甲賀の城館巡り
今週は甲賀の城館、和田城とその城館群、甲賀上野城を巡ってきました。
和田城などの最寄駅は草津線の油日(あぶらひ)という駅でした。小さい駅舎ですが忍者がニンニンしている姿を模しているし、かわいい茶色と黄色の信楽焼の忍ダヌキがで迎えてくれます。
駅員さん代わりのおじいさんが親切に色々パンフレットなどを下さりました。
駅を降りて案内板を見るとそこにはビックリするほどのたくさんのお城が載っています。
お城は甲賀の城館群で、川沿いに樹状になった低い台地上にたくさんの城館があったようです。
その中の和田城は戦国時代には和田惟政を輩出している和田氏のお城です。和田惟政は織田信長とルイスフロイスを会見させた人でもあります。和田城の支城で彼は後の足利義昭・一条院覚慶を匿ったといいます。
和田氏が勢力を保った中世の甲賀には有力大名がおらず、郡中の武士たちは惣という自治組織で水平的な郡支配をおこなったんだそうです。こうした甲賀武士たちは近江守護の佐々木六角氏を盟主としていました。
甲賀武士のお城は(伊賀の城館も似ているけれど)高い土塁に囲まれた方形を基本としていて、そこに帯曲輪や堀が付随している形。甲賀のお城があるあたりは粘土質の加工しやすい土だそうです。
和田城→和田支城跡Ⅱ→和田支城跡Ⅰ→和田支城跡Ⅲ→殿山城→公方屋敷跡→甲賀上野城と回ってきました。
和田城の土塁は高いだけじゃなく、建物がガッツリ建てれそうな広くて平らな辺や箇所があって、やはり本城感がありました。支城の中では和田支城跡Ⅱが堀切も深くよかったです。
支城同士は数100メートル毎にある感じで、各お城の防御力とかはあまり強くなくとも連携して防御していたのかと想像してしまいます。
和田城と支城群、甲賀上野城を巡ってきて、高い土塁に迫られる夢を見そうな(高土塁祭り)な1日でした。
帰りに駅のおじいさんに話を聞くと、もっと土塁が高いお城がワラワラあるみたいです。まだ高土塁に食傷してはいないので、また行かねばね。
このあたりは伊賀と甲賀の境目の甲賀側で、
帰りに車窓を眺めていると関西線柘植駅の手前で(ようこそ伊賀の里へ)のような看板が見えました。
いただいたパンフレットによると伊賀(三重県名張あたり)と甲賀(滋賀県湖南あたり)の忍者の違いは組織、戦術、仕事の形態の違いなんだそうです。小説やマンガなどみたいに、いがみ合ったりしてなくて、それぞれビジネスライクにしていたようですね。
帰りは関西線柘植駅で、亀山方面と加茂方面の二台のワンマン列車が並んでいてどちらも数分乗り継ぎでした。間違えて反対列車に乗ってしまい、次の駅で下車して30分ウロウロしていたのはナイショです‥帰宅は1時間も遅くなり、腹ペコでした。
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