英語の呪縛から講師の私が解き放たれた12年の軌跡(前編)「冬季限定なす英語倶楽部の始まり」
「なす英語倶楽部の始まり」
那須高原に移住した2008年年末。地元山形での児童英語講師5年、東京での企業英語講師9年を経て、もう英語を教える仕事は卒業かな、と思っていた。
2011年3月に東日本大震災が起こり、福島の隣の那須高原にも地震の被害・風評被害もあり、観光客は激減した。
震災後に業種を超えた仲間たちと出会い、閑散期の冬に何かできないかと話した結果、もう一度英語を教えてみようという気持ちになった。
私にできることは「英語を教えること」くらいだったから。
アメリカとメキシコに赴任経験のある「Suda Coffee」の須田さんが、場所を提供してくれた。
2011年11月「冬季限定なす英語倶楽部」スタート。
この時はまさか13年目を迎えるとは思ってもいなかった。
「英語を理解して使えるようにする」ためのトレーニング中心の最初の5年。震災後の冬、暗くなりがちな気分を楽しく、そして来年以降の自分のための英語力。
英語を教えて10数年の間に蓄積した経験に自分のやり方をプラスして挑んだ5年間。観光地ということで、接客英語にも取り組んだ。
毎年テキストを1冊選び、そのテキストを使って1時間、フリートークやペアワークなどで1時間の2時間レッスン。
「英語苦手なんです」って方も多かったけど、私も英語は嫌いだったのでその気持ちはよくわかる(笑)この頃私はまだ「ちゃんと英語を教えよう」という英語の呪縛から逃れられずにいた。
嫌いだった英語を仕事にした理由についてはこちらをどうぞ。
「こたろうファームのヨーコさんは英語が出来るらしい」「スダコーヒーさんで英語を教えているらしい」という噂が広まり、4年目からは観光施設などの仕事(接客英語講座・新入社員研修・ホームページ翻訳など)も頼まれるようになった。
ネイティブの力も必要になり、タイレストランで知り合ったイギリス人陶芸家&英語講師のJay Jagoと一緒に仕事を始める。
明るく楽しいJayの性格にも助けられ、日本人講師と外国人講師コンビの講座は評判もよかった。
この頃の私にとって「英語を教える」ことは「英語の型を理解してトレーニングすること」だった。勉強というよりスポーツのように、筋肉を鍛えるように英語脳を鍛える。
続けることで英語を聞くこと話すことに慣れていく。
しかし、2016年に「なす英語倶楽部」のスタイルも私の英会話トレーニングへの考え方も大きく変わっていくことになる・・
(中編へ続く)
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