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人類の幸福を個人の幸福にできるかどうか

どう頑張っても他人の思考・感覚をそのままシェアできない。だから、人類の幸福を個人の幸福とみなせるかどうかはその人次第でしかないんだろうな、と思った話。

落合さんの文 読んで、あーめっちゃわかるその気持ちって思うところが多々あった。一時の脚光よりも人類の叡智を追求していきたいし、合わない人と無理して関わり続ける必要なんて全くないと思う。この時代を生きる人間として何か残していきたい気持ちはもちろんあるし、今ある無駄に無理やり付加価値与えて延命するのってどうなのって話ですよね。落合さんは例示してないけど、ハンコ問題とか、追求する意味が薄い謎ビジネスで小金稼いでる人たちとか。

その一方で、落合さんのこの視座って研究者だからたどり着くものだから、それを全人類に求めるのは酷だよねって思った。この研究者視点を世の中のスタンダードにするのって、世界でベスト4に入る宗教今から立ち上げます!って言い出すくらいクレイジーだから逃げるが勝ち案件ですよ。人類が積み上げた叡智に自分が人生かけて薄い地層形成することに幸福を感じる人間の感覚って、集団で物事為す系国民DNAに初期装備されてない気がする。

そもそも個人の幸福と社会・人類の幸福をイコールで結べるのって本当に個人差。子孫残すことが社会と人類のためだから!って家族形成する人、WWⅡ時代のドイツには一定数いたかもしれないけど、今のご時世にその思考持った人そんな居ないでしょ、と思ってる。おそらく、イコールで結べる人の中でもそれを有言実行できる人と変わらない割合だと予想。

この話広げると厄介だから乱暴に私見をまとめると、「幸福の具体例は個人差」ってことですかね。あと、落合さんみたく叡智の積み重ね目線は有してるくせに実行に移せない自分はこの自粛期間でなんとかしたいですね。その成長というか思考過程はこのnoteで定期的に残して行けたらいいな。

連日のテレビ通話でネット疲れしたので今日はここまで。

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