趣味人間万歳!【鉄道編】(1)幼児体験
新シリーズ開始でございます(笑)
ワタクシ、実は鉄道ファンでございまして。
ただ鉄道「マニア」と呼べるほどの知識は持ち合わせていないので、いわゆる「鉄ちゃん」を名乗っていいのかどうか、悩むところですが。
そんな僕の「鉄道体験」をこのシリーズでは語ってみたいと思います。
僕は大阪府高槻市に生まれ、4歳の時に奈良へ移住しました。
その家の窓からは、国鉄関西本線(今でいうJR大和路線)がよく見えました。
僕自身も物心つき始めた頃で、当時の記憶はわりとハッキリとあります。
その頃の同路線はまだ非電化で、しかも確か単線で、引っ越して間もなく複線化されたと記憶しています。
当時の主力車両はキハ30だったかキハ35だったか(多分35)とキハ58で、貨物列車も頻繁に走っていました。貨物列車はまだコンテナは無かった時代で、無蓋車や有蓋車をたくさん連ね、蒸気機関車やDD51けん引していました。今そんなことがあったら鼻血モノの出来事ですが、当時はそれが日常でした。
その頃、親は僕が鉄道に興味を示していることをわかってか、鉄道関連の絵本をよく買ってくれました(もしかしたら僕が執拗にねだったのかも知れません(笑))なので当時からある程度の車両の知識は持っていました。
1977年、ついに関西本線(大和路線区間)が電化されます。
見飽きたクリームとオレンジの気動車に代わって、眩い白色に赤いラインの入った113系がやってきました。
113系は大阪直通快速として運転されました。まさに革命的な出来事でした。
また、これまで快速が通過していた最寄り駅にも停車するようになりました・
そして各駅停車用として101系もやってきました。
絵本の中で見た首都圏を走る「都会の列車」だったウグイス色の101系が家の窓から見えることに興奮しました。
この時、僕の「鉄ちゃん度」が一段上がったと思います。
電化後、しばらくして蒸気機関車が姿を消しました。
今では重要文化財級の価値のあるSLですが、当時は見なくなったことに何の感情もありませんでした。(笑)
むしろ、DD51やDE10ばかりになった貨物列車を眺めながら
「せっかく電化したんだし、たまには青い電気機関車とかこないかなぁ」
とか思っていました。
今考えると何てバチ当たりな小僧でしょうか(笑)
こんなカンジで、僕の鉄ちゃん人生が始まりました。
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