「誰かの後悔になりたかった」

ふと、そんなフレーズが浮かんだ。

特に意味があるわけでもない。ただ、後悔という感情と共に自分のことを思い出す人は、多分、いないのだなと思うと、それがなんだか少し寂しかった。もしかしたら、などと無意味な淡い希望を抱いている自分に、いつものごとく辟易する。


この一年間、家にいることが多かった所為か、色んな作品を観て、読んできた。アプリで漫画を読むことも多くなった気がする。時折、架空の人物に誰かの影を垣間見ては、ハッとする。「イエスタデイをうたって」のハル、「惡の華」の仲村さん、「閃光のハサウェイ」のギギ。現実の誰かに印象を重ねることもあったかもしれない。そのどれもが誰かの姿を映しているようで、何一つ重なってなどいないような気がする。現実は記憶へ、記憶は印象へとなり果てて、もう何も思い出せなくなってしまったのかもしれない。それで良いと思うし、それではいけないような気もする。


後悔だけではあまりにも足りない。その誰かを形作る感情は、もっと複雑な色をしている。

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