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宝塚までのディスタンス ①七海ひろきさん篇

宝塚歌劇は心のお薬です。

と言い回っているけど、その効用を実感したのはここ1年くらいのことです。それまでの人生、ずーっと受け入れられなかったんです。
宝塚歌劇は変わりません。わたしの心が180°変わったんです
点と点がむすびついて、線につながって宝塚歌劇という世界にたどり着けました。なにもかもが大切なことでした。

以下、自己紹介をかねて、宝塚歌劇に出会うまでのお話です。

①近くて遠い宝塚

バレエを習っていました。唯一の習い事です。
4歳から、高校2年生まで。

この話ちょっと長いのですが、宝塚と本当の意味で出会うために必要な過程だったので書きます。

教室には宝塚音楽学校受験希望の子が大勢いました。長年一緒にお稽古した何々ちゃんは宝塚音楽学校に合格、そののち、みごとに美しいタカラジェンヌさんになりました。
いちばん好きなのは『白鳥の湖』。てってっててーれてってってー♫の「4羽の白鳥」を踊らせてもらえました。スポットライトを浴びながら踊ると客席にいるお客さんの顔が見えて、舞台のこっちと客席のあっちが別世界のようで楽しかったです。

ひとつだけ、いやだったこと。
偉い先生のところに1ヶ月おきに特別レッスンに行きます。その先生が、わたしの胸をみて

あやちゃんの胸は洗濯板みたいね!

と休憩中にタバコをくゆらしながら言いました。
痩せた子にもぽっちゃりの子にもとにかく身体のこと、外見のことを言う先生でした。中学生だしルッキズムという言葉もハラスメントの概念も知らなかったし絶対的な存在だから言い返すことなんてできません。
そんなふうに先生が見た目をあげつらうと、こどもたちの世界でも他人の見た目をからかいがちです。「あやちゃんの胸は洗濯板」は言われ続けるネタでした。実は洗濯板とはどういうものかわかっていなくて、祖母の家で見つけた時はこれが洗濯板か!と感動を覚えました。確かに似ているかもと。とはいえ笑いながらもじわじわと棘がささっているのです。

バレエはへたっぴでした。
特別レッスンにいくとタバコくゆらし先生がいる。ピルエットが下手で叱られる。役で落ちこぼれる。あやちゃん下手ねと視線が刺さる。ピルエットになんの意味がある?と思い始める。わたしは痛いトゥで踊るよりも、本を読んで言葉の翼で違う世界に飛ぶ方が好きになってしまいました。ピルエットを上手に回ることよりも、ピルエットを回っている時に残像がゆらめく感じをどんな言葉で表現したらいいのかなあと考えが飛んでいくのでした。なんか違うと思ってもどかしい。洗濯板しかいわないこの世界はイヤだ、中身(中身とは何かはつきつめない)を見てくれる世界に行きたいと逃避を考え始める。バレエスクールのみんなと話がずれる。居場所がなくなる。大学受験を理由に高校2年生でバレエをやめました。

宝塚歌劇そのものは、親戚のおばが涼風真世さんのファンでした。おばは、男役のような濃いアイラインを常に引くひとでした。はー、濃い、と思っていました。
さてさて、通っている学校には宝塚ファンが数多くいました。レビューの振りを教えてもらって掃除時間中に踊っていました。見よう見まねで踊っては笑いあっていました。
ある朝、学校に行くと教室で泣いている子がいました。
「どうしたの」
「トップの誰々さんの退団が決まったんだよ」
と、その子の髪をやさしくなでながら別の友だちが説明してくれました。
「これからも活躍するのに」と心の中で思いました。
(今ならその悲しみと切なさは理解できます)

友だちに誘われてわたしも宝塚大劇場で舞台を観ました。ベルばらを観た覚えがあります。学校ではオスカルとアンドレの今宵一夜のものまねをしていました。望海風斗さんが大好きな天海祐希さんの舞台をわたしも観た気がする。でもあまり記憶がないのです。同じスターを観て、この世界に入りたいと決心するひともいれば、心にひっかからないひともいるのです。

宝塚は心に入ってこなかった、というよりは入ってくることを最初から拒んでいたのかもしれません。宝塚をめざすバレエスクールの子たちに距離を感じていたから、彼女たちが憧れる宝塚の世界そのものにも距離を置こうとしていました。宝塚と距離を置きたいと思ってたわたしは、心で感じることを拒否していたのだろうと思います。環境的に近くにいても、見えない壁ができて心理的に近寄れないこともあるんだなあと今になって思います。

②七海ひろきさんファンとの出会い

それから数十年。わたしの人生に宝塚は1ミリも1グラムも入ってきませんでした。バレエスクールの記憶と宝塚という世界は同じ箱に一緒に放り込まれて封をされていました。

ある日、仕事先で仲良くなったひとが宝塚ファンだと分かりました。そのきっかけは思い出せないのですが、最初に覚えたことは七海ひろきさんの名前です。最初何度も聞き直したし漢字変換できなかった。
「この写真、かわいいんです」と言われて見せてもらった写真が、星組のトップ娘役の綺咲愛里さんでした。トップ様(この「トップ様」という言い方も友だちが言っていたのを印象的に覚えてます。トップに様を付けるんだ…)は紅ゆずるさんだと教わりました。3人それぞれの写真も見せてもらいました。
女の人が3人いるとは思わなくて男の人2人と女の人1人がいると思いました。かわいいと言われたからかわいいと思わないといけないと思ったんじゃなく、かわいいと思ったし、きれいだと思いました。濃くないメイクで、肌が透き通るようにきれいだと思いました。目がきれいだと思いました。綺麗綺麗綺麗。そのきれいさは、取り繕った見た目だけじゃなくて、たのしそうで、いきいきとして、知的で、つるっと卵から生まれたままのような透明な自然なきれいさだったのです。
これが宝塚?
メイクが濃くて顔色が悪く肌が荒れてたタバコくゆらし先生とは大違いだ。(念のために書き添えますが、タバコくゆらし先生と宝塚はなんの関係もありません。わたしの中で絡み合ってこんがらがっていたのです)
へえ。自然だ。
宝塚にわたしが1歩近づいた瞬間でした。

ここからいわゆる布教が始まっていたのです。友だちは布教するつもりはなかったと思います。ただただ必死で七海さんを愛しているその姿を見てわたしも布教とは気付かず完璧に布教されていました。

〔わたしが考えるわたしの布教成功要因〕
(1)信頼感と安心感

その友だちは淡々としつつ熱いひとで、七海さんがかっこいいことやどんなに好きか、仕事後のお茶を飲みながら、電車で一緒に帰りながら、話をしてくれました。どれだけ話をきいたことか。七海ひろきさんの顔がいいこと、かっこいいこと、美しいことだけではなく、舞台にかけるまじめな姿勢、ファンへの心配り、優しさ、七海さんの語る言葉の全てが尊敬できて好きだと語りました。めっちゃ語っていました。その話をふんふんと聞けました。
宝塚の世界で言葉が重要視されることに新鮮なおどろきがありました。宝塚のスターはただただきらきら輝いているひとだと思っていたら、そういう地に足の着いた言葉のやりとりや温かい心の交流ができる世界なんだと初めて知りました。洗濯板トラウマは根深かったのですが、同じ仕事に就いて価値観を共有できるひととして友だちを信頼していたことは安心感を与えてくれたのだと思います。七海さん話をきくたびに、バレエスクールの洗濯板集団と宝塚は別物なのだと、映画『十戒』で海がぱかーっと割れるように"分離"していきました。

(2)シンパシーを覚える
友だちが心配していたとおり、七海ひろきさんの退団が決まりました。
みるみるとうちしおれていく友だち。
七海さんを自分の人生に必要な存在として語っていました。その「好き」は、かけがえのないひとを思うLOVEでした。わたしはちょうど父を闘病の末に亡くして別れの過程がまだしみこんでいた頃でしたので、別れのカウントダウンを生きなければいけない宝塚のスターさん、友だちに代表されるファンの方々にシンパシーを覚えました。思いやる気持ちが芽生えてきたのです。宝塚にさらに1歩近づきました。

(3)祭りに参加したくなった
「公演が始まるんです」
七海さんの退団公演を前に静かな決意を固めていく友だちの姿をみて、くわしく聞いてみたくなりました。退団までの日々をどのように過ごすのか、七海さんをどんなふうに応援しているのか、七海さんを応援するためにどれだけの時間とお金と体力が必要となるのか、ここでは挙げられませんが、具体的な計画と数字を出して示してくれました。その時間と金額はわたしが思っている桁を大幅に外れていました。好きなスター様を応援するために宝塚ファンはここまで尽くせるものなのか、そこまでやるのかと感動しました

「最後だから七海さんのお芝居を観てみたいです」
「ほんとですか、じゃあチケット取りますね」
退団公演のチケットをすみやかにとってもらえました。友だちのためになにかできることはないか、七海さんの最後の勇姿を見届けてみたい、リアルタイムで共有したいという気持ちが湧いてきて、ふらっとそんな流れになりました。宝塚を観たいって自分から言うのは初めてだった気がします。友だちのいわば"狂っている姿"を観て感動して、情が湧いて情にほだされて、この祭りに参加したい、という気持ちになったんだと思います。まさかやがて自分がこの宝塚歌劇を愛するひとびとの世界の住人になるとはこの時は考えもしていません。

③星組公演『霧深きエルベのほとり』『ESTRELLAS(エストレージャス) ~星たち~』

2019年1月10日。
十数年ぶりの宝塚観劇。ひとりぼっち。巨大な花に圧倒されます。

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今日のミッションである七海ひろきさんをちゃんと確認できるかどうか心配でした。
心配で落ち着かなくなってきたので、隣の席の優しそうな女性の方に話しかけてみました。
「七海ひろきさんファンの友だちにチケットを取ってもらいました。初めて観るので七海さんが分かるかどうか心配なんです。出てきたら教えてもらえませんか」
「いいですよ。でも分かると思いますよ」
「石を投げる場面がわかりやすいとききました」
「あ、そうですね。でも他でもすぐに分かると思います」
安心しました。

始まりました。物語に入りこみます。カールせつない。
七海さん出てきた!
隣の席の方がそっと合図してくれました。目配せして黙礼しました。この場をお借りしてご親切に心からお礼を申し上げます。ありがとうございます。
七海さん。ブーツかっこいい。石を投げている。お客様が笑っているところをみるとこれはアドリブっぽい。すらっとしてる。女の人なのかな。見えない。かっこいい。

七海さんのお芝居は、おおげさなところが全くなくて、自然体でした。とても爽やかな好青年です。紅ゆずるさんはじめ星組のみなさんのお芝居も自然体です。ふつうのお芝居を観ているのと同じように観ていました。

最後に「あばよ」って言います、と友だちから聞いていました。
「あばよ」って行った瞬間、劇場のお客さん全員がふわっと身を乗り出すように七海さんに気が集中しているのが伝わりました。これは独特の空気を感じて、うわっなんかすごい、みんなで見送ろうとする気持ちで一体となってると息を呑みました。恥ずかしながら、わたしは七海ひろきさんのファンだけが盛り上がるだけなのかと勘違いしていたのです。違いました。みんなで見送るのです。宝塚大劇場にいるお客さん全員と舞台にいるひとたち全員が七海さんを愛していて、みんなが七海さんとの別れを惜しんで、一挙手一投足を見守っています。優しい。とてもあたたかい。しかも騒いだり声もあげずに静か。静かに見守っているのです。静かなのに情愛が劇場内にひろがって心にしみこんできます。空気に溶けた愛情が肌にもしみこんでくるような気持ちの良さを感じます。"慈愛"という言葉が浮かんできました。なんてあたたかくて優しい空間なんだろうと思いました。

エルベの物語はシンプルなラブストーリーで、演出も緩急良くて、ひとりひとりのお芝居が丁寧ですてきだと思いました。トップ様とトップ娘役様の呼吸がぴったりでした。トップ様のお芝居がいいなあと思いました。「じゃあみんな、あばよ」と笑顔で旅立つ七海さんを舞台の上の生徒さんたちと客席のみなさんが心ひとつに見送る演出も、ラストシーンまで切なくも優しい愛に満ちた舞台でした。1幕が終わって友だちに書き送ったのがこれです↓

絶賛幕間中!
トビアスかっこいい!
石投げてた!
ブーツインかっこいい!
美しい!
オペラグラス借りて良かった!
昨日聞いてたので分かったし、
隣のひとに出てきたら教えてくださいと言ってたらそっと教えてくれました
良かった!
良かった!
良かった!
ベティと結婚して幸せになってくれー
カールかっこいいぜ
紅ゆずるさんかっこいいぜ

コミカルなのもうまいぜ

七海さんばかり見てました
美しいですね
ほんとにお綺麗でいらっしゃる
キラキラしてる
足なっが!ほっそ!
手がキレイ
めっちゃガン見
うはっ

(うはってなんだ。声にならない魂の叫び?)

2幕目。レビュー。

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レビューもいろんな歌を聴けて多彩な演出でした。七海さんは平井堅さんの「POP STAR」を歌うと聞いていました。七海さんが出てくるとふっと空気が引き締まりながらもあたたかい。聞いてて思わず涙が出てきそうになります。なんでだろう。退団が惜しいと思っているのです。つまり初めて観たのにもうすっかり七海さんはわたしの懐に入っているということなのです。浸透力がすごい。紅ゆずるさんは明るくてあたたかいひとだと思いました。綺咲愛里さんはきれい。礼真琴さんは歌がうまい。スターライトパレードは本家よりもうまいと思いました。キラキラしたパレードにも初めて観たような心地で圧倒されます。終演後、「エストレージャス」なのに「えすとれーらす」と聞こえたままに友だちに送ったのがこちら↓

えすとれーらす熱く~
かっこいい~
華やか~
めくるめく~
大人だ~
うまいなぁ~

なんか泣けてくる~

七海さん、きれいですね
気品がある
高貴な面立ち
耳から頬、顎にかけてのフェイスラインが格別美しいですね

口元をきゅっと締めた時の唇のかたちにときめきました
しかも口を開けても神々しくてギリシャ彫刻かと
さらにふわっと自然に笑うときゅんとくる
美しい~

平井堅、歌ってましたね
すてきでした

羽!
良かったですね

ちょくちょくトップ様と絡んでた気がするんですが間違いじゃないですよね
尊い…と思って見てました
お別れだとは切なすぎる
せつな…

終わった後、七海ひろきさんが出てきたら教えてくださいとお願いして教えてくださったお隣の方にお礼を伝えました。目元をぬぐいながら、「よかったですね、観られてよかった」と喜んでくださいました。

胸が熱くなりました。

退団公演は特別なものなので、その雰囲気がとても温かくて良かったのです。
みんな笑う時は笑うけど、ひとことも聞き漏らすまいと声も立てずに聴き入っててるし、どんな動作さえも見入っているのでした。
七海さんのことが本当に大好きでこれからもずっと愛していきますっていうみんなの優しさや慈しみが会場の空気に満ち満ちて私の細胞レベルまでしみました。この宝塚大劇場は、ずっとこのような儀式を繰り返してきて、壁に長年しみこんだ優しさと愛情がみんなの熱気で劇場内の空気ににじみ出て包まれているように感じました。愛にあふれた空間ってこの場所のことかと心が震えました。

急にこの空間がいとおしくなって記念に写真に撮りました。

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七海ひろきさんの退団公演。
このたった1度きりの観劇で、今までの凝り固まった意地はなんだったのだろうと夢からさめたような、目からウロコが落ちて、肩の荷が下りたのでした。友だちともしきりにやりとりをかわして、宝塚との距離が一気に縮まりました。あんなに距離を置いて心も閉じていたのに、宝塚に対してフルオープンになっている自分にびっくりします。

けれどこれからです。
明日海りおさんとの出会いが待っています。



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