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ディスカッション 荒木源希×和田寛司  (司会:河野直)

第5回共通項

和田寛司氏・荒木源希氏の2名をゲストとして迎えた本レクチャーは京都会場からのオンライン開催となり、全国各地から参加者が集まった。参加者にはレクチャーを聞きながら、2者の取り組みに「共通すること」を探してもらい、チャットボックスに投稿してもらった(上図参照)。後半は、これらの中から深堀りしたい共通項を選定して、ディスカッションを行った。

設計と施工のバランスをはかる

河野:みなさんからいろいろな共通項を挙げていただきました。「建築家と施主さんと一緒に時間を紡ぐ」「手の即興性、場の即興性」「2人ともセルフビルドで共通だが、やり方は全然違う」「施工しながら設計するは昔ながらの大御所設計者もやっていたことです。今日の2人にも共通することですね」「つくりながら考え」「マイアミさんの「即興し続けると即興じゃなくなる」というのと、荒木さんの「施工ばかりしていると設計したくなる」というのがつながるような気がした」「他者を信じる」「コントロールができないもの」「実感・体験・挑戦」「現場で作る楽しさを知っている」「自分の手と、その場に居合わせた人たちの手を大事にしている」「自分で作ることが楽しいと気付いたこと」「お二人とも手を動かすことを楽しんでると思う」「粘り腰なところ」「ウサギかカメかといったらカメ」「自分の建築の造り方を施工を通して深めている」「作業から施工から建築の価値を深めている」「お二人とも相手とのコミュニケーションが上手だと思う」「共に作る人に対する尊敬」。みなさんありがとうございます。少し話を深めたいと思うのですが、気になった言葉はありましたか。少し話を深めたいと思うのですが、気になった言葉はありましたか。
 少し話を深めたいと思うのですが、気になった言葉はありましたか。

和田:荒木さんが最初に施工をみんなでやった後、「何がしたかったのかわからなくなった」と言われたじゃないですか。そこで、現場に入る比率を減らして、設計のほうに重きを置くようにしたということでしたが、なぜそちらに行かれたのでしょうか。

荒木:なんででしょうね。でも、根源的には設計をしたいというのがもともとあるし、たぶんつくることを長くやればやるほど、設計をしたくなったということだと思います。現場は僕も大好きだし、お祭り的な状況は本当に楽しいので、たぶんいくらでもいられるのですが、それだけでは満足できなかったということですね。

和田:現場で実際に施工をしていると、「使う脳って違うんやな」ということを本当に思います。事務所にいて設計してる脳と、現場で働きながら考える脳はすごく違って、それを横断するのがめちゃくちゃ大変なんですよね。現場終わった後に帰って、パソコン立ち上げて模型作ってとか「まじで無理やな」って(笑)。だから、そういう意味ではスタディをめちゃくちゃ重ねて、かなり細かいディテールまで突き詰めていくっていう、設計事務所の所員時代にやっていたことは、現場では難しいなと思いますね。なので荒木さんが現場と設計の比重を変えたという話は「なるほど」と思いました。

河野:先ほど上がった、「マイアミさんの「即興し続けると即興じゃなくなる」というのと、荒木さんの「施工ばかりしていると設計したくなる」というのがつながるような気がした」と通ずるところだと思います。この項目を挙げていただいた権藤先生、一言いただけますか。

権藤:お話を聞いていて、「ふと我に返る」ということなのかなと思いました。ライブ後の静かな感じというか、まさに今マイアミさんの歌を聞いた後でそんな感じになっていますが、一通りやった後に何をやりたかったのかを改めて考えているような。上手く言えないですけど、とにかく最高でした(笑)。

和田:ありがとうございます(笑)。確かに、ずっと即興を重ねていくと、「パンチラインやな」と思ったものは次にもやってしまったりして、ある程度型みたいなのができてくると、最初のインパクトみたいなものはだんだん薄れていく感じはあると思います。

河野:ある意味、建築家も作風みたいなものがだんだん出来上がる職能とも言えるじゃないですか。それと、新鮮さのあるパンチラインというのは違う方向の話で、それがすごく面白いなと思いました。

その場にあるもの/人に頼る

河野:他になにかお二人の共通項で気になることはありましたか?

荒木:……土って、楽しいですよね(笑)。

和田:土って、なんであんな楽しいんでしょうね(笑)。

荒木:土ってその土地ごとに違うじゃないですか。どこにでもだいたい土はあって、それを使えば、その土地の素材ができるわけですよね。それがいいところだなと思っています。それでいて扱いやすくて、僕らみたいな素人でも、うねうねやっていればものがつくれますし。僕はそれがすごい好きで、よく使うようになりました。

和田:僕も大好きです。解体して産廃に持っていくときも、ボードとかだとめちゃくちゃテンションが下がるのですが、土だとすごく楽しくなるんですよね、なぜか。どうしてか自分でもわからないのですが、荒木さんの言うように、誰でも触れやすくて、誰でも形を作りやすいのはいいところですよね。

荒木:たぶんみんな子どものときに土遊びしてたでしょうし、DNA的にも農業に親しみがあるから、触ると潜在的に安心したり、楽しくなったりするのかもしれませんね。

河野:土レンガを自分たちでつくるって、めちゃくちゃ面倒くさいし、不確実性が高いと思うのですが、なんでそんなものをつくろうと思ったのですか。

荒木:まず「その場にある材料を使おう」というのがあったんですね。さらに、基礎工事のときに出た大量の土を処分するとお金もかかるしもったいないと思っていたところで、薪ストーブの遮熱に使えるんじゃないかとひらめいて、使うことにしました。

河野:「その場にある」って共通するキーワードですね。「その場にいる人」とか、「その場にあるもの」が大事なんですね。

和田:僕、「シゲルちゃん」ってメモっていたのですが、2回出てきましたよね。あれは別現場ですか。

荒木:別現場なのですが、施主同士がもともと知り合いで、お互いの現場に入ったりして、一緒に作業してるんですよ。それで、「木を使いたならシゲルちゃんだよね」って感じになって、相談して2つめの現場でも使えることになったのです。こうやってつくっていると、広がりもできて、建築に関わる機会をどんどん増やせていけるんですよね。

和田:建築って本当にいろんな人が参加できますよね。それで、さっきみたいなマイアミさんのセルフ地鎮祭を全員で聞いたりする場を共有できて、あれを1回聞いたら、全然会ったことない人たちでも話題ができる。こういうのもすごくいいことだなって、現場にいると思います。

河野:それはすごく感じました。和田さんが「グルーヴ感」と言われましたが、その場にある人、その場にあるものをヒントにつくっていくという、即興性の魅力を新鮮に知ることができました。「即興性」というキーワードについて、荒木さんはどのように考えておられますか。

荒木:僕たちは即興性がそんなに得意ではなかったと思います。だから、こういう形に移っていったのだろうなと思いました。その場で感じ、考えを巡らせて形にするということは、いつも意識していますが、グルーヴの中で形を作っていくというよりは、ねちねち考えて形にするほうが僕らにとっては合っているのだと思います。瞬発力よりも粘り腰といった感じですかね。即興性みたいものにはめちゃくちゃ憧れますけどね。

河野:プレゼンテーションでも「時間」について話されていましたが、より長いスパンで見ているということなのでしょうか。

荒木:常にそれを意識してるわけではないのですが、ずっとベースにある感じです。

「現場の自由さ」をどうつくるのか

河野:荒木さんから、和田さんに対して感じたことは何かありますか。

荒木:みなさんで計画されているということですが、和田さんが上手くコントロールしている部分があるのだと思います。それをどのくらい意識されているのか、コントロールと即興の割合をどう考えているのか、その都度違うとは思うのですが、考えていることがあれば伺いたいです。

和田:たとえば最後に話した現場では、完成図みたいなものを最初にちゃんと共有することをしました。現場では最初にセルフ地鎮祭をやるのですが、そのときにみんなでその現場のノリを感じ取って、「ここの現場だったら、こういうキッチンにしたら気持ちいいよね」とかいろいろ話していくんです。それでなんとなく完成図をつくって、あとはみんなで紡いでいき、徐々に組み立てていくというような感じです。

荒木:逆に、「最初はこうやって考えてたけど、現場でみんなが話してこう変わった」みたいなわかりやすい話って何かってありますか。

和田:先ほど話した半地下の基礎の部分ですが、寸法は図面で決めていたのですが、テクスチャについては何も決まっていませんでした。それを、職人が「解体して出てきた分厚い床板を転写したら面白いんじゃないか」とか、施主が「それなら庭の植物を入れますか」とか、アイデアを出しあって、できていきました。

荒木:それはちょっとやめましょう、みたいなこともあるんですか。

和田:ありますね。そういうことが出てきた時は、割と時間をかけて、「これはこういう意図があるんだ」という話し合いをして、「こういうアプローチもあるんじゃないか」という提案を出し合っていくようにしています。

河野:共通項でも出ていましたが、「一緒につくる人への敬意」みたいなものをすごく感じました。「現場にいる人が自由であるということを確保したい」という言葉は、正直、初めて聞いた言葉で、すごく衝撃的でした。

設計施工でコストや品質をコントロールする方法

河野:「コスト的に余裕のない案件が多いかと思いますが、設計費用をどう考えていますか」という質問が来ましたが、いかがでしょうか。

荒木:うちは普通に施工費をもらってます。僕らが現場に入る場合は人工のような形で計算してもらう。全部が全部じゃないですけど、そういうふうにして時間をつくるということをしています。

和田:僕も同じです。ただ、工務店を入れずに僕らが監理をしたり、あとはお客さんに仕事振って減額を考えたりしています。その分、施主が動かないといけないわけですけど。

河野:ありがとうございます。もうひとつ、「セルフビルドやDIYの箇所のクオリティコントロールはどうしてますか」という質問もいただきました。

荒木:僕たちは事務所でサンプルをつくって、いろいろなことを試してから決めるようにすることで、クオリティを保てていると思います。あとは設計側で、「ここまでだったら作業できる」とか、「こうしておけば作業できる」みたいな、現場がやりやすくするための計画をするようにしています。

河野:設計事務所であそこまでモックアップをつくること自体が大変珍しいですし、すごいことですよね。和田さんはいかがでしょうか。

和田:職人にお願いするところと、DIYでやるところを、全体を見ながらメリハリつけて決めることで、コントロールしています。

河野:ありがとうございます。あとひとつくらい、質問があればお答えできると思います。いかがですか。

質問者:お二人ともすごく素材感を大事にされてると思うのですが、素材と向き合うときに一番大切にされていることをお聞きしたいです。

和田:僕は割とずっと現場に張り付いてるので、たとえばこの木の板だったら、木の板と施工する人の組み合わせとかを考えますね。その後に、場所性とかを考えます。

荒木:すごい個人的な好みで言うと、僕は塊みたいなものが好きなんですよね。木でも、鉄でも、石でも、土でも、無垢で混ぜものがないような塊が。そうしたものの質感としての存在感が好きで、意識して使うことが多いですね。

二人にとっての「つくる」とは何か

河野:ありがとうございます。では最後に、お二人にとってつくるとはどんなことか、お聞きして終わりたいと思います。

和田:さっきみたいに場をつくることかなと思います。マイアミさんによってこういう場がつくられて、そこから建築が立ち上がっていく。場を知っていれば建築の感じ方とかも全然違うと思うのです。場ができて、そこからモノや文化がつくられていく。これが建築における最初のプロセスで、そこがオモロいかどうかっていうのがその後にある設計に大きく関わってくると思います。だから、場をつくることをがんばっていきたいと考えています。

河野:ありがとうございます。荒木さん、お願いします。

荒木:つくるとは設計することであり、設計することはつくることだと思いました。それにどう関わるかは都度違いますが、僕にとっては2つともほぼイコールでつながっていることだと考えています。

河野:ありがとうございました。

レクチャーを終えて

和田さんの「現場にいる人が自由であるということを確保したい」という言葉が頭を離れません。「現場で設計施工をしていると、グルーヴ感みたいなものがあって、それがすごく楽しい」のだと語りました。彼の言葉は、建築現場で誰もが常識だと思っていたことを、ドラマチックにアップデートする可能性を秘めていると思います。設計者の職務の一つである「監理」とは、「その者の責任において、工事を設計図書と照合し、それが設計図書のとおりに実施されているかいないかを確認すること(建築士法第2条第7項)」とされます。彼が語るように、設計者と施工者と施主が、互いの最大限の自由を尊重し同じ“グルーヴを感じて“振る舞うとき、設計や監理といった、設計者の役割を従来の定義では語りきれないのではないか、とも感じます。
 一方、荒木さんは立ち上げ初期は施工含め自分たちでなんでもやっていた「selfbuild期」を経て、設計を主軸に、つくりながら考える「Hands-on approach期」に入りました。レクチャーの最後には、つくるとは設計することであり、設計することはつくることだと語りました。独立から10年以上、設計者としての役割を自問自答しながら実践を重ねられてきた重みを感じる言葉です。お二人の独自の活動を通じて、建築設計とは何か、設計者の職能とは何か、大きな問いが投げかけられた回だったと思います。
 最後に、文章でどれだけ伝わったかはわかりませんが、マイアミさんの即興は、始まったときこそ度肝を抜かれたものの、会場・オンラインにいるすべての人の心を一瞬にして鷲掴みにするものでした。和田さんの言葉を借りるなら、会場がグルーヴに包まれ、実にドープな2時間でした。(河野直)

30代や40代になって仕事がつまらなくなる理由の一つに、プレーヤーからマネージャーになることがある。研究者も同じで、学生の指導や事務作業が増えてきて自分や調査や実験ができず、そもそも何で研究者になったんだっけと悩むことになる。立教大学経営学部中原淳研究室のブログ記事にあるように、日本のマネージャーはプレイングマネージャー化しているらしい。
 荒木さんは生粋のプレイヤーだった。それがプロジェクト全体のクオリティ(設計の時間がない)がどうしても気になってマネージャー化した。マネージャーになって、職人や施主とつくる(プレイ)する範囲をマネジメントした。クレバーなプレイングマネージャーだと思う。
 そして、和田さんはマネジングプレイヤーなのだろう、きっと。つくる場のグルーブに浸り込めるプレイヤーで居続けるために、「即興」「余白のある図面」など独自のマネジメントを編み出した。マイアミさんが書かれた詩ににあったように、「崖っぷちで力を出す」ために、自分自身も一プレイヤーとして崖っぷちに追い込むマネジメントを続けている。(権藤智之)


構成:和田隆介(わだ・りゅうすけ)
編集者/1984年静岡県生まれ。2010–2013年新建築社勤務。JA編集部、a+u編集部、住宅特集編集部に在籍。2013年よりフリーランス