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人にやさしく

”気が狂いそう”

THE BLUEHEARTSの楽曲「人にやさしく」の歌い出しの歌詞はタイトルからは想像もつかない言葉から始まる。

皆さんはここ最近、物騒な事件が多いと思わないだろうか。
学校、電車、医療機関、あらゆる場所で凄惨な事件が起きている。
狂人は、私達の身近なところに潜んでいるのかもしれない。

昨年、私の出演したライブでも事件が起きた。

その日の会場は大阪・アメリカ村の地下にあるライブハウス。コロナ禍でど平日の19時台ということもありフロアに客はまばらだった。

1組目の演奏が終わり、2組目のバンドの演奏が始まって10分ほど経過した頃、30代後半〜40代くらいのスカジャンを着た金髪の男が入ってきた。
このライブハウスはマスク着用でないと入場できないはずだが男はノーマスクで、なぜか後ろを何度も振り返りながらフロアの最前に向かってフラフラと進み、最前を陣取ってからもずっとチラチラと後ろを振り返っていた。おそらく私だけでなく、フロアにいた他の人達も皆この男にただならぬ違和感を感じていただろう。おそらくこの男は受付をせずに入場している。

その時ステージで演奏していたのは”テルルス”というバンドだった。
ここからは私の勝手な想像だが、"テル"は電話のTELで”ルス”は留守、合わせて”留守番電話”という意味である(と思う)。「たとえ相手(リスナー)が不在でも俺達はメッセージを残し続ける」というコンセプトで活動している(と思う)彼らはギターボーカルの"ロング"とドラムの"マサキ"の2ピースバンド。ちなみに"ロング"の本名は"長井"(と思う)、"マサキ"も下の名前に見えるが実は苗字であり、本名は"真崎"だ(と思う)。

その日、ライブハウスのフロアの前方にはコロナ対策で演者との距離を取るため、三角コーンとビニールの遮断棒で作られた簡易な柵が設けられていた。テルルスのライブも終盤に差し掛かった頃、スカジャンの男はその柵を乗り越え、本来のフロア最前列である位置に移動した。彼はそのまま食い入るようにテルルスの演奏を見ていたが、気づいたスタッフに注意され、その場は大人しく柵の後ろに下がった。
ただの酔っ払いか、テルルスの熱狂的なファンか、それとも「コロナは茶番」論者の「従いません」という意思表示なのか。いずれにせよ、なんとなく「ヤバそうなやつ来たな」という空気がその場に流れ始めていた。

しかしその数分後、テルルスの演奏がまだ大音量で鳴り響く中、スカジャン男が後ろを振り返り、軽く手をあげるような仕草をした。
私はその時に気づいたのだが、男の顔を見ると明らかに目がおかしかった。完全に瞳孔が開いていて焦点が合っていない。
それから男はゆっくりと柵を乗り越え、ステージに登り、歌唱中のロングの元へ歩いていく。

何だか嫌な予感がした。
ついに男がロングの真横に立つ。

ステージからは暗い客席の様子などはあまり見えないものだ。演奏に集中していたりすると尚更である。ロングは突然目の前に見知らぬ男が現れたことに驚いた様子だった。
そして男はロングの眼前で手を振り、ジェスチャーで演奏をやめるように促す。先程まで鳴り響いていたギターの音が止まった。

「えっ、何・・・?」

という束の間の静寂、場内に緊張が走る。
静まり返ったステージで、男はロングに向かってこう言った。

「おい、俺にブルーハーツ歌わせろ。」

予想外の展開だった。
スカジャン男はブルーハーツ歌いたいおじさんだった。ブルーハーツは「終わらない歌を歌おう」と歌っているが、彼は人の歌を終わらせることに躊躇がないようだ。

突然演奏を止められて呆気に取られていたロングもブルーハーツ歌いたいおじさんのこの発言には激おこである。バンドマンはこのライブハウスに与えられた数十分のために生きていると言っても過言ではないのだ。
そこからは絶対にブルーハーツ歌いたいおじさんと絶対に自分の出番譲りたくないロングのメンチの切り合いとなり一触即発の空気が流れたが、この時点で異変を察知したスタッフや共演のバンドマンがステージに駆けつけ制止したため、乱闘騒ぎにはなることはなかった。

ブルーハーツおじさんはスタッフに身柄を拘束されながらも、「おい、お前らには俺にブルーハーツを歌わせる度量もないのか」「そんなことではヒロトも悲しんでるわ」などと吐き続けていたが、優秀なスタッフにより穏便に追い出されていた。

テルルスはその後「さっきの曲もう一度最初からやります!」と言い最後まで演奏したものの、ステージから降りた後は流石に悔しそうにしていた。

テルルスの演奏が終わった後、楽屋にいてその一部始終を見ていなかったバンドメンバーに私が顛末を話すと「え、もしかして金髪でスカジャンの人?」と尋ねられた。聞くと彼はその男が同じ日の少し前に別のライブハウスを追い出されているところを目撃していたのである。

ブルーハーツ歌いたいおじさんは、ブルーハーツ歌いたすぎてハシゴしていたのだ。断られても諦めずに何度でもぶつかっていくところは素直にすごいと思うが、カラオケに行くか路上でやってくれと思う。

前述の通り、バンドマンは日頃からその与えられた数十分の持ち時間のために頭を悩ませて曲を作り、安くないスタジオ代を払って練習し、本当はやりたくもないアルバイトで汗を流し、ストレス発散に安い酒を飲み、飲み過ぎて路上で寝て、警察を呼ばれ、警察に頭を下げ、警察の後ろ姿が見えなくなってから悪態をつき、Twitterに多少言葉を濁した愚痴を書き、リプライで知らない人に叩かれ、そのリプライを引用リツイートで晒しながら暴言を吐き・・

いかんいかん、話が脱線しかけている。一旦このくだりはキャンセルだ。
オチという栄光に向かって走るこの列車は決して脱線してはいけないのである。話を本線に戻そう。

この話の本線って何だろう。
そもそも、文章というのは決められたレールの上を走るものではなく、もっと自由に着地点を決められるものなのではないだろうか。

この文章に関しては、これにて不時着とさせていただくことにするが、いつどんなトラブルに巻き込まれるか分からない世の中です、日々を楽しく過ごしながらもほんの少しの警戒心、心のシートベルトは常に締めておきましょう。

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