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空っぽだね。

何もかも空っぽだね。けれど、空っぽを埋めるためだけに今まで生きてきたわけではないと思っていたいのだけれど。

心に刺さった文章を引用しながら、あまりにもプライベート過ぎた駄文を有料記事にしていたら、引用元さんに一瞬で購入されてしまった。「嘘やん」って声が出てた。恥ずかしい。もう少しちゃんとした文章を書いておけばよかったと少し赤面する。

まあ自分にはどうせそんな文才はないし。彼女の文才はひどく羨ましかった。羨望。少し前に大きな注目を集めていたのだって、その出来事のインパクトだけではなく、文章の面白さが大きかったのだって今でも思っている。

積み重ねと言うのだろうか。最近、自分の底の浅さが見えてきた。目を背けていたのか、あるいは何か暗いものがはびこっていて、底が見通せなかっただけなのか。いざ霧が晴れてみれば、そこはひどく浅い空間だった。底は。まあ薄々分かっていた。自分の心みたいな小さな小さな器を埋めているのは諦念とか憂鬱みたいな、パッと見て底の知れないものであって、それ以外に何もない。情操教育足りてない。誰かとちゃんと向き合う機会が無かったからかな、と何かの所為にしてみる。何かの所為にするのはすごく得意。一方で、それを許せない自分もいたりする。分裂。

人と話していて、自分が浅いなぁ薄っぺらいなぁと思う機会が増えてきた。3年前、人に言われたことを思い出して、当時は感情的に受け止めてしまったけれど、今はその通りだなとしか思わない。いや当時も、自分ですらそれは薄々分かっていた。その人に自分が釣り合わないことは自分でも知っていた。恋愛ってそういうもんじゃないような気もするけど。いつか来るその時が、少し早かっただけのことだ。いずれ終わる関係ということは分かっていた、それだけのことだった。ただ、終わり方を選ぶことが出来たのに、自分は感情的になって後悔する選択をした。多分その選択を3年間後悔した。もう終わったことだけど。でも夏になったらまた会うんだって。つくづく意味が分からない、自分が。

終わり方を選ぶことが出来る別れは幸せだな、みたいなことを思ったりする。多分前にもちょっと書いていた。確かRADWIMPSでそんな歌詞があったから、そこに影響された文言なのだろうと思う。当時はその曲名が分かったけれど、聴かなくなった今ではもう分からない。水曜日、終わり方を選びに行く。何を話すっていうのさ。何にも分からないけれど、後悔はしたくなかった。

パソコンのデスクの上を見上げると、中央にかけていたと思い込んでいた時計が実は左にズレていたことに今気づいた。どっかしらがズレているのかもね。空っぽでも、何にも入っていなくても、やっぱり自分は何かしらがおかしい。RADWIMPSの棒人間って曲が好きだった。好きだった、というよりずっとあんな感覚で生きてきた。自分は人間のなり損ないなんじゃないか。何か致命的なものが欠けているんじゃないか。どこかで落としてきたのか、拾い損ねてきたのか、あるいは元から持っていなかったのか。人に出来る当たり前のことが出来ない。みんな当たり前に大事な人と結ばれるのにね、ってずっとそれを考えている。恋愛脳と言われても否定できない。男のメンヘラと同じくらい、男の恋愛脳って需要ない。ジェンダー的に批判されて然るべきことを書いているけれど、割とそう思っている。自罰的に。
そんなこと大したことないでしょってよく言われる。でも人の地獄は人には分からないんだよ。たとえそれがどれだけちっぽけな地獄であっても。自分の過去に連なるのは、無数の不合格通知。相性の問題なんだから、そんなに深く考えなくてもいいんじゃないと人は言う。今では自分も多少はそう思えるけれど、その不合格通知の中に人格否定も含まれていたことを忘れられない。弱い、本当に弱い。ただ悲しいのよ。

日曜の昼間からこんな深夜テンションみたいな文章を書き連ねている。生きることは辛い。自分で辛くしている。
水星の魔女の18話を観ていた。

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