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記憶と名前

僕は母親と差し向かいで、自分の名前を書く練習をしていた。

ふだんは食事をならべたり、洗濯物を干したりするくらいしかやってないくせに、今日になって突然、名前の書き方を教えると言い出したのだ。

「今朝、大ちゃんのお母さんに会ったら、他のお子さんはみんな、小学校に上がるときには自分の名前が書けるって言ってたのよ」
「ラジオや時計を分解して遊んでいるくせに、名前も書けないのか、あいつ?」

夕食のあと、座椅子に寝そべって消しゴムのおもちゃとビー玉をいじっていたら、両親の会話が聞こえてきた。

「さあ……。お絵描きはやっているんだけど」
「書けるんじゃないか? 幼稚園で習わなかったのかな?」
「でも、明日よ、入学式は」
「今晩のうちに練習させたらいいじゃないか」

というわけで、父が晩酌をしているあいだに、僕の特訓が決まった。

居間は父の好きなチャンバラ時代劇で騒がしい。僕は母に連れられて、二階の寝室に上がった。

母は押入れから折り畳みのテーブルを出して広げ、座布団を二枚重ねた上に僕を座らせた。それから、新聞広告の裏に鉛筆で大きく僕の名前を書いて差し出した。

「さあ、このとおりに書いてごらん」

はらだ まこと

もちろん自分の名前は知っている。でも誰も僕を「はらだ まこと」とは呼ばない。

重ねた座布団の上に何度も座りなおしては、言われるままに目の前の文字を綴ろうとした。

「まこちゃん、鉛筆の持ち方が違うよ。お箸みたいにこうするの」

クレヨンを握るのとはわけが違うらしい。最初から、ちゃんと教えてくれたらいいのに。

よたよたと長い鉛筆を動かして、お手本に似たかたちを何度も書いていった。

ひとつひとつの文字をどう読むかはわかる。でも見た目がまぬけな感じがして好きじゃない。

「できるじゃない。じゃあ、今度はお手本なしで書いてみて」

広告の裏紙はすっかりなくなっていた。僕は新しく渡された白い便箋に、もう一度名前を書いた。

はらだ まこと

大きなシャボン玉から切り分けられて、名前を書いた紙が背中にぺたりと張り付けられたような気がした。

このあとのことはあまり覚えていない。翌日の入学式も、1年生として過ごした時間も、僕の記憶からはすっかり消えている。

学年が上がって教室も変わった。休み時間には、それまでより近くなった中庭の飼育小屋や、図書室で過ごすことが多くなった。

鼻先をもごもごさせて、ニンジンのへたやキャベツの切れ端を食べるウサギに、図書室の古い紙とインクの匂い、そして書棚のあいだの狭い通路は、いまでもはっきりと思い出せる。

友だちと鬼ごっこをして遊んだジャングルジムやすべり台、先生に見つからないようにこっそり登ったヒマラヤスギもあったっけ。

"Ladies and gentlemen, we have now begun our takeoff. Please make sure your seatbelts are securely fastened and your seatbacks and tray tables are in their upright and locked position. Thank you!"

客室乗務員の早口の声が聞こえ、座席の上の自分に戻ってきた。

エンジンの轟音とともに飛行機は滑走路を加速した。身体が背もたれに押し付けられたあと、突然ふわりと浮き上がる感覚がやってきた。

あっという間に空港の青い誘導灯が遠ざかり、眼下には暗い地上のところどころに散らばった市街地の灯りが広がった。

機体はさらに上昇して、やがて窓の外は一面の闇に覆われていった。

飛行機の中は柔らかな照明に切り替わっている。チェックインのときから高ぶっていた気持ちと身体が、次第にゆるんでいく。

このまま、12時間ほど狭いシートに身をまかせていれば、シカゴに到着する。そのあとはイミグレーションを通過して、荷物をピックアップして、国内線に乗り継げばいい。現地の空港には、留学先でお世話になる研究室のひとが迎えに来てくれることになっている。

ラボの准教授であるヴィネとは、渡米前に数回メールでやり取りをしただけだった。ホームページには、はっきりした目鼻立ちと褐色の肌をもつ彼の写真がアップされていた。インドかパキスタン出身かなと勝手な想像が膨らんだ。

”You're more than welcome.
Don't worry, we're here to support you in any way we can!
Send my best regards to Yasu. ”
「大歓迎だよ!
我々ができることは何でもサポートするから、心配なく。
ヤスによろしく」

最初に届いた彼からの親しみのある簡素なメールを読んで、ほっと肩の力が抜けた。

私の指導教官だったヤスヒロ先生は、昔ヴィネと一緒に仕事をしたことがあると言っていた。

「当時、一番若かったんじゃないかな。いい奴だったよ。歳は君より7つか8つ上だったと思う。細かいことはなんでもヴィネに聞いてごらん」

渡航する直前のメールに、住む場所がまだ決まっておらず、しばらくは大学の近くのホテルに泊まるつもりだと書いて送ると、

”Why don't you stay in Chris's home?”
「クリスの家に泊まればいいじゃん!」

という返事が戻ってきた。クリスは、たしかラボの教授のはずだ。見知らぬ留学生が、いきなりボスの自宅に住むなんて、日本ではまずありえない。第一、自分の居心地が悪い。

お互いに共通の話題は、今やっている研究だけの気がしてきた。

時差はおろか、文化や日々の習慣まで違う世界に変わりつつあった。

簡単な食事のあと、機内で読もうと思って持ち込んだ本を開いても、まるで頭に入ってこない。あきらめて、イヤフォンでしっかり耳を塞いで目を閉じた。

1年とはいえ、まったく環境の異なる海外で過ごすことに不安がなかったわけではない。何より、自分の英語がどこまで相手に通じるのか、最後まで自信がなかった。

それでも、コミュニケーションで言葉の果たす役割は7パーセント程度という研究レポートをどこかで聞きかじり、何とかなるとのんきに構えていたのだ。

本当のところ、留学が決まってからの3か月は、目の前のやることリストをこなしていくだけで終わった。

ノートには、渡航に必要な手続きから、やり残した仕事、海外で暮らすための細かな準備、やっておくほうがよさそうな勉強まで、長い箇条書きが並んでいた。

結局、ビザを取得して、役所や銀行に行き、後任に業務の引き継ぎをするだけで、3か月が過ぎてしまった。

親しい友人たちが集まる最後の送別会のあと、気がつくと国際線に乗っていた。

ひとりきりで、しかも初めての場所への旅のはずだが、以前にも同じことがあった気がしてならない。

それが何かを思い出そうとしても、色も脈略もないぼんやりとした映像が浮かんでくるだけだった。

しだいに頭の中に霧がたちこめてきた。もうすぐ、眠りに落ちるサインだ。

遠くから、母が、私を呼ぶ声が聞こえた気がした。

次に目が覚めたとき、ここにいる私は誰で、何と呼ばれるのだろう?

かすかに増してきた加速度を感じつつ、僕の意識は薄れていった。


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