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梅雨の晴れ間、松ヶ島城などに行ってきました。

昨日は早朝畑を手伝ってから、三重県松阪の松ヶ島城などに行ってきました。
気温は高かったみたいですが、風が強くて、暑さは前日よりマシのように感じました😅

遺構がわずかなお城ばかりでしたが、特に松ヶ島城はいろんな合戦等に絡んでいて面白いです👍


松ヶ島城天守台跡

松ヶ島城は北畠具教が築城した細頸城が前身です。
大河内城の戦いの時は有力武将・日置大膳亮が城主だったけれど、この細頸城を焼いて背水の陣で大河内城に参戦・籠城したんだそうです。織田軍は大河内城を攻めあぐねます。
大河内城は去年行きましたが、谷が入り組んだ天然の要害のお城です。
和睦をして、具教の娘・雪姫と後の織田信雄が祝言をあげたのが船江城だそうです。

船江城跡に建つ浄泉寺

その後、北畠(織田)信雄が田丸城焼失後に五層の天守を建てたとされます。織田家ナンバー3に相応しいお城の様相だったのかな。(出土した金箔瓦、今は行方不明なんだそうです💦え〜?)


織田家ナンバー3気分が味わえる?天守台の上。

本能寺の変後、信雄は清洲城主となりますが、時を経て小牧長久手合戦の際に殺された三家老の一人は松ヶ島城城主です。
合戦の際には松ヶ島城は秀長率いる大軍に攻められています。

攻城途中、地域の方に
(松ヶ島城にきました)と言うと
(氏郷さんが最初に入りはったお城やよ)と言われました☺️
地域の人には一番にそういう認識が来るんですね。

氏郷邸宅跡。


夜の海の音を奥さんの冬姫(信長の娘)が嫌がったから松阪城に移った、と聞きました。
信長の娘=ワガママって決めちゃ悪いけど(なんかそれっぽい説やなあ💦)って思ってしまいました。私も海の側で住んだことないですが💦
松阪城に移転する際には石材や瓦などだけなく、神社仏閣なども全て移転されたそうです。今残るのは天守台と水田の間の堀くらいのようで、城下町、港町として栄えていた様子はなかなか偲びにくいです。

松阪駅近く、松ヶ島城の移築門

天守台の近くにはトマト栽培のビニールハウスがあり、作業中のおじちゃんに、売り物にならない小さいトマトをいただきました☺️

いただいたその場で洗って食べます!
美味しい😋

松ヶ島城から木造城に向かっていくとき、高台から城址の方を見下ろしてみると、天守台がポツンと見えました。天守や御殿などが広がっていた様子がなんとなく浮かぶような風景でした。


漁港に向かう道から天守台を見下ろす

その後木造城へ。伊勢国司の一族であった木造氏は、北畠家内でも大きな発言力を持ちますが、織田信長が伊勢に侵攻してくると北畠家を離反し、木造具政は北畠侵攻の案内人を務めます。
裏切り者の印象もありますが、時制を見極めるのが、戦国の常でしょうか。それ以後、木造家は織田信雄の家老となり小牧・長久手の戦いの局地戦で奮闘します。
お城はやはり土塁が残るのみですが、往時も沼地に守られたお城だったのでしょうね。

田んぼの中にポツンと土塁。
でも城趾碑と案内板もあります。
ありがとう😊

久々に赤福食べたいなあ、買おうかなあ、と思いましたが、すぐ電車が来そうだったので、買いそびれちゃいました〜💦
松阪周辺は松阪祇園祭りが近々あるみたいで、幟が沢山たち、牛さんたちもおしゃれしてました🐃


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