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おかえり!僕のスーパースター

いつかは絶対にやってくるものやけど、その日がもう現実に間近にやってくることが今日決定してしまいました。野球なんて、観たいテレビ番組を邪魔するだけの存在でしかなかった小学生の僕に、プロ野球のおもしろさを教えてくれたのは……

これは、2007年9月19日、僕がmixiに書いた「さよなら僕のスーパースター」という日記の一節です。

小学生の僕に、プロ野球のおもしろさを教えてくれた……古田敦也(あえて呼び捨て!)が14年ぶりに古巣・東京ヤクルトスワローズに帰ってきてくれました!

キャップと胸に「YS」。青のキャッチャーミットに刻まれた「27」。そして、この笑顔。Twitterでも触れたとおり、めちゃめちゃ嬉しくてたまりません。古田さんがキャンプ地入りしてから、スポーツ系メディアは連日大報道。キャッチャー陣を指導したり、ブルペンに入ったり、夜にミーティングを実施したり、バッティングピッチャーをしたり。臨時コーチながら、これだけ惹きつけてしまうのは、やはりスーパースターです。空き時間には古田さん関連の記事を次々に読み漁って、ときめいています。

昔、mixiにも書いたように、子どもの頃の僕は野球に全く興味がありませんでした。特にプロ野球中継は、当時よく延長されていて、21時や22時から始まる番組の開始時間がズレ込んでいました。そのたび、僕はイラついていたのです。それがどうしたものか、きっかけは覚えていませんが、まず野村克也が好きになり、彼が率いるヤクルトスワローズを名実ともに象徴していた古田敦也の大ファンになりました。

イチローよりも松井よりも清原よりも松坂よりも、古田は野球選手の中で僕が一番好きな選手でした。

同mixiの日記にも書いている通りです。僕は兵庫県の神戸市の出身なので、ヤクルトファンは周りにほとんどいませんでした。「がんばろうKOBE」を掲げ、オリックスブルーウェーブが奇跡的な優勝を果たした95年、凄まじいイチローフィーバーが巻き起こる中、それでも僕は日本シリーズで、ヤクルトを、古田を、応援していました。

右や左に打ち分けるバッティングフォーム、狂いなく盗塁を刺す綺麗な送球、まるでボールがミットに吸い付くような美しいキャッチング、打者の裏をかくリード(見逃し三振は見ていて爽快やった!)、すべてがカッコ良くて、本当に大好きでした。投手を強気で引っ張る姿勢、チームを明るくするキャラクター、知的な喋り方にも憧れていて、こういう人になれたら良いなと漠然と思っていた節もあります(僕自身、野球自体は全くやっていなかったけれどw)。

そんな古田選手が、周囲の期待を背負って選手兼任監督に就任。ファンとして僕も大興奮でした。ただ、相当大変だったのだと想像します。

兼任監督は想像以上に辛かったんやろな。人気回復の最後の切り札として球団が頼んだはずやのに、たいしたサポートもしなかったように思います。しっかり支える人間が傍にいたら結果は違っていたかも…もうヤクルトが嫌いになりそうです。

mixiには感情的に書いていますが、今振り返ると、古田敦也が去ったタイミングで、僕のヤクルト熱は下がったように思います。でも、やっぱり嫌いにまではなれませんでした。

今の監督は、高津監督です。90年代にファンになった僕にとって、守護神・高津臣吾という人も、また偉大なレジェンドです。高津監督には、野村監督のように3年目には花咲かせてほしい。そう願っています。

けれど、古田敦也には、いつか絶対にヤクルトの監督になってほしい。いや、ならねばならない!「プロ野球界の損失だから、スワローズが無理なら他の球団でも」という意見は頭では理解できるし、その通りだと思います。でも、僕の感情が許さない。古田敦也は、東京ヤクルトスワローズの監督にならないといけないんです!

思い込みだとか気のせいだとか言われるかもしれないけど、臨時コーチを務めている古田さんの写真を眺めていると、どこかノムさんの面影を感じてしまう。古田さんが近いうちにヤクルトの監督に就任する。そんな物語の序章のようだし、野球にはそういったドラマが付き物だと思うのです。

今回は臨時コーチだけど、いつか神宮球場で言いたい。

「おかえり!僕のスーパースター」

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