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会社をつくりました。

こんにちは!やまぐちです。
記事を読んで下さり、共感して頂いている皆さま、ありがとうございます。

共感してもらえるって幸せだと思うんです。
色々な考えをみんな持ってます。
正義の正解は無いので、それぞれの正義を振りかざしてみんなあーだこーだ言いますからね。

だから、共感してもらえるって当たり前のことでは無いと思います。ありがとうございます。

さて、今日は
30歳で起業した時の最初の頃を振り返りたいと思います。

当時、直近の仕事は大阪は東大阪市と堺市にある
HOOP7というバスケ施設を運営する会社にいました。

※当時のHOOP7

今はスポルディング日本法人の元社長が事業を買い取ってやってます。
それ以前の話です。

自分が2009年に入社した時は、東大阪店のみでした。
2011年くらいに2店舗目となる岸和田店をオープンさせて、2年でクローズ(移転という形になりましたが)して堺店をオープン。

バスケ施設をいちからつくる、そして閉める
みたいなことを会社に所属しながら経験できたのは本当に貴重な体験だった。

事業部長のポジションだったので、数字の管理も運営面の管理も全て自分がやっていて、
会計に関すること、スクール運営や大会運営、サークル運営のノウハウはそこでたくさん吸収できた。

本当に最悪な会社だったけど、最高な環境で仕事させてもらってたって感謝してます。笑
※今は経営者が変わったので健康経営だと聞いてます。

上司も、社長だけは本当にあったかい人で、
めちゃくちゃ厳しかったけど、めちゃくちゃ部下のことを考えてくれてて、勉強になった。

5年経った時に、退職が割とサラッと決まったので、はてさて次は何しよう?ってなったわけです。

会社に所属しながら準備しましょう
みたいなことはいっさいやってませんでした。
自分の全てをHOOP7に捧げていたから。

私が30歳の時でした。
2014年8月末でHOOP7を退職、
9月までの給与は有休消化で出る…と。
つまり10月末を最後に収入が途絶えるわけです。

…恥ずかしながら当時の貯金は微々たるもので
資金を投下して起業なんて考えられないし、

HOOP7の時からスポルディングと付き合いがあったので、いっそのことスポルディングに就職させてもらうのもアリかな…?(なんかすみません。)とか考えたりしましたが。

色々考えて、
「チャレンジ」することを選びました。

人生で一度は、社長になっとこう!

っていう割と安易な考えから来るものではありましたが、起業してしまおう!と。

で、まず最初に、
会社つくっちゃおう!
ってなったわけです。

バカですよ、これ。
だって何も仕事無いのに、会社作ろうってやってるわけですからね。笑

一般社団法人バスケットボール推進会は
こうして立ち上げ準備が進むのです。

もちろん、同時進行で仕事は作ってかないといけないので、サークル運営して参加者から会費をいただき日銭を稼ごうって考えて
心斎橋のバスケBAR、ペネトレイトのオーナーのツテで体育館をおさえてもらって活動をスタートしました。

最初呼びかけても6人で3対3しかできなかったんですけど、みんな口コミ協力してくれて参加者が20人以上来てくれるようになった。
ありがたい。平日の夜にそれだけ集まる。

めっちゃ最初の頃ですが、今でも付き合いのある仲間はいます。
この日は本当多くて、サークルの可能性を感じまくってました。

この活動はニーズがあるなぁと感じて
サークル活動を全国に拡げていこうと思ったのです。

で、もう一つのコンテンツとして
スクールやろうってなって
同じ体育館で企画して集客しましたが

誰一人反応せず、参加せず。笑
(今考えればこれで良かったのですが)

スクールはHOOP7から近い場所でやった方が、
HOOP7の時のスクール生が来てくれるかも?

なんて甘い考えも寄せながら
今度はその近辺で探しました。

2014年11月20日
一般社団法人バスケットボール推進会の登記が完了します。

東大阪市内の体育館を回って、施設の方へお願いにあがりました。
何も実績がない中、それでも法人であり、
バスケットボール推進会と銘打って活動していることで、施設の方も良い意味で勘違いしてくれて。笑
話は聞いてくれました。

でも、スクール開校までは進められませんでした。

なっかなか活動場所が見つからない中、
東大阪市の隣、大東市の体育館がポッと見つかって、
見る限り体育館も当時すっからかんだったので
そこでやってみよう!ということにしました。

0→1の集客
SNSが今ほど盛んで無いので程々に進めつつ、
チラシを作ってポスティングします。

業者に頼むお金はないので、
自分でやります。
体力勝負です。

ファミリー向けのマンションは昼は管理人がいるので、深夜にチャリンコ漕いでガッツリポスティングします。
(これはヤバめのエピソード)

そんなこんなで迎えた最初のスクール。

体育館には…誰も来ませんでした。

自分の無力を感じた瞬間でした。

会社のホームページは作成中だったので、
頼みの綱はチラシと、アメブロやFacebookなどでした。

2回目のスクールで奇跡が起きました。

なんと、近くに住んでいる小学生が1人来てくれたのです!チラシを見たと言ってました。

本当に嬉しかった。忘れられない感覚でした。

そこから1ヶ月間はマンツーマンのレッスンになります。

1ヶ月後、またポスティングチラシを見て来てくれた、東大阪市の小学生が4人一気に入会してくれました。

またその1ヶ月後、
けんいちコーチ(中野健一)が参画してくれました。
HOOP7の時から面識がありましたが、
けんいちコーチの地元、大東市での活動を知って声をかけてくれて、話し合った結果、一緒にやっていくことになりました。

指導も2人でしていくようになります。

このタイミングで大東市役所にも挨拶へ伺い、協力的になってくれて、チラシのポスティングだけではなく、
スーパーや銭湯などにチラシを設置していただき、そこからも少しずつ活動が広まっていきました。

ホームページも完成して、
スクール活動をしている実態が明らかになり
10人、15人と選手は順調に増えていきました。

2015年4月。
エンジョイバスケットボールスクールという元々の名称から、「ダイアモンドバスケットボールスクール」と改名して、5月には2校目となる
新大阪校をオープン。

2会場でスクール運営をしていくことで
収益も少しずつあがるようになってきたのです。

新大阪の体育館ではサークル活動も実施。
より多くの方に、バスケットボール推進会の活動を知ってもらうきっかけとなっていきます。

サークル活動を通じてコーチとして関わってくれるメンバーとも出会いました。

とても順調に聞こえますが、
ちょっと暗い話もしておきましょう。笑

新しいことにチャレンジして、それが実っていくことでの達成感と充実感とは裏腹に、

事業が軌道に乗っていくまでに個人で借りたお金を返済しつつ生活していくのに、本当にギリギリの状態だったのです。

首がまわらなくなって困っている時に
祖母が100万円貸してくれたこともありました。

親族や友人には、たくさんのサポートをしてもらいました。
もちろん色をつけて完済済みですが
家族のあたたかみを改めて感じることができました。

今は、会社として銀行からお金を借りられるようになりましたが、最初は日本政策金融公庫でさえも、突っぱねられましたからね。

実績って本当に大事です。

7年が経って、スクールの実施会場は
大阪、兵庫、京都、和歌山を合わせて18会場、
サークルは大阪、尼崎、神戸、京都で開催しています。

私の目標からすれば喜んではいけない数字ではありますが、

勢いで会社を立ち上げて
今ではなんとか形になってます。

死ぬほど高い夢と目標があって
その目標に辿り着けるまでは、いつまでも歩んでいけることを考えれば
幸せなんだろうなぁと思っています。

どんどん、新しいチャレンジもしていきます。

もし、これから起業しようと考えてる方や、
やりたいことを仕事にしたくてなんとなくモヤモヤしている方は、

こんな変なヤツもいるんだな。ってくらいで見てもらえると良いと思います。


あ、もちろんですが、
起業セミナーなんか参加したことないですよ。笑

多分、意味ないから!

考えるのも大事だけど、
行動が、とにかく先。

石橋を叩かずに渡って、
橋が崩れ始めても向こう岸まで走り切る。

失敗めっちゃするし、嫌になることばっかり。
裏切られるし、変なヤツも近づいてくるし。笑

でも、自分の仕事を心から
愛することができるから。

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