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人の意見に左右される自分についての考察。怒られたくない、責任を負う事の恐怖から来ていた生存戦略だったっぽい!的な話

●自分は
人の意見に左右される時があってだな。

●人の意見に
左右されるのがめんどくさいから1人になりたかったり人の意見を聞かないようにしたりしていた。と氣がついた。

●それは
前提として『人の意見が自分の人生に影響する』と思っていたからだった!

●その前提を
採用していた理由を
もっと掘り下げると人の意見を採用していたら何かあった時に自分で責任を負わなくて済む。というメリットがあった。

●だから
楽だと思っていたっぽい。そしたら怒られないし怒られたとしても自分は悪くない!とどこかで言い訳ができる事が魅力だったから採用していたのだろう。

●それが
いいとか悪いとかではないが、その前提を採用していると人の意見が自分の意見に沿わない時に過剰に反応してしまう。という事がある。

●前提が
『人の意見が自分の人生に影響する』を採用していると意見が違うという事を過剰に恐れてしまい同化を求めてしまう。それは依存に繋がる。

●人の意見に過剰に反応するのは
自分で責任を負いたくない。怒られたくない。自分が責任を取る事の恐怖から来る生存戦略だった。

●それが
今までは必要だったのだろう。それは自分でもわかる。ただ、全てにおいてその前提を採用していたら自分で決断する時に人の目を必要以上に氣にしてしまう。

●これの
改善策を一言で言うと『人の目は氣にしなくてもいい』『嫌われる勇氣』を持つといい!という事になるのだろう。何度も人に言われた事があるし本で何度も読んだ事もある。知っている。わかっている。

●ただ
自分は自分で導き出した答えでないと納得できない。自分と一致している言葉でないと動けない。


めんどくさい奴なのだ。

だからこそ自分ぐらいはそんなめんどくさい自分と仲良くするのだ。


●それで
今回の自分の持ってる前提に氣づいてどうするの?!て話だが

『人生は自分で素晴らしくできるから人の意見は聴いても聴かなくてもいい!』

的なところで落ち着いた。


●人の目を
氣にしてもしなくても、嫌われる勇氣があってもなくても自分で人生を素晴らしくする事さえしておけば人の意見はどっちでもいいのだ。

●これは
俺の人生なのだ!

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