誰ガ為、楽譜はある
「音が先か、楽譜が先か」
音が先に決まってるだろうが!何を気取ってんだお前は!と罵声が聞こえる。
そうだ、音が先に決まってるさ。
それが普通だ。少なくとも自分はそう思う。
でも「楽譜は読めないんですがプロになれますか?」という質問、これが絶えることもない。
楽譜ってなんなんだ。
お前のその立ち位置はなんなんだ。おい。
■
偉そうな書き出しで始まったが、自分が受け取る譜面の95%は「コード譜」だ。
そこにちょびっと
「これはこの通りに弾いてね、勝手に変えたらゆるさないからね👩」と五線譜にメロディが書いてあったりする。これは担当楽器がギターであることが原因ではあるし、メイン生息地がポップスやロックだからでもある。
だからたまに、ヘ音記号譜面なんて書かなきゃいけない時はヘロヘロだ。ヘロヘロのヘだ。
「イロハニホヘ…ファ…ミレドシィ〜」とかやってる内に脳が「メモリを使い切りました💻」と言ってくる。
その程度の器だ。
■譜面は理論じゃないよ
「理論なんてわかんない、譜面なんて読めない」
うん、読めなくてもいい。
それが音楽のすべてなんかじゃあない。
だけど、譜面を読むことは音楽理論じゃないよ。
理論じゃない、ただのレシピなんだ。
基本的に書くより読む方が簡単だ。
🍳
クックパッドもいいけど、DELISH KITCHENが好きだ。なんか分からんけど使いやすい。
何回かお世話になってるよ。最近はキクラゲたまご炒めがお気に入りなんだ。レシピより少し濃いめに作るとご飯が進むよ。
🍚
譜面はレシピなんだ。
「それに従って演奏すると、その曲になる」というレシピだよ。
レシピに
「マヨネーズを丸ごと一本捻り出してください」って書いてあった時に
「マヨネーズってことは卵とお酢と油と…が地獄のように入ったことになるな」
って分かるのが理論だ。
書いてあることを更に一段階掘り下げる時に理論が登場する。
分からないならひとまずマヨネーズを用意出来るならそれでいい。
マヨネーズと味覇とクックドゥーで料理をキメたって全然構わないっていうかたぶんうまい。
熟練の戦士コックになれば、
「ふむ、ナトリウムが…」とかなる。
この領域まで行ったらもう普通の人ではない。
「料理は化学だ!」と叫びだし、世界は黙り込む。
たぶんコード譜すら理論と言われてしまうのは、
譜面を扱うミュージシャンはみんなこのナトリウム戦士コックみたいになってると思うからなんじゃないかと思う。
いや、いるよ?震えるほどの能力者はどの世界にもいる。
ただそれは一部のハイパーな方々だ。
アリアハンから出たらいきなりゾーマがいるわけじゃあない。
レシピに従ったら料理は出来る。
最悪二日酔いで脳がどこにも見当たらなくても、
従うことが出来れば、ひとまず出来上がる。
これが譜面のメリットだと思ってる。
■何のために必要なんだよ
楽譜やコード譜があって、
それを読めて弾ける演奏者に渡す。
すると!
「ヨーイドン!」ですぐ料理は出来上がる。
えっ?終わり?
否、その先が肝心なのだ。
味が濃いとか薄いとか、アレが足りないとか多すぎるとか、皿はどうするとか最近太ってきたとか臭いとか、調整に時間を取れる。
そこに音楽の面白さがあるんだ。
譜面が一切ないと、
「はい、まずこの料理食べて。何入れたかは忘れた。各々感じ取って。分かった?
じゃあ行くよ。
はい……
なんか違うよ、だれも葡萄と椎茸なんか入れてないよ。ねぇやる気あんの?
えっ?入ってた?……入れたかも!!」
とか、なり得る。
まぁ端的に言って、スタートラインに立つまで時間がかかる。
■無くてもいいけどあったら助かる
レシピって何のためにあるのか?
他人のため
だよ。
この誰もがスマホでも音楽を作れる全人類発信者時代、DTMなんて区分けが意味を無くしているこの時代、
すべてが自分で完結して、思い出したければ再生すればいいだけなら極論譜面なんていらないと思ってる。
なんでうまいのか分からないけど何回作っても必ずそうなるならそれでいい。誰に教えるでもない、自分のご飯。何の問題がある。
それを人に伝えるなら、
店を出してバイトを雇うなら、話は変わる。
「誰かに伝達」出来なければ成立しない状況。
その時こそ待ってました!とばかり譜面は威力を発揮する。
■
人はロマンチックな物に拍手を送る。
譜面は分からないけどこんなにいい曲を作れる、というストーリーにロマンチックな憧れを持つ。
そりゃ仕方ない。そういうものだ。
でもやっぱり、譜面は理論じゃない。
「譜面」という「現実データ」に感情はない。
それに対して何を思うか、加えるのか従うのかゴリ押すのか疑うのか…そっちの方が大事だと思う。
たまに譜面そのものにロマンチックな興奮を覚える覚醒タイプの方もいらっしゃる。
色んな世界があるね。