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①『ごまどうふ屋になるまで』

 2015年、当時22歳で
「ごまどうふ屋」になりました。
そこに至った経緯を備忘録として綴ります。
 これから継ぐひと、もう継いだひと、継ぐことに迷ったり悩んだり、「継ぐ」ことに関わる
いろんなひとに読んでもらえたら幸いです。


じいちゃんばあちゃんの石本商店

 年に一度か二度、顔を見せてお小遣いを貰いに行くだけの場所。それがぼくにとっての、じいちゃんばあちゃん家でした。

 そんな、じいちゃんばあちゃんが営む店の名は『石本商店』。ごま豆腐の製造販売に加え、日用品・金物雑貨を扱う、小さなお店です。
 敷地内には作業小屋があり、家族はそれのことを工場(コウバ)と呼びます。工場から出てくるじいちゃんは、いつも胡麻の良い香りがしました。

 工場では、じいちゃんが忙しくごま豆腐を作り、お店では、ばあちゃんがお得意さんと楽しげに会話をしている、それが『石本商店』であり、40年変わらない歴史がそこにはありました。
 そんなじいちゃんの作るごま豆腐は、僕の小さい頃からのおやつで、独特の食感、ごまの優しい香り、ほどよく甘いその味は、今もなお守り続けられています。


社長ってなんだかカッコいい

 別になにをやりたいわけでもない高校時代、家からも近く、自分の学力で行ける商業高校へと進みます。
 卒業後の進路など、何も考えていませんでした。就職してもいいし、適当な大学へ行ってもいい。幸い推薦で入れる大学があり進学。上京。

 いわゆるキャンパスライフを送り、大学卒業後は適当に就職するものだと就職活動を。適当な就活をしながら流行りの自己分析というやつに挑めば、「人に使われるのはイヤだ」「自分で稼げるようになりたい」「社長ってなんだかカッコいい」と、びっくりするくらいにやりたいことも、やってきた実績も、将来の夢もない。
 そんなつまらない人間でした。


「継ぎなよ。」

 適当な就活を終え、単位も取り終わり、卒業旅行に卒業式を終え、いざ就職する直前の春休み。実家新潟へ帰省し、じいちゃんばあちゃんのいる石本商店へ。
 ぼくはこれから社会に出るわけで、じいちゃんの仕事も見てみたい。父ちゃんは公務員だけどじいちゃんは自営業で、どんな働き方をしているのか聞いてみたい。

 これまで、じいちゃんの働く工場(コウバ)に入ったことは一度もありませんでした。
 初めて入る工場は、昭和にタイムスリップしたかのよう。そこで働くじいちゃんの背中を見て、モノ作りへの想いを聞きました。正直そのとき何を聞いたのか、詳細に覚えてないけれど、ただひとつ「格好良い」ということだけは心に刻まれました。
 「どこよりも美味しい」と、自信満々に言える自分にしか作れないモノがある、こんな格好良いことはありません。
 そしてなにより、かれこれ40年以上愛されていることもまた格好良い。

 そして東京へ戻り、当時のバイト先に、じいちゃんのごま豆腐をお土産として持っていきました。
 それを口にしたパートさんや同期は「美味しい!」「こんな食感初めて!」「甘くてスイーツみたい!」と、想像以上に喜んでくれました。
 「ごま豆腐で喜ばれるのヤバイ」というのが正直な感想で、自分が作ったものでもないのに嬉しく恥ずかしくて、なんだか誇らしい。そんな複雑な気持ちでした。

 「継ぎなよ。」
 バイト先オーナーの、何気ないひと言。
 そうか、継がなきゃいつかは失くなるんだ。ごまどうふ屋になりたい、なんて思ったことはありません。でも、じいちゃんにしか作れない大好きな商品を守るために、いつかはその道へと進もう。そう思ったきっかけが、この何気ないひと言でした。


短すぎる新卒会社員時代

 始まった新生活。
 慣れないスーツを着て革靴を履き、向かうは表参道。社宅のあった綾瀬駅から片道40分ほど電車に揺られます。
 いわゆる通勤ラッシュという苦行に耐え、ようやく辿り着く会社へは誰よりも早く出勤していました。それから帰るのは終電近く。ヘトヘトになり、吉野家で牛丼並盛とお新香セットを食べて帰る。そんな毎日の繰り返しでした。

 そんな僕の心の中にあるのは「ごま豆腐」。
 
 東京中の百貨店を巡り、デパ地下を練り歩き、目につく全てのごま豆腐を食べました。休日のほとんどをそんなことに費やしていたと思います。
 「あ、じいちゃんのごま豆腐ってめちゃくちゃ美味いんだ」って、知ってしまいました。

 どんな有名店のごま豆腐を食べてもシックリこない。じいちゃんのごま豆腐が中途半端なものなら"継ぐ"という選択肢も消えていたかもしれない。けれど、やっぱりじいちゃんのごま豆腐が、どう考えても1番美味しかったんです。

 新卒2ヶ月目、突然「継がなきゃ。」って、いてもたっても居られなくなりました。
 どうやらじいちゃんは、今ある材料を使い切ったら辞めるらしい、と。
 世の中で1番美味しいごま豆腐を作れる、たった1人の職人が、誰にもその技術を受け継がなければ、失くなってしまう。そして、ちょっと時間が経てば、何事もなかったかのように忘れられていく。そんな寂しいことはありません。たぶん、いま継げるのは僕だけです。
 
 結局、東京サラリーマン生活も、ごま豆腐のことばかり考えていたし、満員電車辛いし。なんとなく過ごすそんな生活よりも、自ら進む意思ある地方ライフに挑戦したくなりました。
 思い立ったら吉日。すぐさま上司に「来月やめます」と伝え、僕の新卒会社員時代は3ヶ月と、幻のものとなりました。


継ぐ

 継いでから知ったんですが、どうやら全く商売になっていないようでした。
 週に2回ほど、常連さんのためだけに少しだけ作る。昔から値段を変えず、ほとんど原価で販売し、材料費だけ稼ぐ。じいちゃんは辞める気まんまん、誰にも引き継ぐ気などなかったようです。

 そんな状況はさておき、まずは作れるようにならなければ話にならない。作れるようになること、商売として成り立たせること、知ってもらうこと、そして売り続けること。
 『石本商店』のこれからは課題ばかりで、世界一美味しいのに、誰も知らないごま豆腐をこれからどう売るか、毎日毎日悩み続けました。

 「せっかく東京の大学をでて東京で就職したんだからそっちで頑張れ」と。やんわり反対するじいちゃんの気持ちを押し切り、継いでしまったからには頑張るしかない。しかし、社会人経験ほぼゼロ。何かを作ったこともなければ、何かを売ったことない。本当にゼロからのスタート、どう頑張ればいいんだ…。


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 ここまでが、ぼくの「ごまどうふ屋になるまで」の経緯です。そして次の記事では「ごまどうふ屋になってからのあれこれ」を書いてみようと思います。

ここまで読んでくださり、
心から感謝しています。
石本商店 大島史也

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いつもありがとうございます!! 宇宙一のごまどうふ屋になります!!