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大河ドラマ「おんな城主直虎」:直親を生きてくれた三浦春馬さんが最高だったこと


三浦春馬さんへ
この大河ドラマに出演してくれてありがとう
あなたが生きた井伊直親のことは決して忘れません
直親を見事に生きてくれてありがとうございました

この『おんな城主直虎』は傑作です
三浦春馬さんもこのドラマを傑作に成し遂げた立役者のひとりです


​「おんな城主直虎」
2017年1月8日から放送[全50回]
脚本:森下佳子 制作:岡本敏江 音楽:菅野よう子
出演:おとわ/次郎法師/井伊直虎(柴咲コウ)
   亀之丞/井伊直親(三浦春馬)
   鶴丸/小野政次(高橋一生)

 三浦春馬さんが演じた、井伊直親(なおちか)は、遠江の小国・井伊家の当主筋の子。当主の姫君おとわ(柴崎コウさん)のいいなずけ。しかし、父の謀反発覚と暗殺によって長年にわたり孤独な逃亡生活をすごし、帰国して晴れて井伊家の当主となったのもつかのま今川氏に謀殺されるという、悲しいといってもあまりある過酷な運命を背負った登場人物です。そのような人物を三浦春馬さんはみごとに愛情深く生ききってくれました。

 
 爽やかなお写真…
 三浦春馬さんの直親は、澄み切った青空のような爽やかな佇まいをみせます。けれども同時に、命を狙われ続けた長い逃亡生活の過酷さを想像させる、心の翳りを深々とみせてくれたのです。
 屈託のない笑顔と裏腹な寂しそうな横顔。政次を翻弄する冷ややかなまなざし。直親が何を考えているのか、このひとはどこまでひとを信じているのか。直親自身もどこまで信じて良いのかわからなくなる複雑さで、観るひとの心にさざなみを立てつづけました。

 全50回のうち、12週までの出演なのに、柴咲コウさん演じるおとわ(立場の変化と共に、呼び名が「次郎」から「直虎」へとチェンジします)や、高橋一生さん演じる(元服してからは小野但馬守政次)の人生を大きくゆるがし、死して後も、彼の想いと志が画面上に遺って、この家のひとびとをずっと見守っていることが感じられるような大きな存在でした。

その表情で、佇まいで、ひとりの人間の奥深い魂を見せてくれた。
そんな三浦春馬さんの直親について語ってみたいと思います。

①ストイックで美しくせつない恋の物語。

 逃亡生活の間おとわを想い続けていた直親は、戻ってくるやいなやおとわと祝言をあげようとしますが、井伊家存続のために出家したおとわはそれを受け入れることができません。2人の間には埋められない時差と越えられたい壁があったのでした。おとわと直親の叶わぬ恋が切なかったのです。出家の身ゆえに色恋を自戒しながらも、まっすぐに想いをぶつけてくる直親にだけ見せるおとわのはじらいやときめく表情が新鮮でした。

 家を守るというおとわの意志をやがて直親は受けとめ包み込みます。正面から抱きあうことを互いに許さず、直親が次郎の背中から抱きしめ、その手に次郎がそっと手を添える。指の先だけでわずかに触れあうシーンのストイックな美しさといったらない。たまらなくせつない。せつなすぎる。

②三浦春馬さんと高橋一生さんの腹の探り合いのお芝居の緊張感

 高橋一生さん演じる政次(まさつぐ)との緊張感ある場面は大変見応えがありました。のんびりとした爽やかな笑顔をInstagramにあげていますけど、この検地の回では、因縁のある政次を身代わりに殺してしまうのではないかとこわかったです。


 この直親、観るひとの心を翻弄しつづけます。
 おとわをめぐる、政次との腹の探り合いも毎回スリリングでした。直親が、政次に「どれだけ待ってもそなたのものにはならぬ」と言い放つ場面があります。笑顔なのに、目は笑っていない。こわいのなんのって。
 直親は、重臣の娘しの(貫地谷しほりさんもよかった)と婚儀をあげます。おとわと結ばれることは叶わないのに、それでもおとわを離そうとしない独占欲の強さ。それはこわいほどの愛情の裏返しでもありました。政次の秘めた想いに直親だけが気付くところもまた鋭くて怖い。堂々とした当主の貫禄をもちながら、懐に良く切れる刃を秘めたような直親の鋭さと危うさ、すべて腹の内におさめている度量の大きさ。いや器が大きいのか小さいのか、それすらよくわからないのです。
 外側のまぶしい明るさとは対照的な、井戸をのぞき込んでも何もみえないような直親の内面の仄暗い怖さ。
 「サイコパス
と直親にあだなして毎週のように戦慄していた当時のリアルタイム実況のTwitterを懐かしく思い出します。

③当初の設定を超えた、高橋一生さんとの"化学反応"

脚本家・森下佳子さんのもくろみとしては、直親はこんなはずではなかったことをこの記事で知りました。

_『直虎』も、信用がおけないはずの鶴、高橋一生さんのほうが信用できるんじゃないか、っていうような、変な逆転現象がありましたよね。まっすぐすぎる笑顔の三浦春馬さんのほうがなんか裏があるんじゃないかというような。

森下 あ、それはね、芝居と芝居がぶつかったんですよ。

森下 あれは、私が思うよりウェットに解釈した高橋一生さんと、逆に、私が思うよりドライに解釈した三浦春馬くんが化学反応を起こした結果、と私は見ています。

 森下さんのこの言葉を読んで、三浦春馬さんと高橋一生さんの芝居の強さをあらためて感じました。
 実際の年齢は高橋一生さんと開きのある三浦春馬さんですが、画面上の彼には当主としての堂々とした佇まいを感じました。のちにまた悲劇的な最期を遂げることになる政次ですが、この時期から政次の不憫さに心打たれるようになってきたのです。高橋一生さんの演じる政次の屈折した繊細な表情は、この三浦さんと対峙するからこそはかなく美しい輝きを放ったのだと思います。

④直親のことが好きになっていきました

何を考えているかわからない直親にも様々な転機が訪れ、緊張がとけていきました。次第に彼のことを愛すべき存在として、この物語にいなくてはならない存在としてこの物語世界に確かに息づいていきました。わたしにとっては愛すべき存在でした。この物語をみているひとの多くがそうだったのではないかと思います。
 内容の深刻さとは対照的なチャラチャラした、イケメンパラダイス、あなたはどっち派、などという言葉がSNS上で拡散されるようになりました。
  亀 = 亀之丞 = 直親 = 三浦春馬さん
  鶴 = 鶴丸 = 政次 = 高橋一生さん
この呼び名の使い分けもポイントなので簡単に幼名を呼ぶな!と思っていました。

わたしはどっちでもよかった。政次(鶴)のほうが不憫なように見えましたが、直親(亀)が出てくるときのぱっと画面が華やぐ感じがあってのものでした。ふたりがいることが必要でした。

亀と鶴とおとわ、幼なじみのこの3人が好きだったのです。3人が語り合う場面は、柴崎コウさん・三浦春馬さん・高橋一生さんの3人の息がぴったりあっていました。間のとりかたにも気心の知れた情愛がつたわってきました。この悲劇の多い作品の中でも楽しくほっとできる場面でした。いつまでも観ていたいと思っていました。この3人がいる世界が大好きでした。


⑤「いないのに、いる」存在感

 死んではいけないひとのはずなのに、突然訪れる直親の死。直親は今川氏の呼び出しを受けます。それは死を意味しました。死を覚悟しておとわと抱きあう場面は、今思い出しても胸が苦しくなります。 
 今川氏のもとにむかう途中、直親は命を奪われるのです。

 斬られてもなお立ち上がり、「井伊谷はどちらだ」とかすむ視界のなかでも直親は帰ろうとするのでした。目を閉じて地に横たわる直親の上に雪が舞い降りてきます。寺の僧侶たちが捜しにやってきたときには時既に遅く、雪に埋もれた彼のなきがらをだきかかえて慟哭する姿は悲しかった。直親はこの物語世界にいなければならないひとだったのに、死んでしまったのです。

しかし直親は死してなお、最終回に至るまで、あらゆる登場人物のこころに生き続ける別格の存在感を放ち続けていました。
 それは、脚本の森下佳子さんが人物像を丁寧に作り込んでいただけでなく、三浦春馬さんが井伊直親という人物を、地に足の着いたひとりの人間としてしっかり生きたからです。全50回のうち12週までの出演なのに、彼の存在感は大きく物語世界に根を張っていました。それゆえに喪失感も大きく、決して埋められることのない悲しみをもたらしました。直親の遺志を受け継ぐためにおとわは井伊家の当主となり「直虎」としての人生を生きることになるとき、直親の愛はこの世界の大気の中につねにあって、おとわを包み、彼女と井伊家をずっと見守っているように感じられたのです。
 実際に、おとわと政次が、幼き日の3人が仲良く語らった井伊家の古井戸にたたずみ、今は亡き直親にむかってことあるごとに呼びかけるシーンがあります。三浦春馬さんはもちろん登場しませんが、直親がそこにいる、そこで見守っている、そんな存在感を画面から感じ取ったのです。それはわたしだけではないと思います。
 柴崎コウさんと高橋一生さんの目のお芝居がそもそもすばらしい。それはもちろんのことですが、「いないのに、いる」ように感じられる直親の存在感、彼を生きた三浦春馬という俳優がこの物語世界に残した爪痕もまたすごかったのです


⑥三浦春馬さんが作り上げた直親の魅力

 大河ドラマに子役としても出演経験があるので、その時代の空気に馴染むということに長けていたと思います。着物が大変よくお似合いで、髷姿も美しく、ただ歩くだけ、座るだけでも武家の当主としての風格を感じさせ、刀を持つ、笛を構える、箸を持つ所作は常に気品にあふれ端正で凜々しく美しかったです。
 しかし、三浦春馬さんは、時代劇の勧善懲悪的な類型をわかりやすく演じるようなことは決してありませんでした。むしろこのひとはこういう人物だ、とひとことでは括ることのできない人物を繊細に演じてくれました。
 優しいまなざしと、冷ややかなまなざしのギャップ。笛をかまえる手の美しさ、おとわと但馬に対する声の使い方。その一挙手一投足のひとつひとつに、爽やかで美しく、時に打算的で、時に心底から人なつこくて人恋しくて、人間としてどこかいびつなようで、常に死を意識して達観しているような、おとわへの一途な純愛を生きるかのように見せて、後に隠し子が発覚して「スケコマシ」とユーモラスに言われたような調子の良い色好みでもありました。まさに人間らしい、多彩な色彩と輝きを放つ井伊直親でした。
 とりわけ魅力的だったのが、その陰と陽の緩急つかいわけた自然な自在さでした。太陽の光にもたじろぐことのない明るさと、ひとり孤独の淵に沈み込むような昏さを目のまたたきだけで表現して、その瞳の奥に本当は何を考えているのかと観るひとの心を自然とひきつけました。
 三浦春馬さんの演技は、わざとらしさやおしつけがましさ、これみよがしな演技とは対極にある、繊細な表情や佇まいによって生まれていました。自然なので、怖い。美しい。人間とはかくもわかりづらく、説明しがたく、だからこそ愛おしい存在なのだという深い理解をみせてくれました。
三浦春馬さんが生きた直親は、三浦春馬さんだからこそ生み出せた、唯一無二の存在でした。


⑦3人のことが大好きだった

 総集編の最後に、直親と政次とおとわの3人が並んで登場する、という嬉しい新規場面がありました。この撮影時はスタッフのみなさんも涙ぐんで喜んだといいます。このときのTwitterの盛り上がりを忘れることはできません。3人がまた仲良く並んで囲碁を打っている。うれしかったあ。

ツイッタートレンド世界1位。つらすぎるドラマだったから喜びすぎた。みんながこの3人のことが大好きだったのです。

柴咲コウさん、高橋一生さん、そして三浦春馬さん。
この3人が軸となったくれたからこその傑作ドラマでした。
すばらしいお芝居をありがとうございました。


⑧三浦春馬さんの時代劇をもっともっと観たかった

 この表情は、まさに直親です。

↑こちらのHPに入ってスクロールすると、「Branded content」内に「NAOTRA Live」として公開された直虎の予告編動画を見ることが出来ます。三浦春馬さん演じる直親が美しく微笑む姿を観られます。とてもよくできた映像ですので一見の価値あり。おすすめです。

 時代劇ならではの衣装の着こなし、所作の美しさ、陰と陽を絶えず揺れ動くひとの心の奥行きを感じさせて、ひとの心を震わせる的確で思慮深いお芝居のアプローチ。余計な芝居や大きすぎる声量で画面を支配することよりも、人物の心を丁寧にたどることを大切にしつづけた三浦春馬さんのお芝居が好きでした。

 もっと観たかった。残念でなりません。

大河ドラマ『おんな城主直虎』の直親が消えることのない存在感でおとわと政次の心の中に生き続けていたように、三浦春馬という俳優の存在感もまた消えることはないのでしょう。



三浦春馬さんが亡くなって百か日。
やっと直親について書くことができました。
まだ語れないこともいつか言葉にできる日が来ますように。
 

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