あり合わせのクリスマス
今年もクリスマスがやってきた。
18歳のクリスマスはホストクラブでお鮨を食べて、
19,20のクリスマスは友人と遊んだ。
今年のクリスマスは家で1人でいつもよりお笑いの特番が多いことに幸せを感じていた。
クリスマスじゃなくても別にひとりの日はひとりだし、逆に言えば「クリスマスだから」といってわざわざ1人から逃れるために直前に遊ぼう!となるような友人もいなかった。
先週「もうクリスマス一緒に過ごすか~」とか言っても、結局お互い本気でクリスマスという特別な日をささげるような間柄じゃなくて、普通に友達としては好きだけど異性としてクリスマスを過ごすくらいならもっといい相手(過ごせなかったとしても過ごしたい相手)がいたり、むしろ同性か1人で過ごした方がいいクリスマスもある。
一緒に過ごそうぜ!ってノリで言った相手もいたけど、誘いも来ていたけど、すべてにすがるほど寂しくはないし、出かけるほどの元気もない、まあ単にクズなのだ。特別な日に出かけたいほどの何かが今年の私にはなかった。多分普通の休みの日だったら乗っていた沢山の誘いを私は割と蹴った。
Tinderを開いて、数回右にスワイプした。すぐにマッチした人から、メッセージが飛んできた。返すのもめんどくさかった。けど、意外とこの時期この時間にTinderに人はいるんだなと勉強になった。
クリスマスという特別な日は、特別な相手がいて初めて特別なものになるんだと思う。
あり合わせで適当に一人じゃなくしても、結局むなしいだけだ。それに、そんなあり合わせの人に会うためにする化粧も、洋服も私は持ち合わせていなかった。すっぴんダル着で仕事の話しに行くとか、いつもの友達とシーシャを吸うくらいの距離ならば外出できるけど、最低限の見目を整えるような努力をするくらいなら、家で本を読んだり、ダサい格好で映画を観に行って、その感動を心に帰った方がよさそうだった。
好きな人いないクリスマスは退屈だ。
好きな人と一緒に過ごせるクリスマスはとても楽しいだろう。
けど、好きな相手と過ごせるあまりに相手に期待をしすぎてしまったり、クリスマス「らしく」特別にしなきゃ、というプレッシャーで結局クリスマスを自分で潰してしまうような気もした。
毎日を生きて、来年くらいは、あり合わせじゃない、二週間くらい前から特別な日にしたいと思えるような相手に出会って、その相手が二週間後に合ってくれることが当たり前の世界線に行きたい。
好きな人がいるのに、好きな人に会えないクリスマスほどむなしいものはないから。
けど、片思いの相手と過ごすクリスマスも怖いなと思った。
忘れられない幸せなクリスマスは、多分いつか呪いになるから。幸せの中にちらつくやるせなさがいつもよりも大きいだろうから。
素直じゃない私は、こうして12 月25日という日を潰した。
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