巨人の肩の上を乗り継いでいる
巨人の肩の上に立つ、という言葉を初めて知ったのは、学生の時。
居室の隣にある先生の部屋に、実験結果を持って相談しに行った時だ。PCのディスプレイにはおなじみのGoogleの検索画面が映っていたが、一つ、見慣れない文字列が見えた。「巨人の肩の上に立つ」。洒落た言葉だな、なんだろう。今日のGoogleのトップロゴだろうか。それとも自分で言葉を設定できるのかな。その程度で考えていた。
後で知ったが、それはただのGoogleではなく、論文専門の検索エンジンGoogle Scholarのトップページだった。それまでScience Directしか文献調査手段を知らなかった自分が、研究室の先輩にGoogle Scholarを教えられてページを開くと、普通に出てきた。
広くは万有引力の法則を発見したニュートンの言葉だと言われている。ただ、元々はシャルトルのベルナールの使った言葉だという。ちなみにベルナールが何をした人なのか、無学な自分にはあまり馴染みがない。
巨人の肩の上に立つ、とは研究の世界では、「今の自分がこの発見を成せたのは、偉大な先人達の成果に基づいて研究したおかげだ」という意味で使われていると理解している。巨人の肩の上に立ったからこそ、自分には今、この景色が見えているのだと。
特許でも取らない限り、研究で新しく生み出された手法に著作権的なものはない。誰でもその手法を模倣できる。ただし、模倣だけでは新規性は生まれないので、そこにまた新しい手法、あるいは既存の手法を組み合わせることで、新しい価値が生まれる。そうして科学は積み重なってゆく。
逆のニュアンスを持つ言葉としては、「車輪の再発明」がある。既に確立された手法を無視し、一から作り上げること。
先日、職場で学会発表の話が出た。研究者としての自分のキャリアを考えても、そろそろ良い頃だろう。遅いくらいだ。発表の一つくらいしておかないと、自分が何に取り組んで何ができる研究者なのかという「名刺」がない。恥ずかしながら、ちゃんとした学会発表は修士2年の時に一回やったきりだ。ポスターではなくオーラルの発表だったことが、せめてもの救いか。
学会発表の話が出たのは、恐らく今年度取り組んだ内容で、ある程度の成果が出たから。とは言っても、結果になった手法の検討は、実際には去年の今頃の時期にはすでに始めていたことで、それが今年度になって実際のデータを組み合わせることで実になった、と言う方が正しい。研究の先行投資の大切さを、自分自身の行いで実感している。
試行段階のレベルなので、「成果の発信」というよりは「コネクション作り」とか「取り組み紹介と相談」くらいの発表内容になると思っている。それほどハードルを下げておいても、正直なところ少し自信がない。
今回の研究では、二つの既存の手法を組み合わせることで良い結果が出ている。特に自分で、何か大変なことをしたというわけではない。謂わば、2人の巨人の肩を乗り継いで登れた高台に、自分は立っている。それにどんな意味があるかなぁ、他の誰かにだって出来たことではないかなぁ、自分の生み出した新しい価値は何だったかなぁと考えると不安になってくる。
とはいえ、ここで新しい一歩を踏み出しておくことは大事。名実の「実」が伴わなくても、「名」だけはひとまず、研究者としての人生が始まるのですから。
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