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『赤ちょうちん』(主演:秋吉久美子 1974年3月23日公開)個人の感想です


『あかちょうちん』

いや~、憧れの1970年代、1970年代と言えば、私は、小学生から高校生までで、小学生のころにテレビですべてのチャンネルであさま山荘事件の映像が流れていて、いったいこれは何が起こっているんだって思いながら見た記憶が残っている。片や、音楽と言えば、かぐや姫や井上陽水らのフォークソングが、中学生から耳に入りだし、「裸電球」とか、「銭湯」とか、「傘がない、いかなくちゃ」とか、妄想が暴走するような歌詞ばかりで、またテレビには、「傷だらけの天使」でショーケンがビルの屋上でヘッドホンをしたまま寝て、そのまま目を覚まして、ビン牛乳のふたを口で開けるシーンを見て、自分もあんな生活をしてみたいと思った。

そんな憧れの70年代、『赤ちょうちん』の映画を観てみることにした。登場人物は学生かと思いきや、ただ、アルバイトでボロアパートで暮らす20才の男・久米政行(高岡健二)と、転がり込んできた女・幸枝(秋吉久美子)が政行のアパートで二人して寝ていて、女がなんでいるんだっけ、的なところから始まる。

期待通りのスタートだ。僕もこんな感じのことしてみたかったのだ。朝起きたら「お前誰だっけ?」ってな感じで、知らない女が横で寝ていて、「覚えてないの?昨日の夜、飲み屋で会って、電車がなくなって、何もしないから泊まってけばって言ってくれたじゃない」みたいな、ダメ男の生活。
まさに、政行はダメ男だった。

それにしてもこの男はひどい、幸枝が帰っていったあとに幸枝が忘れて行った天草のおばあさんに仕送りする現金を競馬に使い込んだり、手紙を読んでそれを破り捨てたり、だけど、なぜか幸枝が戻ってきて同棲を始めちゃうんだよね。ダメ男なんだけど、そのダメ男になぜかくっついていく女という設定。(ダメ男にダメ女ってことなのか)

で、住むところ、住むところで事件や嫌がらせにあったりして、転々と住処を変えていくお話だった。最初の家では、取り壊し直前のアパートに政行が最後の住人として、粘って住んでいたのだが、取り壊しが開始されて追い出されてしまう。

2軒目は、火葬場の近くで元そこに住んでましたという保険金詐欺みたいな男がなぜか同棲しているところに住み着いちゃう。で、その男を友達と一緒にボコボコにして、それを見た幸枝は、ここに暮らしたくないと言って引っ越しする。(幸枝はやさしいこころの持ち主でもある)

3軒目は、西新宿に住み、快適な暮らしをしていた、そこで、なんと、幸枝が妊娠してしまう。政行は、ひどいことに幸枝に堕胎するように迫る。幸枝は悲しくなって神田川に身を投げて自殺しようとする。そんなこんなで、2人は、子供を産むことを決め、また引っ越しをする。

4軒目で赤ちゃんが生まれるが、病院で幸枝と赤ちゃんが一緒に写真を撮った直後に、赤ちゃんが間違っていたと言って看護士が別の赤ちゃんを連れてきて、交換してしまう。ふたりは茫然とするのだけども、あの時代のあるあるなのかも知れない。この家では、周りの主婦たちに嫌がらせをされたり、窓ガラスを子供に割られたりで、再び引っ越しをすることになる

5軒目、これで最後になるが、この引っ越し先は、前に住んでいた家族が一家心中をした部屋ということで、幸枝はストレスになり、頭がおかしくなる。そして、幸枝は病院に入り、政行は赤ちゃんを連れてまた引っ越しをし、政行が赤ちゃんを育てていくことになる、というところで終わる。

観る前は、冒頭に書いた通り、ワクワクしていたのだが、観ている途中から、この政行のダメ男のひどさに嫌気がさしそうになった。憧れのダメ男の生活も限度があるよなってぐらい、ひどいものであった。最後は、ダメ男が赤ちゃんをひとりで育てていくことになり、幸枝は精神病院に入るってところで、この映画は、何を言いたかったのだろうと思った。
赤ちょうちんの歌詞からは想像出来ない展開で、この時代に生きている若者にちゃんと生きていかないとこんなことになるぞと戒めのメッセージなのかとも思えた。

この映画は、支離滅裂を描き、自戒を促すものなのかもしれないが、かぐや姫の『赤ちょうちん』や、『神田川』の歌詞のようなせつなくもつつましい世界は、やはり、経験したかった。もっと歌詞に沿った映画をみたいなというのが最後に思ったことだ。

最後にこの映画での見どころであるが、やはり秋吉久美子の裸体とその裸体を使った演技で、いやらしいというより、これは「うまい、美しい」と感じるべきことかと思えた。当時はかなり話題になったのではないか。これだけでも観る価値は十分にあることを最後に伝えておきたい。(笑)

では、また。

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