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日曜の午後、黄昏のまえに

それは少し前のこと。

スマートフォンに届いた広告ばかりのメールを処理していたら、もう使わなくなったSNSから通知が一件入ってた。
誰々が投稿しただとか、どうでもいい知らせばかりだったが、自分宛に一つ通知があるという文言に、何かしらの間違った希望を見出して、久しぶりに開いてみた。結論から言うと、そんなものはなかった。
画面の最上段には円形の知り合いのアイコンが並ぶ。その中に一つ、はっとするアイコンを見つけて、自分の世界ではいなくなった誰かは、この世界のどこかで今も笑っているという当たり前の事実を思い出して、何のためにそう呼びかけられたのか今でもよく分からない、相互フォローの糸をそっと切った。

これはついさっきのこと。

昼下がりから出かけて、一つ目の乗り換え駅に着いた。駅前は夕方の憂いを帯びた、けれど温かい光で満たされていて、思ったよりも人がいた。
そういえばあの時、この場所を最後に選ぶこともできたけれど、結局北千住で待ち合わせたのだっけ。思えば最初に顔を合わせたのも北千住で、どこまでもおあつらえ向きだったなと今でも自嘲する。黄色味がかった駅前の景色を横目に見ながら、そんなことを考えていた。

そしてこれは今の話。

なんとなく、昨日実家から帰る時から、スマートフォンに入った曲を全てシャッフルして聴いている。最近はSyrup16gとLaura Day Romanceしか聴いていなかったのに。多分、車を出す時のゴタゴタで、曲を選んでる暇がなかったから、それだけのことだけど。
アジカンやらピロウズやらが流れる中、久しぶりにmol-74に出会う。色で表すなら透明、そんな音を聴いていたら、何か藁をも掴むように救いを求めていた、いつかの気持ちを思い出すようだった。あの時持っていた、歪で繊細で刺々しく、けれどまだ温かみを残していた感情は、今では薄れて、すっかり楽になった。けれどその安らぎは自分の中の価値あるものを切り捨てることで手に入れたようにも思うんだ。一昨日、透き通るような他人の言葉を読んでいて、そんなことを考えた。

何もかも汚れてしまった。時間が経って擦り切れて、記憶は遠く、感受性は少しずつ鈍り、美しいものなど何一つ失くなってしまった。それでも生きてゆくしかない。車窓から見える憂いを帯び始めた景色。日曜日の午後。
最近、黄昏って字面ほど黄色くないなって思っていたけれど、実はこの時間のために用意された言葉だったのかもしれない。

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