ホームシックの気持ちを手紙に。
今年のお盆休みは長い休みで地元に帰るなり、気が抜けて微熱をおこしたかのような感じになってしまいました。
私の家族は、私が高校生のときに離婚をして今は別々に生活をしている。そのため、私の帰省のルーティーンは、父の迎えにはじまり、母の見送りで親孝行をするのだ。
1週間の大半は、どこか旅行へ行ったり美味しい食事を食べるために店を予約することが世の中の連休の家族の在り方なのかもしれません。私の家族は、冒頭で話をしたように離婚をしているので家族で集まることは決してありません。悔しいようで可哀そうに思えるだろうが、家族に「合わせる」ということがないので、父という一人の人間、母という一人の人間と一人ずつに向き合って違う食事違う話ができるので、これはこれで楽しいのです。
思い出は共通ですが、その時思っていたそれぞれの話をきくと、どこに苦労していたのか何が今の自分を作り上げたのか見えてくるものもあるのです。
そんな家族ですが、今年はドライブしながら話をすることが多かったなーと思い出すのです。父の車は、職場でも使うためニスや工具の匂いが漂い、これぞ職人と思わされるほどの車内だ。
父はいつも唐突に私に言う。
「失敗はしてみろ。間違ってもいい。挑戦することは悪いことじゃない。」
父のこの言葉が若い時には全く理解もなく何故?が先に出てしまう考えだったが、最近は、この言葉ひとつひとつが父の経験こそ失敗はあれど工夫して何かをやってみることは素晴らしいことなのだと訴えているようでした。
不器用で愛情表現が不得意な父ですが、私はこの時間を尊く感じているのです。
一方母は真逆です。自分の苦労した話を延々と説明して私は聞く側に徹します。
ただ、母は母なのです。言葉ではあれどあれど自分の話を聞いてほしいように子供のように無邪気に話しますが、その合間にする行動一つ一つは、いくつになっても子供を世話する母なのです。
これには毎回、頭が上がりません。
さて、愛情たっぷり
良い歳をして甘やかされたのですが
住んでいるところに戻ると今までになかった寂しさが続くようになりました。それは次第に月日とともに今日では少し和らいできました。
今となってはLINEや電話でいつでもどこでも連絡がとれる時代です。私は、この寂しさを思い出を振り返り、父と母に大人になって初めてミミズのような下手な字で手紙を認めました。
AIだったら、ものの数分で1人2枚分の文書を考えてくれます。きっと喜んでくれる内容になると思います。しかし、考えた時間、時を少し間違えた時間、もう少し何かを付け足そうとした時間、その全ての人間臭さと言いますか何と言いますか、決して分厚い内容ではないのですが、その時間が尊く人を「思う」ということは、こんなにも心を育むのかと感じました。
私も父に似て不器用なもので何を書いたかは今覚えていませんが、届いた時には父も母も喜びお互い涙声になったものです。そして、2人から共通する言葉といえば
「また帰っておいで」
でした。
家族はバラバラでも心はどこかで繋がっている。
ホームシックとは、また会いたいのサインであり、その会うために日々を生きるための食材なのだと、齢32にして思うのでした。
次は、どんな親孝行をしようか。
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