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『愛する』(原作:遠藤周作 1997年10月4日公開)


『愛する』

久々に涙腺が緩みました、完全にやられましたね。原作は遠藤周作、私と遠藤周作の出会いは、高校生の時である、数冊恋愛にかかわるような本を読んで、女性とはこんなに理性的なものかと、やけに美化したことを覚えている。遠藤周作はキリスト教徒であるということもそのころ知ったのであるが、キリスト教についての知識はなかったものの、なんとなく、キリスト教徒だから女性を美化するのかなぁとも思った。実際の女性は、遠藤周作が書いていた女性像とちょっと違うのかなと気が付いたのは20才ごろで、女性に対して見方が変わったことも覚えている。

映画の概要だが、主人公は吉岡努・渡部篤郎と森田ミツ・酒井美紀である。吉岡が東京ビッグサイトの前で吉野家の弁当を売っているところから始まる。森田ミツと友達(ヨシ子)は弁当を買うために並んでいたが、直前で弁当が売切れた。ふたりは、そこを立ち去ろうしたときに吉岡が車で街まで送ると声をかける、ミツは断ろうとしたが、ヨシ子が誘いに乗っかってしまう。ヨシ子は途中で下りて、その後、ミツも下りようとするが、吉岡に晩御飯に誘われて、食事に行くことになる。そこでミツを酔わせて、最初から下心を持った吉岡に旅館に連れ込まれ、吉岡はミツの体を半ば強引に奪う。

しかし、そのことでミツは、吉岡に惹かれてしまうが、吉岡はミツの前から姿を消してしまう。ある夜、吉岡が街を歩いているとき、ヨシ子に出くわし、ヨシ子とミツが働いているスナックへ吉岡は連れていかれる。ミツとヨシ子は、働いていた製綿工場が倒産し、スナックで働いていたのだ。ふたりは、その夜再び旅館に泊まることになるのだが、朝、ミツが浴衣をまくった腕に痣があることに吉岡が気づき、病院に行くことを勧める。ミツは、病院で病名を言われないまま、穂高の隔離施設に行くように言われる。その隔離施設は、ハンセン病患者の療養施設であった。

落ち込むミツは、しばらく部屋から出れなかったが、時間が経つにつれてそこで療養している人達のやさしさによって施設に馴染んでいった。ミツは、療養施設で改めて検査を受けていた、その結果、ハンセン病ではなく、誤診であることが分かる。ミツは、療養所を出て、帰京するために穂高駅まで来たものの、電車を待っている間に自分に優しくしてくれたハンセン病患者と過ごした日々を思い出し、急に療養所に戻り、そこで働くことを申し出る。

吉岡は、ミツのことが気になり、年賀状を療養所に送った、そして、療養所からミツの状況について詳しく書かれた返信を受け取った。その手紙には、ミツの療養所で過ごした日々と、療養所で作った卵を街に売りに行ったとき、車にはねられて死んだことが書いてあった。息を引き取る直前に「さいなら、吉岡さん」と言ったことで、吉岡からの年賀状に返信が届いたのである。吉岡は、悲しみを感じながら穂高に行き、ミツのお墓に白いバラを一凛手向けて去っていくところでこの映画は終わる。この白いバラは、ミツと旅館で過ごしたときにミツが旅館の庭で見つけた花であった。

原作の『わたしが・棄てた・女』の中では、吉岡が違う女性と結婚していて、ミツは本当に棄てられているのだが、映画では、吉岡は、最初、ミツを行きずりの女扱いしていたが、ミツが吉岡にそそぐ気持ちに応える形でミツのことを好きになり、ミツを愛し続けた。

さて、この映画で、私は、また、多くのことを学ばさせていただいた。そのひとつは、ハンセン病についてだ。名前は聞いたことがあったものの、これまでの人生で、この病気についてテレビ以外で聞くことはなかった。この映画を機にいろいろと調べてはみた。ハンセン病の世界の歴史、日本の歴史、世界・日本の社会における活動、所謂患者に対する偏見などの扱い、とても多くの情報があり、とてもすべてを理解出来るものではなかった。それほど、大きな問題であったのだということを感じた。1970年代までは、療養所への入所者は、10000人前後、現在は、平均年齢90才前後で1000人程度の人たちが入所されており、一般社会に戻れないと言う状況を抱えられているようである。どういう気持ちで入り、そういう気持ちで過ごされてきたのか、かかわりも持ってこなかった私のようなものには計り知れないと思った。

ミツには、誤診を受けて、その後、療養所で看護師として働いた明治生まれの女性井深八重というモデルがいたということには驚かされた。棄てられた女というわけではなく、衆議院の父を持ち、高校の英語の教師をしていた素晴らしい方である。

この映画で印象に残った言葉は、ミツが吉岡に何度か口にした「可哀そう」という言葉である、吉岡は沖縄生まれで子供の頃に両親が離婚し、恵まれない生い立ちで、小児麻痺の経験がある。最初に旅館で体を許した時も一度は断って旅館から去る際に吉岡が小児麻痺の影響で道端で転んだことで、「可哀そうに」と言って、ミツは旅館に戻ることを決心した。また、幼少期の話を聞いた時にも「可哀そう」と言う言葉を使った。

私は、この「可哀そう」という言葉をきっかけにして展開されるストーリーにこの映画のメッセージがあると感じた。「可哀想という言葉は、弱い立場や逆境に置かれているものに対して気の毒に思い、なんとか救ってあげたいという気持ちをあらわす言葉」とのことで、やや上から目線の言葉で他人に向けて直接使わない方が賢明なようであるが、映画の世界なのであえてこの映画の深層にあるものを表現したのであろうと思った。ミツは、吉岡が逆境に置かれた人間であるからこそ、愛情を注ぐ気持ちになったのだろうし、ハンセン病の人たちに対しても何とか救ってあげたいと言う気持ちから、あえて療養施設に戻ったのだと思った。

この映画では、「なんとか救ってあげたいと言う気持ち」この同情から発生するいつくしむ心を『愛する』というタイトルで表現したものだと受け止めた。原作は、棄てた女の人生が書かれたものと評されているが、この映画について言えば、棄てられていないし、人生という程長い物語が描かれているものでもない(1時間53分で描ける人生の長さは知れている)「逆境に置かれた立場」の人たちに対して行動を起こした一人の女性の美しさ、それも一人の男性のみならず、世間から差別を受けた辛い病気の人たちに対してのことである。その行動こそが感銘を受けるべきであり、自分の人生に生かすことであろうと感じたし、その行動を起こす気持ちを社会に喚起したかったのではないかと思った。

この映画を観てこのようなことを書いてみると私自身は反省することばかりである。改めてミツの行動を心に刻まなければならないと思った。よし、この後すぐにやれることをやろう。

では、また。



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