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インド滞在記③「セルフィーしよう!」って声かけてきた女の子の「夢」はなんだったんだろう?

ラッシー屋の「黒い女性」と「カラフルな女の子」

ガンジス川のある町・ヴァラナシ。旅の4日目は、日本人の女性ガイドさんといっしょに街をブラブラした。インドの人口の8割を占めるヒンドゥー教の聖地であるヴァラナシだけど、同じ街には、イスラム教(インドの人口の1割強)が多く暮らすエリアもある。そんなイスラムストリートにあるラッシー屋さんで一休みした。店内には、50代ぐらいの恰幅のいいおじさんと、10代の男の子がおしゃべりをしながら、通りを眺めていた。

行き交ういろんな人生を見てきたおっちゃんの背中。少年は何を話してるんだろう。

ちょっぴり閑散気味のところで、ショッピングバックを持った、目元だけが見えていて黒づくめの衣装(ニカブ)に身を包んだイスラム女性4人と、その誰かの娘ちゃんらしきカラフルな服をきた女の子がお店に入ってきた。「この女の子もやがてニカブ着るのかなー」「このおじさんはそんな成長の様子を見ていくんだろうな、そのときうれしいのかな?さみしいのかな?」とか思いながら、おいしいラッシーを飲んだ。

このとき、私はニカブを着た女性にちょっぴり面を食らったんだと思う。私は、これまでイスラム圏の国を訪れたことがなかった。いくら宗教的なしきたりや文化がそうで昔からその生活スタイルで生きてる方々とはいえ、なんだか女性は生きにくそうかもなーと思ってしまったのだ。

インドの女性ってどんな状況なのか気になって、日本人のガイドさんに聞いてみた。

「このラッシー屋は、買い物帰りの女性がたまにいるんだけど…女性って、チャイ屋さんにあんまりいないのよ。私はヒンドゥー教のお姑さんがいるんだけど、私ひとりでチャイ屋に行ってたら、いろいろ言われるのよ笑 まぁ私は行ってるけどね~」

え…!?あんなにおいしいチャイをインド人女性はあまり飲めないと!?日本にあったら確実に毎日通いたい(というか、もうはやくそのまま進出してきてほしい)激うまチャイなのに…確かに、朝5時の沐浴前に行ったチャイ屋さんも、8時に行ったチャイ屋さん2軒目も男性ばかりだった気がする。働いている人も、お客さんも男性が9割以上だった。

使い捨ての陶器のコップに入ってて、とにかくおいしい!毎日通いたい!

女の子たちにとっての幸せとは?

ガイドさんによると、インドの宗教文化的に女性が日常的にも家を出ることは、伝統的にあんまり是とされていないことがあるそうな。インドに来てみて、すごく宗教を大事にしているんだなって感じるし、その宗教に付随する男女観も多分現在も大切にされているんだろうなとも思う。
現代では、世代間での意見の相違もあったりするものの、若い世代を中心に伝統的な男女観ではない価値観が広がり、女性の社会進出が進んできているらしい。これだけ聞くと、「女性の社会進出が是正されていて、よかったね、ちゃんちゃん」みたいな話で終わる。

ガイドさんは、こんな話も教えてくれた。
「いい学歴とか、いい就職先っていうのは、いい相手を見つける手段化している人もたくさんいるよ。自分自身の自己実現のために働くのではなくてね。むしろ、女性が働かないといけない状況なんて、『かわいそう』っていうイメージが本人にも、社会的にもあるかなー」
この考え方は、なかなかにカルチャーショックだった。「女性自身が、自立した生活を送りたい」と思っていない事態もあり得るのかの…と。
日本で、「将来の夢はお嫁さん💓」とか言うと、今や白い目で見られるし、それを言えるのは、一周回ってかなりのステータス層なんだけど、インドでは「お嫁さん」が憧れなんだなと。

ここで、大学3年生のときに、出稼ぎ国家・フィリピンを訪れたときのことを思い出した。国際協力に興味がある私は、「教育の機会を!」「男女平等!」「貧困解決!」とかを当時唱えて、それが彼らの「幸せ」につながると信じていた。フィリピンの藁でできたお家でホームステイして、それはちょっとちがうなと思った。

約10年前にホームステイさせてもらったファミリー!

経済的に決して裕福では全くないけど、故郷で家族や友達といっしょに暮らす。全く「かわいそう」ではないし、外からやってきた私たちが勝手に「幸せ」を押しつけていた。
「教育」「エンパメント」とかなんのためか。是とされているものは、必ずしも是ではない。フラッとやってきた人間がなにかを言うのはお門違いなんだと。

インド滞在中、いっしょに写真を撮ろうとインド人が言ってくれることが何度もあった。特に、ちょっぴりシャイめな女の子がちょっと遠巻きにチラッとみて、少しずつ近づいてきて、写真撮ってくれない?と言ってくれる(数少ない日本人に写真撮ろうっていうぐらいだから、シャイとはほど遠く、きっと現地では強々なんだろうな笑)とてもかわいらしい子たちだった。

彼女らは、一体将来なにになりたいのか。
身分制度や、経済的な理由で望むものになれないのかもしれないし、その選択肢も自由でないかもしれない。彼女たちはなにを思っていたんだろうか?

インドの社会や状況も、私がとやかく言えるものはなにもない。でも、せめて、女性が自由に後ろ指さされずに美味しいチャイを飲める社会になったらいいなと思う。


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