《リコリス・ピザ》鑑賞記録
わたしはアラサー女がしんどい映画を観ると、たいていポスターか男性主役にモヤっているふしがあります。リコリス・ピザに関してはどっちもでした。
まず、イラスト版ポスター。映画鑑賞してすぐにやってきた感情は「この出会いは運命」ってなんなん???という困惑でした。
「互いを互いに補欠第一候補としてくっつきかけたり離れたりを繰り返せる関係」を運命と呼ぶのであれば、運命=惰性のなれの果て、ってことなのでしょうか。
わたしにはまだ、惰性と妥協による成果物を「運命」と呼べないなー、呼びたくないなー、って思いました。
次に、ゲイリー。ゲイリーに関してはモヤりというか怒りに近い負の感情しかわかなかったです。
複数選択肢が発生した時に必ず1番悪いものを選び取る才能がある人って世の中に一定数いて、ゲイリーはその1人なんだろうなって思います。
他に例を挙げると「ボクたちはみんな大人になれなかった」でかおりに逃げられた頃の佐藤、って感じです。
この選択能力ってある意味では才能ですよね。わたしはこの才能の持ち主たちとは相性が悪いので、ゲイリーが頭の弱いチョイスをするたびにスクリーンを直視できませんでした。
(ちなみにわたしのゲイリーめちゃしんどいポイントNo.1は「一張羅のスーツにボロスニーカーをあわせたところ」です笑)
とはいえ、わたしの大好きな映画「勝手にふるえてろ」と同じように、キャラクターと宣伝コピーにモヤる≠作品が良くない、なんです。
ちょうど同時期公開の映画「わたしは最悪。」の主人公も、選択肢がそこそこあって人生もがいてるアラサー女という点でアラナと似ています。
わたしはそういう選択肢があるゆえにとちったり悩んだりするアラサー女と、その人が選択肢が減っていくなかどのような行動を取るかを丁寧に表現している作品が好きです。
前半でモヤりポイントを書いたものの、わたしはこの映画に「アラサー女の生きづらいさ表現が好き」という点で良さを感じています。わりと好きです。
とはいえ、先日「リコリス・ピザはゲイリーが主人公だと思ってた」という男性数名に出会ったので、わたしの視点=アラナ主人公ストーリー、というのは偏った見方なのかもしれませんが。
よく行く映画館では上映が終わってしまったので、配信等で観る機会ができれば「ゲイリー主人公視点」で観てみたいと思います。
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