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趣味人間万歳!【プロレス編】(番外)プロレスファンとは

序章

Xでこのような記事が投稿され、物議を醸し・・・まぁぶっちゃけ炎上しておるわけです。

新日本プロレスが発表した観戦マナーに関する告知に異を唱える内容のものです。
これに対して思うことがいっぱいあったので、今回ここに記事として書かせて頂くことにしました。

まず最初に、

「私はあなたの意見には反対だが、それを主張する権利は命がけで守る」

フランスの哲学者ヴォルテールの言葉だそうです。
今回この記事に対して色んな意見が寄せられ、Xのトレンドに入るほどになっていますが、中には意見とも言えないようなヒドい中傷もあります。

ご本人が書かれているように「あくまで私見」なのですから、内容について「ここは違うよ」と言うならまだしも「嫌なら会場に行くな」というのは違うと思います。増してや人格否定をするなどは、もし同じプロレスファンであったとしたら大変に恥ずかしい行為です。

今回この方がこの投稿をした事自体を否定するべきではありません。
この方なりの「プロレス愛」がとても感じられる文章ではあると思います。

ただしかし、僕自身もこの投稿の内容には賛同しかねる部分が少なからずあります。
ここで僕の考えについてまとめながら書いてみたいと思います。

一問一答

「決められた席にちょこんと座って」
はい。これはルールです。なぜかと言うと自分の席を離れて動き回る行為は他の観客の迷惑になるからです。プロレスに限らず全てのエンターテイメントにおける大原則です。

「アメリカのボードも含めてあの会場の熱気が伝わるからプロレスなんじゃないですか?」
海外とではまず文化が違います。ワイルドな雰囲気を好む国民性もあればそうではない国もあります。メキシコなんか結構ヒドいらしいですけどね。
なので一概に海外と比較するのは意味がありません。

「ただ座って大人しくしてろと言うのなら会場に行く特別感なんかないですね」
人によります。
中にはじっくりと技の攻防を楽しみたい人もいます。自分なんかどっちかって言うとそのタイプですね。なんせ元UWF信者ですから。

「特別感」ということで言うなら、僕は会場に一歩入って、フロアの真ん中にリングが組まれているその光景を見るだけで特別感があります。

「昔なんか客同士が殴りあったり揉みくちゃになったり」
はい。ありましたね。
こういった行為こそがプロレスを衰退させます。ここは後述します。

「レスラーもファンも必死だったから熱気も凄かった。」
今のプロレスファンに熱気が無いとは思わないのですけどね。どうなんでしょ?
また今のプロレスラーが必死でない、とも全く思いません。
このへんはまぁ、意見の相違ということでしょうね。

「なんでもかんでも規制規制していったらつまらないコンテンツになるので」
規制には理由があります。そのあたりを理解しようという姿勢は無いのでしょうか。
人気商売であるプロレス団体がわざわざ面白くなくする為だけに規制をするでしょうか?

「日本のプロレスが衰退していくのはファンとして看過できなかったので」
衰退してますか? 新日本なんて大体どこも満員ですよ。
単に「私が面白くない」というだけなのではないでしょうか?

むしろ逆です。これら規制はファンの裾野を広げ、新日本を、プロレスを継続的に繁栄させていく為の方策であると僕は考えます。これについても後述します。

「プロレスラーもプロレスファンもいい子ちゃんになり過ぎてる」
「いい子ちゃん」の定義がよくわからないのですが、ルールを守ることがそんなに良くないことでしょうか?

この方は別にコメントへの返答で「プロレスは5カウントまでの反則が許される」と書かれています。ここに大きな解釈の間違いがあるのですが、

プロレスには「表のルール」と「裏のルール」があります。
「表のルール」とは例えば金的攻撃とか凶器攻撃とか、タッグマッチにおけるツープラトンであるとか、あえてルールを破ることで会場が盛り上がるような内容です。
一方「裏のルール」は、例えばワザと相手の骨を折るとか、刃物で腹を刺すとか、
目で言えばパウダー攻撃や毒霧などはありますが、失明するような深刻な攻撃は絶対にしません。

そういった「超えてはいけない一線」です。このラインだけはプロレスラーはガッチリ守ります。一見傍若無人にやっているように見えて。実は皆しっかりルールに則って戦っているのです。

だからプロレスファンも、決められたルールをないがしろにしていいというものではありません。

「自分のプロレスファンとしての信念は」
団体の考えを理解した上で同意することが「信念が無い」?
これには全く同調できません。
決められた事にただただ反発することが「信念」なのでしょうか?
そんな反抗期の中学生じゃあるまいし。

この方はどうやら「プラ柵にモノをかけてはいけない」という個別のルールを批判しているのではなく「ルールを増やすこと」そのものに反発されているようです。
もっと物事を深く掘り下げて考える、ということをやってもらいたいなぁ、と思います。

「周りの意見に流されてる」
これは団体側の主張に同意する人に対して「内容について理解しないまま反射的に同意している」という決めつけであり、大変失礼な発言です。

「ダメなものはダメ!」
その通り!! ダメなものはダメです。
他の観客が不快に思うような行為は、ルールに定められことであれ、定められてないことであれ、絶対にダメなんです。

プロレスは、コアなファンの為だけにあるものではありません。

「すべてのジャンルはマニアが潰す」

これは新日本プロレス・木谷オーナーの言葉です。

「一部の熱狂的なファンの要望を受け入れ続けると、新規ユーザーが入りづらくなり、その結果ジャンルは衰退してしまう」
まさにこれに尽きるのです。

プロレスの「衰退」「発展」とは?

この方が度々使われる「衰退」という言葉。
これが実は全て正反対である、ということは木谷オーナーの言葉からもわかります。

プロレスにおける「発展」とは、ファンが増え、ファン層が広がり裾野が広がることです。
具体的に言えば「子供に観てもらえる」ものでなければなりません。

ではプロレスにおける「衰退」とは?
それは「マニア」が幅を利かせることです。
熱狂的すぎるファンはにわかファンを否定し、バカにし、排除しようとします。
コアなファンが「ルールなんてクソくらえ!やりたいように熱く応援するぜ!」ってやってたら、新規ファンは引きます。会場から足が遠のきます。
これこそがプロレスの「衰退」です。

現在の熱狂的なファンも歳を取り、いつかは離れます。
そうなった時、新たなファンが入らなければ、プロレスは衰退の一途をたどるだけです。

プロレスは変わった。そしてこれからも変わり続ける。

僕は初代タイガーマスクの時代からプロレスが好きでした。そして今でもプロレスが好きで観ています。

しかし僕の周りには、
「昔のプロレスはよく観ていた。今のプロレスは見てないからわからない。」
という方や、逆に
「今のプロレスが大好き!昔のプロレスは興味がないし、知らない。」
という方が結構居ます。

投稿されたこの方は度々昔のプロレスとの比較を持ち出されていますが、
猪木・馬場時代以前のプロレスと現代のプロレスは全く違います。
試合スタイル、選手の身体の作り方、興行の演出、ファン層、ファンのスタイルからプロレスを取り巻く環境まで、何もかもが違います。
別物と言ってもいいかも知れません。

だから「昔のプロレスが好き」という人も居れば「今のプロレスが好き」という人も居るのです。

僕の考えですが、
新日本プロレスが格闘技ブームの暗黒期を乗り越えた時、
馬場さんが亡くなり、三沢さんがNOAHを立ち上げた時、
DDT、ドラゴンゲートが誕生した時、

このあたりを境に、その前後では全く変わってしまいました。

この時にプロレスを離れたファンも多く居たことでしょう。
しかしその「犠牲」と引き換えに、多くの女性ファン、ファミリー層、ライト層を取り込み、今のプロレスがあります。

そしてこれから先、プロレスはずっとこのまま、という保証はどこにもありません。
これからもプロレスは進化し、時に犠牲を払いつつ、変化していくことでしょう。

「プロレスとは、プロレスファンとはこうあるべき」という固定概念を持つこと自体は構わないと思いますが、それが必ずしも他人に対して通用する時代ではないと思います。

プロレスが変わっていくように、プロレスファンも変わっていくのです。


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