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モラトリアム中に考えたこと-まとめ(23歳)

 テスト勉強中に限って掃除が捗ること、ありますよね。修論提出が一ヶ月先に迫っている中、その状態に入ってしまいました。年末だししょうがない。  今回は学生最後の年末ということで、部屋の掃除だけでなく、あちこちにとっ散らかっていた考え事の大掃除にも取り組みたいと思います。「大学院はモラトリアムの延長」と言われることもありますが、自分はまさにそれで、この2年間でやっと自分の軸が安定してきました。どんなところに落ち着いたのか言葉にしてみたので、お暇な時間にでも読み流して頂けると幸いで

    • 微かな意志と反射が人格ではないか

       最近、AIは感情を持つかという類の話を友人としたのをきっかけに、精神・人格とは何かという問いを頭の中で回している。久しぶりに内的な方向性の強い考え事をしているが、世界への好奇心の裏返しとしての内的思考なので、昔みたいに苦悩的な感じはしない。自然と、柄谷行人の『世界史の構造』を読み返してるのも、その傾向を示していると思う。  最近1~2週間でなんとなくまとまった考えはこれだ。 仮説:「微かな意志と反射が人格である」  「かすかな意志」というのは、理性と言って想像するよう

      • 物質世界観とクオリア世界観どっちも持つのが良さそう

        最近まで自分の中では、「感情も精神も物質の動きの中の結果でしかない」という言葉を好んでいた。 この前、スタンスが異なるある友人と話したときも、この論を気持ちよく吐き出していた。 しかし、今日の仕事中にふと感じた。あれ、物質の動き、関係性の中に感情が生じるとして、その感覚の存在は物質空間で証明できなくない?と。 感情を例に挙げれば、喜びの感情を持つ際に起こっている脳活動は一対一対応的に定義できるかもしれないが、その喜びの感覚・クオリアは何も説明できていない。 感情だけじゃ

        • 道徳は大事だ

          1. はじめに 前回記事では、何か行動するためには、今と未来の関係性としての道理とを知る必要があると書いた。今回の記事では、自分が幸福に生きるためには、人間社会生態系の運動性質としての道理を知り、その良き道を示した道徳を大事にする必要がある、というテーマで書く。  きっかけは、最近友達との過去話などする中で、自分の学生時代12年間がどの様なものだったかを考えたことにる。正直言って、虚無感と恥が濃く混じったモラトリアムだった。友人達と比べるとかなり濁っている。  この哀しみの

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        モラトリアム中に考えたこと-まとめ(23歳)

          道理を知るってかっこいい言葉だ

           本屋で平積みになっていた『現代語訳 学問のすすめ』と『現代語訳 論語と算盤』を読んだ。福沢諭吉と渋沢栄一は、似たようなことをいくつか言っている。知ることと行うことには天と地ほど差がある、というのがその一つ。  自分は知ることに関して少し得意なところがある。昔は新書ばかり読み、図書館に行けば全部読めたらいいのにと思っていた。これは知識に対する脅迫観念に近い。知識があればこの世を理解でき、したいと思ったことをできるようになると思っていた。  しかし、大学を卒業して企業に就職

          道理を知るってかっこいい言葉だ

          行動規律という縛りの有用性

          考えたことの書き留め。 自分の組み立ててきた思考は世界観ベース。行動規律は弱い。 行動規律という縛り(呪い)を有効に作用させ、行動の迷いを取り除くことで、とりたい行動を省エネルギーで実行することができる。 行動規律群のチョイスでその人の味が出る。(音楽で言う調性のようなもの) 虚無的世界観の上で行動規律が弱いと、その場その場の欲が優位に立ちがち。時間をかけてのチューニングもできない。 敢えて、行動規律群という呪いを意識し、それによる効用を確認しながら、それをチューニング

          行動規律という縛りの有用性

          人間、思考も含めて動物的

          最近、寝る前にぼんやり考えていてしっくり来たことがあったので記す。 自由意思の存在を考えたとき、精神の神聖的存在を認めない限り、我々の意思は物理法則に従って完全に定まっているのであり、未来を変えるような自由意志は存在しないという結論に至る。 この考えは昔から変わらず自分の中になるが、この考えは扱い方次第で〈実践〉に影響を及ぼす。例えば、「全ては決まりきってることなんだから努力したって無駄じゃないか」と考え無気力になるとかだ。 私は自分の中の性質として、「何かしら努力する

          人間、思考も含めて動物的

          思考・記憶・感情はいつ・どこで存在してるんだ?

          前回『今を気持ちよく過ごすために』の記事をまとめてから、特に欠乏感を抱くこともなく満足感を持って過ごしてきた。これでついに内向的ではなくて外向的な考え事ができ、もっと生産的な人間になれるかもと期待していた矢先、厄介な本に出会ってしまった。その本のせいでまたもや内向的な思考が巡り巡っているので、それを文字としておこし、記録し、あわよくば他の人の目に触れてもらうため、この記事を書くことにした。この思考は全く内容がまとまってないので、この記事はほぼ日記・議事録として書く。 私は学

          思考・記憶・感情はいつ・どこで存在してるんだ?

          今を心地よく過ごすために

          0 はじめに ※この記事は自粛生活に関するものではありません。 きっかけは「最近、ストレス少ないな」という感覚だった。そこからふと「満足感を与えているのは何だろう」という疑問が生じ、これを考えれば、今後にも役立つかもしれないと、一ヶ月程この問いに付き合って来た。 まずは、はじめの前提として「無意識下の信念が日々の感じ方に影響を与えている」と考えた。 これは下の過去記事内に貼ってある記事から影響を受けたもので、普段の行動判断や、日常の中で感じている感情は、もとを辿れば無意識

          今を心地よく過ごすために

          満足感を持って過ごすために

          3回目の投稿。最近、何だか心落ち着いて日々を過ごしている。虚無感から大分離れたところまでやって来れた感じだ。中高時代に猛烈な虚無感と付き合い、学部時代もちょこちょこ虚無感に包まれていたが、ここ何ヶ月かは殆ど虚無感を感じることがない。この心の安定の原因はなにか、逆に虚無感の原因は何かを深堀りできれば、今後の支えにもなると思い、言語化して考えることにした。 この思い付きは、あるnoteがきっかけだった。ミシダヨウスケさんがメンタルモデルについて書いた記事だ。ここでは、人の「行動

          満足感を持って過ごすために

          初投稿

          前から少し興味と憧れを抱いていたnoteに手を出してみる。 目的は、頭の中のもやもやを取り敢えず言葉で紡ぎ出してみて、思考を先に進めること。頭の中で考えをぐるぐるさせておくと、いつからか性分になった傲慢によって、その考えの正しさを守ろうとしてしまう。それよりかは、取り敢えず言葉という扱いやすい構造を用いて、思考を手の平にのせて眺めた方が、自分の考えを少しは客観的に分析できるはずであるし、そう願いたい。 ただ、言語化は直感的な感覚をルールに基づいて限られた語彙力という手札で

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