見出し画像

終活していない親の介護

コロナ禍な最中に、病院に行くのは抵抗があった。
自分の持病もあり、まだ得体の知れないウィルスに、かなり敏感になっていたからだ。

私の主治医の先生から、くれぐれも気をつけるように言われていたから、父親の病院の付き添いも、内心不安で堪らなかった。
最前線で働いてる人には本当に頭が上がらない。

そんな心配をよそに、父はマスクを下げ、着けるのを嫌がった。
腰の骨を骨折しているのにもかかわらず、杖をつくことも、車椅子を借りる事も嫌がった。
私からの提案は全てNO。

父親としてのプライドなのか、なんなのか…
娘の心配を、ことごとく、却下していく。

実は、私が寄り付かなかった実家は、数年前から物で溢れ返り、片付けできない状態だった。
足を踏み入れることがなかったのは、足を踏み入れる場所がなかったことも一因だった。
何か用があれば、玄関先で渡すか、ドライブスルーのように、家を出てもらい車の窓から受け渡すようになっていた。

食事を届けるようになると、少しずつ家に入らざるえなかった。
冷蔵庫の中には、期限切れの食べ物であふれ、同じ食食料品が所狭しと積んであった。
少しずつ、貰っていくね。と処分していった。

数年前に、アパートの外壁塗装の工事があり、外回りに溢れかえった荷物を旦那と二人で、片付けた。
大家さんから再三言われていたのにもかかわらず、1週間前になっても片付けられずいたらしい。
たまたま、その話を耳にして、建築業だった私と旦那は、工事する現場の人が困るのが目に見えてわかるので、渋々片付けたのだ。

きれいサッパリ片付けたのに、数ヶ月で、
元通りだった…

そして、家の中は、トイレに行くのがやっとなのに、つたって歩くスペースもなく、無理矢理敷かれた布団に寝るのは、高齢で、しかも、腰の骨を骨折している状態での寝起きが辛いのは誰が見てもわかった。

実は外回りを片付けた時に、私から、何を言っても聞く耳を持たない親に、誰か言ってくれる人がいないか考えていた。
この先、老いて、介護や認知症になった場合、一緒に関わって貰えるように、地域の包括支援センターに相談していた。
その時は、数日後訪問していただいたのに、やはり、今は必要ないと、門前払いで終わった。

きっと、こういう頑固な、
『俺はまだ若い、誰の世話にもならない』ってタイプの老人は、デイサービスや、高齢者の受けられる支援を拒否するだろうなと思っていた。

案の定、ベッドを借りようという話も、足元が危ないから、片付けるのを手伝うからと言う私の提案も、『俺の物に触るな!』の一言で却下された。

クソジジイだ。本当に…

そのくせ、
『病院に連れて行け!』『アイスが食べたい!』『コレは不味い!』と自分勝手な言葉はよく出るが、『悪いね。ありがとう』とは、全くでない。

たまらない、この、モヤモヤ感。

悔しくて、悔しくて、やるせない。

再び、包括支援センターに電話をした。

『娘が、お願いしたと言わずに、地域の高齢者の把握をしてると、訪ねてもらえませんか?』とお願いした。
我が家の家庭状況をお話ししたら、『娘さん一人で介護することないですよ。一緒にサポートします』と心よく言ってくれた。

早速、作戦開始…

はじめに訪ねていただいた時は、用はないと断ったようだ。
諦めずに、日を改めて再び訪問してくれた。
きっと、嫌な言葉も、嫌な態度だっただろうと思う。

『骨折して大変ですね。
ベッドを安く借りられますよ。
スペース作って、搬入できるようにお手伝いしますから。』

数日後、物で溢れた部屋の中に、立派な介護ベッドが搬入された。

娘が言った
『足元危ないから、片付けるの手伝うよ。』
という言葉ではダメだったのだ。

第三者の言葉なら入るらしい。

クソジジイへのムカついた気持ちを抑え、
ソーシャルワーカーさんと、ひとまず作戦成功したとホッとしたのだった。

そして、コロナ禍の夏。
異常な暑さの中、消毒とマスクが手放せない日々

介護認定や、介護保険を次々に調べ、市役所と支援センター、病院を駆けずり回る毎日になっていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?