロポーズも断り、別の金持ちの男と一緒になるといって、ケリーの前から消えていく。

ケリーは、別のノラという女性と親しくし始める。いい感じになってきた時にミルトレッドは赤ちゃんと共にケリーの前に現れる。ミルドレッドには、赤ちゃんが出来ていたのだ。しかし、ついていった男には妻がおり、赤ちゃんが出来たことで捨てられていた。ケリーは、ノラと別れ、ミルトレッドのためにアパートを借りてあげる。しかし、ミルトレッドは、すぐにケリーを裏切り、ケリーの友人と駆け落ちしてしまう。

その後、ケリーは自分の患者の娘サリーと親しくなる。そんな中、再び、ミルトレッドが舞い戻ってくる。ミルトレッドはケリーに誘惑を試みるが、ケリーが一向に乗ってこないためミルトレッドは、ケリーを罵り、罵倒し、学費に火をつけ燃やしてしまって、ケリーを医学校に行けなくする。ケリーは、サリーの父から仕事を紹介してもらい働くことにする。しばらくして、三たび、ミルトレッドが戻ってくる、その時、ミルトレッドは、子供を死なせ、自ら肺病に冒されている状態だった。ケリーはミルトレッドに処方のためにお金を渡し追い返してしまう。

ケリーは、伯父の遺産を得て、学校に戻り、医者となる。そして、ミルトレッドの死を知って、サリーにプロポーズをして話は終わる。

言葉は悪いが、この性悪女にどうしてそこまで惚れるのか、面倒を見るのか、そして、これは何が言いたいのか。原作は、サマセット・モームの小説『人間の絆』とのことだが、『悪い意味での腐れ縁』か、『性悪の小悪魔に翻弄される男』というタイトルが合っているのではないかと思った。しかし、男としてちょっと困らされる女に惹かれる気持ちも分からなくはないかも知れない、それこそ、恋は盲目というやつか。

さて、この映画の原作は、小説『人間の絆』(1912年)ということのようであるが、これは、サマセット・モームの自伝的教養小説となっているではないか。サマセット・モームは、子供のころに吃音のために迫害されていて、また、最終的にはこの映画のように医者になっている。1914年、第一次世界大戦中には、軍医から諜報機関に転属し、諜報活動も行っていた、以降、世界の国々を旅しながら多くの小説、戯曲を創作している。

この『痴人の愛』というタイトルは、日本映画のタイトルで、谷崎潤一郎の『痴人の愛』をパクったタイトルだろうし、『人間の絆』も誰かが商業的視点からつけられたのだろうからどうでも良いが、私は、英語名『Of Human Bondage』のタイトルがとても気になった。bondageは、とりこの状態、奴隷であること、とらわれの身、という意味で、内容としては、これがぴったりで的を得ている。

この映画は、教養ものなので何かを学ばなければならない。それが、私の感想になるかもしれないけれども、人は、好きになった人からだと、迷惑も頼られていると思い、その人の力になろうとするところがあるということ、男は、好きになった女性には、未練があって、舞い戻ってくると受け入れてしまうというところもあるだろう、このような男を客観的にみると『何やってんだ、あいつは』と思うことになるかもしれないが、実は男の深層心理として誰でも持っているものではないか。一方で、そのことが分かっているからこそ、人を値踏みして、理性を働かせ、自分の感情を越えて打算的なお付き合いをしていくものかもしれない。好きになるのに理由はないと言うが、それが本当に感情として好きということだ。そんな人に巡り合えたら奴隷でもいいのだろう。そして奴隷でも良いと思う男たちは、本当に痴人かも知れない。痴人の意味を調べると理性のないものと出てきたので、ある意味、日本語のタイトルは、男心の本質としてつけたのであれば、パクってかけたのではないかも知れない。

ちなみに私も痴人かも、では、また。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?