梅雨入り直前、滋賀県の布施山城などに行ってきました。
梅雨入り直前の滑り込み💦で週中に滋賀県の布施山城などに行ってきました。
布施山城は佐々木六角氏有力被官、布施氏本家のお城です。
有力家臣の後藤氏が殺害されたことから起こった観音寺騒動で、布施氏は北近江の浅井氏と結んで布施山城で蜂起して、主家である六角氏に反旗を翻しています。
登城道は布施溜池の西側からでした。布施溜池は(梁塵秘抄)にも出てくる歌枕で風光明媚な場所、とのことでしたが、今はサギやウの仲間が繁殖しすぎてる感じがしました。
お城は前方後円墳の後円が主郭、前方が副郭になっているシンプルなお城ですが、石垣の虎口跡の石材が散乱していて、観音寺城の立派な石垣を思い出させる六角氏の家臣感に溢れています😅
シダなどで薮になっている箇所が多く、薮のトン
ネルくぐることもありました。ですが、意外にも南西の竪堀群はわかりやすくて良かったです。
(もともとの布施氏の詰城を浅井氏協力の元に竪堀を加えてたりするのかな)と勝手に想像してみたりしました。
布施山城を下山して、西麓の後藤氏館跡に立ち寄ります。
後藤但馬守賢豊は六角義賢の信望を受けて権勢を振るっていましたが、六角義賢の子義弼に謀殺されました。これが観音寺騒動の発端となり、六角氏は家臣団の信望を失うこととなります。
やがて織田信長によって滅ぼされてしまいます💦
立派な石垣の虎口と重厚な土塁、堀跡が残っていて、豪邸感すごいです。
次のお城へ向かって橋を渡っていたら(妹背の里)と言う看板があり、額田王と大海人皇子の銅像がありました。
額田王‥あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る
大海人皇子‥紫草の 匂える妹を 憎くあらば 人妻ゆえに 我恋ひめやも
万葉集に残る二人の相聞歌は、天智天皇がこの辺りの近江で遊狩をした際に詠まれたものだったのですね。近江だっとは知らなかった〜😅(場所は近江でも諸説ありみたいです)
そう思うと、青々とした田園風景にほんのり色がつくようでした🩷
何故でしょうか?この相聞歌、額田王も心に余裕が感じられるし、大海人皇子の方ものびのびと歌ってる感じがします。切ない感じもなく、相思相愛なのかなぁ〜と。
万葉集の恋の歌がこんなものばかりではないのだろうけど、今の大河に出てくるような恋の歌って恨みっぽかったり、ツンデレだったり‥なんか重たいな。
額田王にやたら手を振ってそうな大海人皇子が可愛いなあ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?