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海の底でしか見られない美しさについて


#8月31日の夜に

全く説得力がないと思いますが
たとえば10代の方々は学校にがっかりしても
好きなひとに心を傷つけられても
できれば生きててほしいなぁと思います
学校に行かなくて良いから
その場所だからこそ見える風景が存在するから
その場所でしか見られない風景が存在するから
その美しさを知ってほしいし見てほしいのです
その美しさを一緒にみられるひとがいるから
そんな思い出を書きました


高校2年の夏、放課後、
好きなひとと大事なことを話しあっていた。
黙ったままそのひとは消しゴムを弄んでて、
ふと転がって消しゴムが机の下に落ちた。
そのひとは立ち上がって消しゴムを拾った。
じゃあ帰るわ、といってそのまま帰って行った。

違うクラスだったので自分の教室に戻ると、誰もいなくて電気も消えていた。窓の外はポプラかなんだったか広葉樹系の木の葉が繁りに繁って太陽の光をさえぎっているのでこの2階の教室は毎日暗い。席に座り机につっぷして、自分の存在価値は消しゴム以下だと反芻して鳥肌がたった。今急に分かったことではないんだけどあいまいなのとあからさまにされるのとでは完全に世界が違うと気付いた。涙なんか出ない。空しいだけ。机に密着させた額に汗がにじんで前髪がぺたっとしてきて気持ち悪くなったので、顔をあげて見ると、窓の外は木の葉がびっしりと繁っていて、ここから飛び降りたくても飛び降りることもできないなあと葉っぱの重なりの陰翳が限りなく黒に近いグラデーションになって壁のように貼りついているのを見ていた。

そこにクラスの子が戻ってきた。
まだいたの、まだ帰らないのと無表情で聞かれた。
無機質さにこの子も疲れてるんだなと感じた。
そうだね、帰ろ、と返事して立ち上がり、
かばんをとって教室を出て一緒に帰った。



それで絶好の死に時を逸した。


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もし校庭の樹木の葉っぱが繁って窓をふさいでいなかったら
もし暗い教室に暗い表情をしたあの子が戻って来なかったら
偶然は偶然だったのか必然だったのかそれは永遠に解らない

生きづらさ、生きづらい人という言葉をきくたびに
生きづらくない人が存在するのかと不思議に感じる
狂わないひとのほうがおかしいといつも思っていた
自分も早く狂ってしまえばいいのにといつも思った

その後も消えてしまいたくなる時はたくさんあって
このひとなら良さそうと思う先生があらわれたので
自分のそんなきもちを正直に伝えてみることにした
するとその先生が困った表情をしながら聞いてきた
「あれをしたいとかこれをしたいとか欲は無いの?」
さらにこの言葉を聞いてわたしはこのひとに幻滅した
「くすりとか飲む方法もあるよ、あ、精神科ね」

机の上に飾られた花は枯れたら捨てられるだろうと思った
何事も無かったように世界は進んでいくのだろうと思った
つまらない死体になって終わらされると思うと悔しかった
それだけは絶対にいやということだけがわたしの欲だった

与えられた痛みは消えないし傷は永遠に癒えることはない
あのひとに決定的な傷痕をつけて生きた証を残したかった
それすら次第に気力が萎えていき心底どうでもよくなった

ぬけがらでもそこそこ生きていけるんだ
あまり気にされないし気付かれないから

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大学の寮に入って仲良くなったひとつ年上のひとがいて
月が綺麗だから電気を消しベッドの上で寝待ち月をした
寝ながらなにげない話をしていて
今まで何もいったことはなかったのに
「海の底に沈んでるみたいに生きているんだよね」
と映画のせりふみたいなことをふんわりと言ってくれた

ひとりで見ていた風景を言葉にしてくれて嬉しかった

「いよいよ死にたくなったら最後に電話してね」というので
「うん、そうする。そっちもしてね」
「うん。かならずそうする。楽しみ」
部屋の天井に向けてのばした手をにぎりあって笑った
並んで見上げた天井の蒼が本当に海の底みたいだった

そのあと眠ったのでその会話はたった一度それっきりだけ
寮を出たそのひとの行方を知らないのでもう連絡できない
偶然だったのか類は友を呼ぶのかどっちかわからないけど
こんな出会いができたのも何かが響き合ったからだと思う

その刹那
そのひとがわたしを救ってくれたように
わたしもそのひとを救ったのかもしれないと思う

海の底に沈んだひとだけが見られる風景を見ている
海の底から見える青の儚い色の美しさを知っている
その風景を共有できなくていつもさびしかったけど
自分と同じように海の底に沈んでいるひとに出逢い
海の底でしか見られない風景の美しさを語り合える
その瞬間はお互いの心の境界がなくなった気がする

それだけでも生きてきた、生きていく意味は十分あると思う

IMG_4965 (編集済み)

昼と夜のように
夜と朝のように
生と死の境目はあいまいですれすれで
剥離と癒着を繰り返して痛みを感じる
臓器移植はあれど心の移植はできない
目にはみえない血が流れて止まらない

消えないでと祈る心と消えてしまいたいと願う心
矛盾しているけれどどちらの願いも共存している
破壊と創造という2つのものに引き裂かれながら
矛盾と葛藤との境目に漂うひともいるんだと思う
その境目の深い溝に落ちて海の底に沈んでしまう

生きてもいいし
どっちでもいい
あとのことを考えるのもいいし考えなくてもよし
いいとかわるいとかはそれぞれ考えてきめること

矛盾と葛藤の中でも生きててほしいけど
それでも死ぬというのならしかたがない
芥川も太宰も三島もそこにいるんだよね
錚々たる素敵なメンバーがいらっしゃる
あの素敵なひとももうすぐ着く頃だよね
そこはにぎやかで楽しそうな気がします


いまつらいときにいるひとへ
でももし今日が絶好の死に時でないなら
今日も海の底で生きてみよう
わたしもそうするから


海の底にいるひとだけが見られる儚く美しい風景
きっともっと綺麗な風景を見られるかもしれない
その風景をだれかと一緒に見られるかもしれない


マラソンランナーは
次の電柱まで次の給水場までがんばろうと考えるそうです



次の満月を見るまでもうすこしがんばってみようよ


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