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【教員退職】小学校教員5年目の冬

※ 初投稿です。見づらさや誤字脱字等、お許し下さい。

教員5年目で、2校目の学校へ赴任

地元の4年制大学を卒業して小学校教員となり、5年目をむかえました。
初任校で4年つとめ、本年度(R5)から2校目となる小学校で働いています。
前任校との違いはいくつも感じましたが、大きく分けると2つでしょうか…。

❶ 児童数が少ない(=教員1人あたりの仕事が多い)
❷ 児童の様子がまるで違う(=落ち着きがない…)

❶ 児童数が少ない
1校目は児童数が700人を超える規模の学校だったので、小規模校に憧れていたこともありました。しかし、いざ小規模校の2校目にきてみると、教員1人あたりの仕事量(「校務分掌」って言ったりします。)が多く、かなり驚きました…。
ちなみに、教員5年目(27歳)の私が2校目で担当した校務分掌は、以下の通りです。5年目の先生方にとっては普通のことなのでしょうか…。私にとってはかなり多く感じました。

  • 6学年担任(昨年度学級崩壊…)

  • 6学年主任(2クラスの学年ですが、隣の先生は教務主任)

  • 児童会担当主任

  • 体育主任

  • 情報,視聴覚係副主任

  • PTA校外生活指導担当

❷ 児童の様子がまるで違う
1人ひとりの子ども達はとても素直ですが、生活する上でのルールや人間関係づくりが、学校全体としてうまくいっていない学校で、あんなに騒がしい入学式は初めて経験しました(笑)
私が担任したのは前年度に学級崩壊した6年生で、かなり厳しい毎日でしたが、他の学年も同じようにかなり大変そうでした。

「この仕事は辞めよう」と思ったきっかけ

学校のシステムにも慣れない中、落ち着きのない子ども達と、大量の校務分掌をこなす日々を何とか耐え抜き、夏休みを迎えました。しっかり英気を養って夏休みが明けたのですが…。
音楽会に向けて、今年度最初の音楽集会が9月にありました。
音楽専科の先生のアイデアで「6年生を全校の前(ステージ)に出して歌う」ということになりました。きっと、全校の見本となるような姿を見せてほしいという願いだったのだろうと思います。
ですが、正直6年生の音楽での授業態度はあまり良くなかったので、私はちょっと心配していました。「全校の前に出しちゃって大丈夫なのかなぁ」と…。

音楽集会本番、案の定ステージ前に並んだ6年生の子ども達は落ち着きがありません。とくに私のクラスは、フラフラしたり、声があまり出ていなかったり、かなり悲惨な姿でした。
「良くない姿だなぁ…」とは思いつつ、「まぁ,そうなるよね…」と感じたのが正直なところでしたが、音楽集会が終わって6年生だけが体育館に残ると、音楽専科の先生と隣のクラスの先生はぶち切れています(笑)
体育館に残った大人の中では一番若い私でしたが、一応学年主任ということで、何を言わなければならない雰囲気になってしまい、結局思ってもいない言葉を子ども達に言ってから、子ども達と一緒に教室に戻りました。

「教員の仕事って、朝から子ども達を叱ることなのか…」
「人に気を遣ってしまうような自分の性格じゃ、この先こういうことも増えるんだろうなぁ…」

と感じながら、体育館から出ていく子ども達の後ろからついていくと、いつもよりも子ども達の背中に元気がないように見えました。
その時に、心の中の糸がプツンと切れたような気がして、
「もうこの仕事は辞めよう」
と思いました。この仕事は、もう長く続けられない気がすると…。

適応障害になりました…

6年生の担任をしていたため、「この子ども達を卒業させて仕事を辞めよう」と決めた私でしたが、そこから仕事へのモチベーションがかなり下がってしまいました。消化試合のような感覚になってしまい、いろんなことに対して前向きに取り組めなくなっている自分がいました。
10月になり、暑くもないのにずっと喉が渇いてしまうことが続き、保健室の先生に相談をしました。結局、学校医の先生に見ていただくことになったのですが、特に異常はありませんでした。
診察の最後に、「最近何かストレスなことはありましたか?」と聞かれたので、仕事を辞めようと思っていることを伝えると、「自律神経が乱れているかも知れませんね。」と言われました。
そこからは、あっという間に体調が悪くなっていきました。寝れない、起きれない、食べられない、やる気が出ない、なぜか朝になると泣けてくる…。11月になると、毎朝運転しながら「誰か車にぶつかってくれないかなぁ…。」と思うほど、仕事に行きたくない気持ちが強くなっていました。今思えばかなりやばいですね(笑)
11月の下旬、校長先生に紹介していただいた心療内科のを受診しました。「適応障害」の診断がおりて、今年度いっぱい(約4ヶ月間)の療休をいただくことが決まりました。

ここまでが、私が教員を辞めるまでに至った経緯です。
療休中の出来事やその先のことについては、次の記事に書かせていただきたいと思いますので、お読みいただける方はよろしくお願いします。

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