見出し画像

何で勉強しないといけないの?テストって意味あるの?

中学・高校の時、思ってたね、こんなこと。絶対、日常生活で微分とか使う訳ないやん…会話する時、メールする時、古文・漢文使う訳ないやん…いや、それはそれでおもろいかもしれんけど…使おかな。

大学に行ってからはこんな事考えなかった…ロクに勉強なんてしてなかったからかな。

大人になって分かった

大人になって分かった。私が考える勉強しないといけない理由は、勉強した方が可能性が広がる。テスト自体に意味は無いけれど、スクリーニング(カッコつけて横文字使いました)するには日本のテストって形はすごく優秀。

もっと具体的にいこう。

賢いとは

お医者さんになりたいとする。当然、賢くないとなれない。科学者になりたいとする。当然、賢くないとなれない。で、いくら自分が「私、賢いんで、医者できますよ」って言った所で、あなたが賢いのかは他の人はわからない。残念ながら。そこでテストってものを使う。


いやいや、あんなテストで賢さとか分かるかいな!

これは正解だと思う。あんなテストで賢さなんて分かるわけはないと思う。でも、あれって賢さを見てるんじゃない。あれは、

同じ時間で同じ課題・テーマを与えるんで、それに対応できるか、処理できるか、どこまで出来るかってのを見てる。処理能力ってやつ。

多くの課題(科目かな)を与えるのでどこまでこなせますか?ってのをみている。

社会人になったとき

で、社会に出た時にこの処理能力ってのが実は重要になってくる。同じ時間でたくさんの仕事、難しい仕事をこなしてくれる人の方がありがたいでしょ。

企業が人を雇う時、仕事をしてくれそうな人を採りたいけど、そんなの入ってみるまで分からない。かと言って、募集してきた人、手当たり次第採る事は無理。だから偏差値が高い、要するに勉強ができると'される'人を採用する事によって、仕事をしてくれそうな人を自社に入社させるって可能性をあげている。テストで上位だから(すごい処理能力ありそうだから)大丈夫でしょ…みたいな。

学歴社会なのか?

要するに学歴社会なんでしょ?

これを言われたら、厳しいところはあってそうじゃないよって事も言いたいけど、長くなっちゃう。今は学歴社会ではなくなり始めてると私は思ってる。企業より個人の方が強い世の中に変わってきつつあると思っているから。そうなると学歴ってモノサシでは測れないから。

単純に

今のテストの問題点とか考える事に時間を使うんじゃなくて、今、自分の目の前の事に時間を使った方がいいと思う。

今のテストが苦手なんだ、できないんだって人は自分の興味ある事に全力で取り組もう。これからの時代はそんなあなたたちの時代だと思う。

大人あるある

偉そうな事をタラタラ言ってきたけど、私は偏差値が高い人間ではない。説得力はない。知ってる。

で、大人になって何を今、思うかって言うと…


勉強したい…微分分かりたい…


笑っちゃうよ。大人になってから英語の本、数学の本やYouTubeとか見出したし、試験前しか真面目じゃなかった大学にも、また通いたいと思ってる。

なんの冗談よ。

でも、この手の大人向けの中学・高校の勉強を復習するような本って今、需要が高いからきっとこれは大人あるある。

最後に

大人になっても興味持って取り組みたい、取り組んでいる事が真の勉強かなって思う。誰かに判断されるものじゃなくて、自分のさじ加減で調整もできて。

そんな、大人になってからの勉強の方が楽しいかな。


勉強なんて、一生続くのよ。


私みたいに、少しずつこのnoteの書き方について学んでいくのも勉強でしょ。


さ、愚痴も言うたし、ぼちぼち勉強はじめますか!



この記事が参加している募集

スキしてみて

いつもご覧頂きありがとうございます。今後ともよろしくお願い致します。