見出し画像

私一人では子育てできません。みんなで子育てしませんか?

長男と旦那と3人の生活が始まった。
はじめての出産だったので、それまで距離をとっていた母に、社宅に来てもらった。
母は父の超束縛から、何十年かぶりに1人の時間を取れる。
孫が産まれた喜びより、母は久しぶりの自由時間に、浮かれていた。
オムツを買って来て欲しいとお願いしたのに、何時間も帰って来ない…。
せっかくだからと、しばらく会っていなかった人との再会の時間を楽しんでいた…。
おっぱいをいっこうに飲まない長男に、焦り、かえって来ない母にイライラし、自分で台所に立ち、結局は、自分でご飯を作った。
(なんだ、狭い社宅に、母に来てもらう事なかったじゃん)
自分の心を平穏にする為に、母には、2日で、お帰りいただいた。
大丈夫!あとは自分でやるから。

__ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __ __
子育ては、ここから始まった。

授乳に苦戦し、母乳瓶と合わせてのミルクと混合にしてみた。メーカーごとに違う形、感触があって、これも好みがあるのか?と、次々と試してみるが、口からすぐにプイと出してしまう。
飲まないわりには、静かに寝てるからと、何時間も起きてこなくて、息をしてないんじゃないか?となんどものぞいてみたりした。
寝ている時間が多かったので、出産前に母親学級で友達になったママ友とのやりとりが少しずつ増えていた。
この繋がりがなければ、私は、多分、子育て出来なかっただろう。
近所のママ友は、私にとって、大きな支えになって行った。

はじめは、少しずつ散歩にでたり、お互いの家を行き来したり、はじめて触る得体の知らない赤ちゃんという生物は、謎だらけ。お互いに聞きたいことがいっぱいだった。
昼間、一人で赤ちゃんと向き合うだけの時間は、ママにとっては、孤独な時間なのだ。

毎日互いの家を行き来していたけれど、動き始めた子たちが目が離せなくなり、近所のママ達と、育児サークルを立ち上げた。
今まで、自分から、何かやろうとなんて今までした事なかったけど、幸い、近所には、同じ年の赤ちゃんがいっぱいで、遊ぶ場所、ママ友を作る場所、交流を求めてる人が沢山いたので、声をかけやすかった。

公民館の和室を借りて、出入り自由な場所を作った。
動き始めた長男は、家にいたら、大変なる事になる。目が離せなくてとても一人では見れない…。
ハイハイでどこにでも行ってしまい、この頃から長男は、身体の発達が異様に早かった。
一晩寝たら、次の日はまた凄い勢いで進化しているような感じで、誕生日が来た時にはもう、走れるようになっていたのだから。

《私一人では子育てできません。
みんなで子育てしませんか?》
というのをコンセプトにしたら、たくさんの母子が集まった。
和室を借りてクリスマス会をしたり、いい天気になれば、みんなでおにぎりを持って公園に行った。
退屈しているママ達と、遠足だ!と言って電車に乗って、中華街で肉まん買って、山下公園で食べて、水上バスで帰るなんて、乗り物三昧な日もあった。
同じくらいの赤ちゃん達と過ごす事で、我が子だけではない、お互いの成長を喜び合う時間にもなっていた。

昼間一緒に、過ごしていたママ友達も、
旦那の帰りが遅く、やがて夕飯を一緒に食べる日も
増え、はじめての育児を母一人で抱え込むような
日々を、母達のお互いの程よいサポートで過ごせた。

ママ友とは、普通の友達関係ともまた違う。
はじめてだらけの、育児を乗り切れたのは、
このありがたい環境だったから…。

ありがとう。
この時間を、一緒に過ごしてくれて。。。






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?