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斜陽

アパートの階段を登る時、暗がりに転がる枝が、甲虫の脚のように見えた。よく滑る廊下で仰向けでもがいている甲虫をひっくり返して助けていたのが、ついこの間のことのように思われたけれど、いつかの夏は遠く過ぎ去り、もう次の夏が目前に迫っている。一年が経つのか。

驚くほど当たり前に過ぎては巡ってゆく季節の中、何一つ変わっていない自分だけが円の中心に取り残されている。目の回るようなスピードで巡る人たちを、ただ眺めている。いつから取り残されたのか、もう分からなくなってしまった。いつから分からなくなってしまったのかすら、今ではもう分からない。

ただ仕事だけをこなしている人生なのに、別に給与が大して増えるわけでもない。給与の低さを補って余るほど、好きな研究を好きなようにやらせてもらっているかというと別にそういうわけでもなく、「仕事」的な部分が少しずつ増え続けている。かといって研究だけに振り切って自分が生き残れるかと言うと恐らく違う。結局、研究だけで生き残る覚悟が自分にはないのだ。上司からの評価は、何故だかすこぶる良い。2023年通期の評価は、最高評価だった。かといって新しい人事制度では大した収入増加につながるわけではないので、自分はただの飾りだと思っている。「投げるとよく飛ぶ勲章」みたいなものだ。

仕事中、不意に、古い友人から「9月6日のカネコアヤノの日比谷野音に行くぞ」と連絡が来た。あまりにも唐突な連絡に、一応意図を確認してみたが、確かに誘われているらしい。なぜ彼は自分を誘うのだろう、と少しだけ不思議な感じ。
最後に会ったのは去年のカネコアヤノのNHKホールで、ライブの後、本音みたいなものをぽつぽつと呟きながら食べた、渋谷駅近くのラーメン屋の空間を思い出す。かき鳴らされたギターの音を思い出す。生きるのってあんな感じだったかもしれない。
年に一回会えば多い方、という距離感と関係性の彼は、自分の人生の中で、不思議な存在感を放っている。もう遠くなった昨年の春にも、夜の車内、よくアーティストを薦めてくる彼のことを「Spotifyの彼」と呼んで話題に出していた。今も彼に薦められたMONO NO AWAREを聴きながらこのnoteを書き上げている。

最近、友人が結婚した。

斜陽

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