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大阪コロナ療養記(軽症)

発症

8月28日(土)
予定のない休日、朝イチで整体に行って身も心もリフレッシュ!昼過ぎにニンニクたっぷりのラーメンを食べ、お腹いっぱいで横になった私が次に目を開けた時にはすっかり日も落ち、夕方になっていた。どうやら眠ってしまっていたらしい。「なんか、寒いな…」ベッドから起きあがろうとするも、寝起きの気だるさとは全く異質の、倦怠感と悪寒、関節痛があった。すぐさま体温計を手に取り計測する。38.4℃。世間はデルタ株が猛威を振るい感染者爆増の真っ最中である、人生で久々に「オワタ」と思った。時刻は21時過ぎ、24時間受付している大阪市の新型コロナ受診相談センターへ何度も電話をしてみたが、SNSで見た保健所がパンクしているとの噂通り、電話は一度も繋がることはなかった。この日は諦めて寝ることにした。

8月29日(日)
AM6時に早起きし、新型コロナ受診相談センターへ再度電話をかけてみると繋がった。やはり深夜か早朝がつながりやすいらしい。電話応対してくれた係員に「大阪府 診療・検査医療機関 公表一覧」でWeb検索するように指示された。検索結果の最上位に表示されたリンクをクリックするとExcelファイルがDLされ、そこに発熱外来をやっている病院名と営業時間、連絡先の一覧が記載されていた。しかし運悪く日曜日である、大阪市内で日曜もやっている病院数件に何度も電話をかけてみたか、結局どこも一度もつながることなくこの日は終わった。日曜とはいえ「これが医療崩壊か」と思い知らされる結果となったが、そもそも発熱していてしんどい状態で何度も調べては電話してを繰り返すのはなかなか辛いものがある。一人暮らしの患者にはキツいところだ。この日の体温は38.0℃だった。

発熱外来受診1回目→陰性

8月30日(月)
起床時点で微熱程度だったので、この日の仕事は休みではなくリモートワークにし、発熱外来の予約が取れ次第切り上げて通院するという条件付きにしてもらった。朝イチから病院を探し、最初の2軒は電話が繋がらなかったが、3軒目で予約の取れる病院を見つけた。今年の7月に開業したばかりの病院だった。もしかして、まだあまり知られてない病院だから予約が取りやすかったのかもしれない。それでも予約できたのは当日の夕方、18時〜の枠だった。幸い、夕方には発熱はおさまっていたので病院までは自力で車を運転して行けた。実は保健所から発熱外来に行く際に、タクシーを含め公共の交通機関を使わないようにと言われていたので、車に乗れないとその時点で詰む状況だったのだ。正直、車や原付などの移動手段がない人達がどうしているのかは分からない。
病院に到着し、1階の受付に行こうとすると、そのまま2階へ案内された。発熱外来は一般の患者とは受付も別なのだそうだ。案内された先には全開の窓があり、その前に椅子が一脚だけ置かれていた。椅子に座ってから気づいたが、正面にサーキュレーターが置かれており、こちらに向けて常時風が送られていた。椅子の右側は壁、左側にはカーテンがかかっており、そのカーテン越しに看護師さんが話しかけてくる。保健証を提出すると、早速検査をすると告げられた。ここで防護服姿に着替えた看護師さんが姿を現し、私の鼻の奥の粘膜を綿棒でグリグリと採取する。採取した検体を機械に入れるとすぐに結果が出るらしい、3分ほど待つと「陰性ですね」と言われた。解熱剤をもらい、2〜3日経ってもまだ発熱が続くようだったらまた受診してくださいと言われ、病院を後にした。

「なんだ、プレーンな風邪じゃねえか」

完全に拍子抜けした私は、なんだか気が楽になり、コンビニでハーゲンダッツを買って帰った。この頃は非常に体調が良く、体温も平熱になっていた。職場や関係各所に「陰性でした」と報告をして回り、Twitterにも発熱があったが陰性だったとの報告文を書いた。夜中に37.7℃の発熱があったが、ただの風邪だし大丈夫と思えば大してしんどくなかった。

悪化

8月31日(火)
朝起きると熱はもう平熱に下がっていた。この日も朝からリモートワーク。職場のルールで、検査結果が陰性であっても発熱があった場合しばらくは出社してはいけない規定となっているのだ。午前中は軽快に仕事をこなし、昼休みにはリモートワークの醍醐味、"ベッドで昼寝"をキメた。13時になり、昼休み終了と同時にベッドから起きて仕事を再開する。「なんか、寒いな…」さっきまでの好調が嘘のようにみるみる体調が悪化していくのが分かった。17時になるともう全く仕事が手につかなくなり、18時の定時を待ってそのままダウン。少し横になり、ガクガク震えながら体温を測ると39.0℃。「陰性のはずなのに…どうして…」と思いつつそのまま力尽き就寝。

9月1日(水)
39.2℃。仕事は休んだ。汗だくでベッドに横たわるだけの一日。なぜか肝臓や腎臓のあたりが痛む。前回の検査で陰性だっただけに、逆にコロナじゃなかったら何?という不安が…。明日までに体調が戻らなければ再度発熱外来を受診することにした。

発熱外来受診2回目→陽性

9月2日(木)
体温は38.2℃、この日も仕事は休んだ。食欲が無い。朝イチで発熱外来再受診のため、前回受診した病院のホームページを見る。この病院はホームページからネット予約もできるのだ!…と思いきやこの日の予約枠はすでに埋まっていた。他の病院を調べて次々と電話してみたが、どの病院も「今日の予約はいっぱいで明日の夕方以降なら空きがある」という状態だった。発熱で意識が朦朧としてる中、自ら電話して病院を探すも全部断られるのが地味にめちゃくちゃしんどい。ダメもとで前回受診した病院にも電話してみると、予約枠は埋まっているが特別に時間外で診てくれることになった。これはマジで助かった。大阪市北区天神橋筋のあらきクリニック様に感謝。解熱剤を飲み、熱を下げてから車を運転し病院へ向かう。前回と同じ窓際の椅子に座り再度検査を実施するとカーテンの向こう側から「陽性ですね〜」と看護師の陽気な声が聞こえてきた。どちらかというと「妖精ですね〜」のテンションで言われたと思う。解熱剤やら何やらを山ほど処方され、あとは保健所からの指示を待つようにと言われた。今は感染者が多すぎて保健所からの連絡にも2〜3日かかると聞いた。関係者各位に速報を入れ、帰宅。陽性ということは、一切の外出禁止が確定したということである。話を聞きつけた同僚が食料を買って自宅まで持ってきてくれた。常温のOS-1がとても美味しいと感じた。

隔離生活スタート

9月3日(金)
AM4時起床、陽性者の朝は早い。ずっと寝たきりなので2時間ずつ寝て起きてを繰り返すような生活だからだ。体温は38.5℃。何もやることはないし何もやる気が起きない。AM9時には前日にAmazonで注文しておいたパルスオキシメーターが届いた。プライム便は流石の早さである。パルスオキシメーターは本来、保健所から郵送で貸与されるのだが、今の状況では中々届かないという話があったのと、父親(理系)からも買っておけと言われたので購入した。価格は8500円ほどだった。早速、血中酸素飽和度を測ってみると98%の表示。95%以上が軽症の目安とのことだったのでひとまず安心した。
この日は起きた時からやけに舌が荒れていた。味を感じなくはないがなんだかずっと口の中で変な味がする。そして、なぜか冷蔵庫で冷やしたものは飲み物だろうが食べ物だろうが全く受け付けなくなっていた。冷やしておいた水も、昨日同僚が買ってきてくれた野菜サラダも、見るだけでしんどいと感じた。常温のOS-1と常温のウィダーインゼリーで夜まで過ごす。夜は同僚にコンビニのパスタを買ってきてもらった。なんとか完食できたが、正直めちゃくちゃしんどかった。パスタと一緒に入浴剤を貰ったのでお風呂でゆっくり温まって就寝。

発熱のピークと保健所からの入電

9月4日(土)
AM3時、なんだかめちゃくちゃ寝苦しくて起きたら39.5℃。布団は汗でビショビショである。後から看護師さんに聞いて知った話だが、お風呂にゆっくり浸かって温まるのはウィルスが活発化するから絶対にやってはいけないそうだ。これはもう完全に「オワタ・オブ・オワタ」「オワタの中のオワタ」だと思った。食欲は一切なし。めちゃくちゃ暇なのに映画とかみる余裕も一切なし。ただひたすら苦痛に耐える。寝たきりインザハウス。常温のOS-1とウィダーインゼリーだけで一日をやり過ごす。せめて何かもう少しカロリーをと思ってインスタントのオニオンスープを作ってみたが、なんだかめちゃくちゃ塩辛い気がしてほとんど残してトイレに捨てた。ウィダーインゼリーの味は全く変わってないように感じるのにスープは全くダメだった。後から看護師さんに聞いて知ったが、なぜか味が濃く感じるのもよくある症状らしい。
昼過ぎに知らない携帯番号から着信があり、出てみると保健所の職員からだった。今ならホテル療養も可能だがホテルに行くかどうかを確認された。実際にホテル療養する人達の中でも1日に何人かは容体が急変して病院に搬送されているという話も聞いたので、急変する可能性を考えたらやはり看護師のいるホテル療養を選択した方が良いと思った。
ホテル療養を希望する旨を伝えて一度電話を切り、数時間待つと保健所職員からホテル療養の手続きが完了した旨の連絡があった。翌朝9時40分に専用のタクシーが迎えに来るそうだ。ともあれこれでご飯の調達などを人に頼まなくてもいいので少し安心した。

ホテル療養開始

9月5日(日)
AM9時45分「ご自宅のマンションの下に着きました」とタクシードライバーから電話があった。数日分の着替えと大量のOS-1、ウィダーインゼリーを持ち、仕事用PCとプライベート用PCを詰め込んだリュックを背負っていざ出陣である。乗り込んだタクシーは運転席と後部座席の間に透明のビニールシートでびっちりと蓋がしてあり、後部座席に空調の風を送る用のダクトが別途取り付けられていた。窓は常に半開である。タクシーに10分ほど揺られると、目的地のホテルに到着した。今回お世話になったのは俳優の袴田吉彦さんがよく利用していたことで有名なビジネスホテルだった。到着すると私から異様に距離をとって立つドアマンがいて、扉が開くまで待つように指示された。パッと見、普通の自動ドアだったが、なぜかドアの開閉速度が通常の5分の1以下の速さだった。この速度に何か意味があるのかは結局わからなかった。ガラス張りのエントランスには全体的に半透明のビニールが貼られていて中が見えないようになっていた。

ホテルに入るとロビーにはパイプ椅子が並べられていてその向こうに窓付きのプレハブ小屋のようなものが建てられていた。職員は皆その小屋の中にいて、小屋内にはマイクが設置してあり、職員はスピーカーを通してこちら側に話しかけるシステムだった。窓越しに身分証を提示し、受付を済ませると「宿泊療養施設のしおり(※)」をもらった。
※下記サイトで閲覧可能です
https://www.pref.osaka.lg.jp/kikaku/corona-kinkyuzitai/syukuhaku.html

受付には大量のパルスオキシメーターが入った箱が置かれていた。保健所の郵送が間に合わなかった人にはここで貸与されるらしい。私が受付を済ませている間、隣で頑固そうな爺さんが「身分証を持ってこないといけないなんて聞いていない!」とゴネていた。私は保健所からの電話でかなり念入りに身分証を持ってくるように言われた記憶があるが…そもそもこの爺さんは身分証を持ち歩いてないのだろうか。ホテル療養中は基本的には1日に2度看護師から内線がかかってきて問診があるのだが、それには前提として事前にスマホかPCで厚労省のコロナ感染者管理のサイトにアクセスし、その日の体調や体温、血中酸素飽和度を入力しておかないといけない。先程の爺さんにそれほどのITリテラシーがあるように見えなかったが…おそらくその場合は内線で看護師が問診しながら代わりに入力することになるのだろうなと想像できた。

入室〜お弁当タイム

ホテルの部屋は11平米、一般的なビジネスホテルのシングルルームだった。普通に泊まる分には全然十分な広さだが、何日もずっとこの部屋で過ごすと考えると少し狭く感じた。Wi-Fiは無料で使い放題、VODチャンネルも無料で見放題なのはありがたかった。しばらくすると館内放送が流れる「朝のお弁当の残りとゴミを処分するので案内があるまで1階に降りて来ないように」という内容だった。こうして職員や出入り業者が感染者と接触する機会を極力減らしているようだ。12時30分になると今度は「お昼のお弁当の準備ができたので1階に取りにくるように」との館内放送が流れた。ホテルについて最初の食事である。食欲はないがエレベーターで1階に降りるとお弁当の置かれた棚の前に結構な人だかりができていた。その時気づいたのだが、このホテルにはどうやら男性しかいないようだ。男女別でホテルを割り振られているようなので、女性にとっては安心だろう。しかし、顔色が悪い部屋着のおじさん達が弁当に群がる姿は、さながらホームレスの炊き出しのように見えた。

弁当の列に並んでいると突然後方がざわついた。振り返ると、開いたばかりのエレベーターの中におじさんが倒れていた。近くにいた別の体調の悪そうなおじさんが「あの…人が倒れました…」とスタッフのいるプレハブ小屋に呼びかける。こういう時、平時であればホテルのスタッフが飛んでくるところだろうが、今はそうではない。「その倒れた方をこちらに連れてきてもらえますか?」ホテルのスタッフは安易に隔離されたプレハブ小屋から出ることはできない。倒れていて体調の悪そうなおじさんを、別の体調の悪そうなおじさんが肩を貸して起こし、プレハブ小屋の窓の前に連れて行く。
「どうされましたか?大丈夫ですか?」とスピーカー越しに話しかけるスタッフに「眩暈がした」とおじさんが答える。「すみません、そこの血圧計を取ってこちらの方に渡してください」プレハブ小屋の中のスタッフから我々感染者に指示が飛ぶ。ホテルスタッフや看護師といえど、感染者の群れに防護服なしで飛び込んでくることはないのだということが分かった。

さて、気を取り直してお弁当である。配給の棚からお弁当とお箸、野菜ジュースとペットボトルの水を取って自室へ戻る。お弁当は基本このような感じ(写真参照)である。味覚がおかしいせいか、漬物と鮭だけが異常に塩辛く感じてキツい。写真で見るとご飯の量が多く見えるが、実際は大したボリュームではない。それでも食欲がなく吐き気もあり、ご飯は半分だけしか食べれなかった。

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ホテル療養初日はまだ38℃を超える熱があったので特に何もすることなく、そのまま一日中寝て過ごした。

37℃台はもはや平気

9月6日(月)
ホテルの使い勝手もある程度把握し、小慣れてきた2日目。この日の体温はMAX37.7℃だった。これまで38〜39℃台の熱が続いていたので、相対的にめちゃくちゃ快調のように感じられた。それでもまだ弁当を完食できるほどではないのだが、映画を一本ぶっ通しで見れるぐらいには回復していた。とはいえ、まだ熱があるので、あまり難しい映画は無理だ。私が求めるのは「なるべく頭を使わずに、適当に流し見ても内容が分かって、尚且つクオリティに定評がある映画」である。数あるAmazonプライムの見放題映画のリストの中から映画を厳選していく。最終的に私がチョイスしたのは「怪盗グルーとミニオンズ」シリーズだった。子供向けと思ってこれまで敬遠していたが、今の自分の沸いた脳みそにはこれぐらいがベストだろうと考えたわけだ。そして結果的にこれは最高のチョイスだったと言わざるを得ない。他の療養中の皆さんにも是非おすすめしたい頭を使わずに楽しめるエンターテイメント作品である。ミニオンズがめちゃかわいい。
37℃台だと体調的には割と平気だったが、前日に看護師さんに「解熱剤は熱が上がり切ってから飲んでも効きにくいから、熱が上がってきたらすぐ飲んで」と指示をいただいていたので解熱剤も適時のみつつ過ごした。

ついに平熱へ

9月7日(火)
ホテル療養3日目にしてついに熱が下がり、終日通して平熱をキープできるようになった。看護師さんに報告すると「熱が下がってきても長湯と筋トレは絶対にしないように」と忠告された。体がしんどいうちはじっとしてられるが、しんどさがなくなると退屈になって体を動かしたがる男性が多く、結果的に運動でウィルスが活発化して熱がぶり返すのはあるあるらしい。確かに、平熱になると途端に退屈と狭い部屋に閉じ込められている窮屈さを実感してしまう。リモートワークでもできればよかったのだろうが、あいにく職場の規定で「陽性になった人は隔離解除になるまで仕事をしてはいけない」とのことだった。暇を持て余した私はテレビのVOD(ビデオ・オン・デマンド)チャンネルに目をつけた。昔はペイチャンネルと呼ばれていて、1000円ほど払うと見れるものだったが、今の期間は無料で解放されているようだ。メニューを見ると映画、ドラマ、バラエティ、スポーツ、アダルト、その他とジャンル分けされていた。この時私はコロナで少しイカれていたのかもしれないが「アダルトのジャンルのやつ、全部見よう」と思い、アダルトのボタンを押した。そのさきのメニューは女優、素人、フェチなど6つのジャンルに分かれており、それぞれのジャンルに約50本ずつくらいの作品が並んでいた。「思っていたより、数が多過ぎる…」私は「アダルトのジャンルのやつ、全部見る」を早々に諦めることになった。あと、夕食の時に歯の詰め物が外れた。隔離中で歯医者にいけない時に詰め物が外れるとこんなにも絶望を感じるものかと思った。

9月8日(水)〜9月9日(木)
もう発熱もなくなり、食欲も戻り、お弁当も完食できるようになっていた。初めてホテル内のコインランドリー(無料)で衣類の洗濯をしたりもした。熱が引くと、何故か下痢と咳の症状が出てきたが、発熱と比べるとたいしてしんどくはなかった。だからこそめちゃくちゃ暇を感じるのである。暇だからコロナにかかった人達のTwitterを遡って読んでいると「ホテル療養中に熱が下がって安心していたら咳が出始め、そのまま肺炎になり急変して人工呼吸器に…」といった書き込みを見て戦慄した。油断大敵である。
看護師いわく、発熱の症状がなくなってから72時間が経過するとホテルを出れるとのことだった。9月7日以降発熱がないので、9月9日まで発熱することなく過ごせれば、その翌日9月10日には晴れてこの独房から出所できることが知らされた。しかし、それまでの間をどうやって過ごそうか、映画を見る気も、電子書籍を読む気にもならない。人は暇を持て余しすぎるとやる気をなくすらしい。色々とこの期間の過ごし方を考慮した結果「寝るといつの間にか時間が過ぎる」という結論に達した私は出所の日までひたすら寝ることにした。

出所予定日

9月10日(金)
いよいよ出所予定日である。早起きした私は部屋の窓から外を見下ろしながら、この独房からついに出られるという高揚感を噛み締めていた。携帯電話が鳴り、ディスプレイに保健所らしき電話番号が表示される。きっと今日の出所時刻の連絡だろう。張り切って電話に出ると保健所の職員から「すみません、確認ですが、9月7日に解熱剤飲まれてますよね?」と尋ねられた。ええ、たしかに飲みましたよと答えると「解熱剤飲むとね、そこから24時間は発熱なしの期間にカウントされないんですよね。なのでホテル療養を終了できるのは明日になります。」と衝撃の事実を伝えられた。
電話を切り、もう一度部屋の窓から外を見下ろす。
何故だかさっきまでと少し違った景色に見えた。私はベッドに横たわり、目を閉じた。朝起きてからずっと考えていた「今日の晩御飯は何にするか」その答えはカレーと決めていた。でももうその夢は今日は叶わない。人を傷つける時は一度期待させてから落とすのが効果的であることを知った。人生とは学びの連続である。私はふて寝を決め込んだ。

出所予定日vol.2

9月11日(土)
9.11は世界にとっても、私にとっても特別な日となった。私はこの日を一生忘れないだろう。15時15分、私は1階ロビーに集められたその他の退所予定者とともに点呼を取られ、釈放された。「ドアが空いたら順番に出てください、お疲れ様でした。」職員のアナウンスとともにゆっくりと自動ドアが開く。外に出ると、私は「外だ」と思った。思考があたりまえ体操の構文である。「外を歩く」という行為自体が1週間ぶりなのである。私はもうこの時点で感動のピークを迎えていた。そのまま地下鉄の駅に向かい、地下鉄に乗ると「地下鉄だ」と思った。ずっと同じ部屋の壁ばかり見ていると人の思考はそのレベルになるのである。最寄り駅に到着し自宅へと向かう途中、コンビニに寄った。「コンビニだ」と思った。コンビニで水とお茶を買って帰宅。「家だ」と思った。ずっとホテルの部屋にいたので1Kマンションなのに「広い」と思った。すぐにスマホで出前館のページを開き、日頃よく食べていたカレーを注文した。これが私の出所後に一番やりたかったことである。
出前が届くやいなや封を開け、部活帰りの運動部員のごとく貪るように食べる。が、しかし…である。

「こんな味だったっけな…?」

後遺症


どうやらずっとホテルの弁当ばかり食べていて気づかなかったが、塩味がキツく感じる症状が治っただけで、根本的には味覚は全然元に戻ってないことにこの時初めて気づいた。これを書いている9月14日現在も味覚はまだ戻っていない。何を食べてもちょっとずつ美味しくない。それなりに味を感じるだけまだマシだがこれは結構ショックである。まだ自分でも実験中だが、例えばカレーの味は薄く感じるが福神漬けの味は濃く感じる、焼肉のたれの味は薄く感じるがとんかつソースの味は濃く感じるなど、今のところ法則性がまだ掴めていない。食に対する期待が減るのでダイエットにはいいチャンスかもしれないが…。その他にも少し呼吸が浅かったり、単に生活リズムが乱れているせいかもしれないが夜眠りにくかったりという症状が残っている。これらについてはもう時間が解決することを祈るばかりである。そして2週間も寝たきり&独房生活だったので体力がしっかり低下している。腕も随分細くなった。これからしっかりリハビリして取り戻していこうと思う。

今回長々と書いたこの記事がはたしてこれから罹患する人達の参考になるのかどうか分からないが、少しでも参考になれば幸いである。

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