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痛点

僕は毎月1回、クリニックで点滴を受ける。その点滴のおかげで僕の病状は安定し、普通に快適に生活している。
  そのクリニックには2台の点滴用ベッドが並んでいて、その間にパーテーションが置かれている。隙間はほとんどない。よって、どちらに寝るかで点滴する手が違う。

  願わくば左手がいいとは思っているけれど、空いている方の点滴台に寝るから、その時になってみないとわからない。左手は太い血管が肘の内側(肘窩というらしい)のちょうど真ん中にあって、そこに点滴針をさすと、最初ちょっと痛くても2時間の点滴中はほとんど痛くない。
 右手は太い血管が少し外側にずれている。そのせいか、点滴の間中ずっと痛みを感じる。
腕の外側に刺すほど、注射は痛い、と思っていた。

  前回の点滴は、運悪く右手になった。
 改めて右手の肘窩の血管の位置を確認する。太い血管はやはり外側寄りだけど、真ん中にも細い血管ではあるけれどある。そこに打ったらいけないのだろうか。

  幸いかどうか、その日の担当は初めて見る若い看護師だった。ベテランの看護師さんにはちょっと言いにくいけれど、まだ新米らしい看護師だとなんか気軽に言えそうな気がした。

「真ん中にさしてもらったらだめですか?」
「え」
「この太い血管は外側にあるでしょ。ここだと痛いんですよね」
「ああ、なるほど」
「出来ますか」
「はい。わかりました。痛点ですね」
「痛点ですか?」

  若い看護師はちょっと得意げに話した。
「皮膚には痛点がありますからね。そこに注射が当たると痛いんですよ。痛点を避けて打ったら痛くありません。きっとそこは痛点なんでしょうね」
「なるほど」
 僕は合点した。そうか痛点か。皮膚には何か所か痛点なるものがあるらしい。いいことを聞いたと思った。
「じゃ。やっぱり真ん中でお願いします」
「はい」

 言ってみるもんだ。誰しも実は自分の痛点なるものを知っていて、注射をする時は「痛点を避けて」とか要求しているのだろうか。
 僕はたくさんの点滴を受けているのに今更知ったなんてちょっと恥ずかしい気がする。

 でも、真ん中の血管は細く、なかなかうまくさせないらしい。気の毒になってきた。この際痛点でもいいか。
「いつもの所でいいですよ。痛点でも」
それでも、若い看護師は使命感に燃えていた。
「大丈夫です」
時間をかけて、どうにかさし終えた。

  痛点を避けただけあって、痛みは感じない。
 僕は点滴を受ける時にいつもそうであるように、すっと体中から力が抜けていくような感覚を覚えながら、気持ちよく寝てしまったらしい。
 どこよりも穏やかに眠れる気がしている。

 どのくらい経っただろうか。いきなりものすごい力でベッドに押しつけられた。のどがつまって声を出すことも出来ない。一気に押さえつけるほどの巨大な何かで覆われて、一切身動きが取れない。意識だけが必死で抵抗するけれど、体がどんどん重くなっていく。手足の指ひとつさえ動かすことができない。体が鉛のように、鉄のように、コンクリートのように固く重く落ちていく。
 やっと微かに目があいたと思ったら、腕に刺さったチューブの先が目に入った。どす黒い何かがそのチューブを通って僕の体に注入されているらしい。チューブにつながれた袋がどんどん大きくなって、その中身の全てが僕の体に押し寄せてくる。僕の体は際限なくどくどくと液体を吸い込んで、どんどん巨大になって重く重く沈んでいく。
異様な感覚で、何者かに体を支配されていくようだけど、なぜか一切の痛みは感じない。
全く痛くない。

そうか、痛点を避けたから痛くないんだ。膨れ上がる体につぶされそう(?)になりながら、僕は唯一それだけが救いであるかのように、痛点じゃなくてよかった、とほっとしていた。

 
ふと目が覚めた。
 夢・・か。

 でも、腕が重く沈むのは現実だった。いつもこうだっただろうか。思い出せない。
 かろうじて、体を起こし点滴の先を見てみると、僕の腕はぷっくりと腫れあがっていた。血管が細すぎて血液中に入りきれずに漏れていた。痛点より血管の太さを優先するべきだったらしい。

皮膚の痛点は無数にあるからこそ身を守ることができる。よく考えればわかる。
たかが、注射で怖気づくな。
俺。

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