夏の音
暑い、暑い日だった。
「夏っぽい」とかいう感慨を抱く以前の問題で、ただ如何にしてこの暑さに耐えるかだけを考えていた。
今日も相変わらず外で走り回っていた。優勝賞品が黒毛和牛という「中級」ダブルスの大会に参加していたのだが、これがどう見ても中級レベルではない。
トーナメントは早々に1試合目で負けたものの、人数の関係上小さなシードがついていたので、3位決定戦に回って勝ち、その後のエキシビジョンも2回勝ったので結果は3勝1敗。まあまずまずでしょう。
人生で一度も足を攣ったことがないので、その感覚を知らないはずなのに、今日は初めて足が攣るかと思うほど厳しかった。今も左の太腿の感覚がふわふわしている。他のペアよりも多く、4試合こなしているからだと言いたいところだけど、実際、3試合目の序盤から怪しかったので言い訳にならない。今週はテニスをする機会が多く、昨日も、今日の午前中もやっていたというのが答えだろうけれど。
年に一度、近所の八坂さまでお祭りがあり、アパートの目の前の通りが歩行者天国になる。今日がその日だった。地域の人、子供たちのためのお祭りという印象が強く、外から来た部外者である自分が積極的に参加するものではないなと思っているけれど、この祭囃子の音を聴くのも6年目になる。
夕方になれば昼間の暑さが嘘のように涼しくて、こんなに暑い夏だって、当たり前のように終わっていくんだなと少し寂しくなった。暑い季節は、きっとあとひと月以上も続くけれど。きっとまだ夏が好きなんだ。
遠くから祭囃子が聴こえる。やがて祭りが近づいて、そして遠のいてゆく。パーっと明るくなったかと思うとすぐに去ってゆくその光景は、少しだけ、熱に浮かされた時に見る夢の景色に似ていた。
祭りの音を聴きながら、ベランダでビールでも飲みたいような日だった。惜しいことをしたな。それが「夏っぽい」と感じるのは、恐らく、祇園祭を題材にした森見登美彦の短編の一節にある種の憧れがあるからと分かる。宵山、鉾と観光客の列を眺めながらベランダでビールを飲む。良いな。多分、「宵山万華鏡」の中の柳画廊の主人の話だったような気がする。
京都、良いな。京都に住みたい。来年の夏はどの祭囃子を聴いてるのだろう。
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