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趣味人間万歳!【プロレス編】(7)U.W.F.②

UWFのハナシの途中ですが、ひとつ思い出したハナシが。

タイガーマスクが「ザ・タイガー」に改名した頃、僕の住む奈良にサイン会に来て下さったことがありました。

サインをもらって、握手もしてもらいましたが「さすがプロレスラー!」と思いました。
手のひらの大きさはそれほどでも無かったのですが、手の甲の厚さがハンパでなくぶ厚かったのです!

写真も撮っていたのですが、後で見返すと、あの悪名高きマネージャー ショージ・コンチャ氏も写ってました・・・(汗)ある意味貴重な写真になったかも。

さて前回の続き

「一緒にやりゃあいいのに」

その日はほどなくやってきました。
1984年7月23日 後楽園ホール「無限大記念日」
タイガーがついにUWFに参戦しました。

この試合も現地で観ることは出来ず、雑誌で眺めるだけのもどかしい日々を送っていましたが「ついにこの日が来たか」と感無量でした。

ここからイッキにUWFは格闘技路線を突き進んでいきます。

タイガーは名前を「スーパータイガー」に改名。紫色ベースのマスクとコスチュームは斬新でした。

しかし、格闘技を標榜しながらエンタメの象徴であるマスクを被っていることに矛盾を隠せなかったのか、ついにはマスクを取り、素顔で試合をするようになりました。

UWFの格闘技スタイルは、世間からののプロレスに対する疑問を払拭するものでした。
「ロープに飛ばす」「反則攻撃」「場外乱闘」競技として見た場合どうしても説明のつかないこれらのことを、全て取り去ったのです。

それは、とかく世間からバカにされてきたプロレスファンにとって、誇りを取り戻すに十分なものでした。

しかし、そんな夢のような時間もすぐに終わりを告げました。

前田と佐山の確執の末、行われた1985年9月2日 大阪府立臨海スポーツセンターでのシングルマッチを最後に、タイガーはUWFを離れ、修斗の設立に動きます。修斗については【格闘技編】で書こうと思います。

さてUWFはどうなるのか・・・

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