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79年目の原爆の日

 今日は、広島に原爆が投下されてから79年の日です。
 79年前、広島の地に投下されたたった一発の爆弾によって、広島の町は焦土と化し、きのこ雲の下で多くの人々が生きようともがきました。
 今年は、そんな広島に投下された原爆を目撃した国民学校の教師の話を小説として書こうと思ったのですが、遅筆ゆえに間に合わず、というか、ここから先もしばらく執筆が続きますので、来年の公開とさせていただくことにいたしました。
下記の文は、今日時点で完成している文章でございます。
少しでも、79年前の広島を感じ取っていただければ幸いです。
そして、79年前のあの日に思いをはせ、戦争というものは何か、ということについて考えていただければと思います。

 あのころ、国民学校の国語教師だった私は、寝汗の気持ち悪い感覚を拭いきることができないまま国民服に袖を通し、いよいよ靴を履くところだった。
 いつも通り革の靴に足を入れ、緩めていた紐を引っ張って締め上げる。そうしたら、あとは結ぶだけ。
 そうやって、何も変わらぬ日常が今日も始まると思っていた。
 しかし、私がいよいよ紐を結び始めた時、玄関のすりガラスが光った。すなわち、外から強烈な光が差し込んできたのだ。何事かと思い、すぐに顔を上げたものの、光は同じ頃に収束したらしく、目の前にはいつも通りの明るさを取り戻した玄関があるばかり。
 不気味に思った私は、結びきっていない紐をそのままに、玄関の戸を開けて外に出ようと立ち上がろうとする。そうして足に力を込めた時、とてつもない地鳴りと揺れが襲いかかってきた。
 それによって、玄関の戸が、ガタガタと音を立てながら揺れる。私は立つことを諦め、その場にうずくまるようにして頭を守った。あわや外れるのではないかと感じさせるほどに揺れ続け、いよいよ十秒が経っただろう。ようやく地鳴りと揺れがおさまったところで、私は立ち上がる。戸に向かって二歩歩いたが、平衡感覚に異常がないあたり、家屋が傾いたりしているわけではなさそうだ。
 しかし、先程の閃光と地鳴り。そして揺れへの恐怖が消えた訳ではない。これらを引き起こしたのがなんなのかという恐怖感が、さっきまで驚きを抱えていたはずの心に忍び寄ってきた。
 そんな中、家の奥からどたばたと足音が近づいてきている。ほどなくして、居間で洗濯物を畳んでいた妻のたえが玄関にやってきた。
「何があったの?」
 明らかに怯え切っていて、目はまんまるだ。
 私はたえを安心させるために彼女を抱き寄せながらも、すりガラスの戸の方に目を向けた。なんだか外が暗くなってきている気がして、より一層、私たちの恐怖は搔き立てられる。それにつれてだんだんと思考がまとまらなくなってきた。
 これは空襲なのか、だとしたらなぜ警報が鳴らなかったのか。町はどうなったのか。学校はどうなったのか。これから先はどうすればいいのか。そのどれもに答えが出せず、もどかしい。だんだんといら立ちが募ってきたころだった。
 すりガラスの戸が開いて、誰かが入ってくる。
「伊賀さん!大変じゃけ!町が燃えとる!」
 私は、その誰かが誰なのかということよりも、その人の向こう、言うとおりに燃えている町が気になった。
 確かに、町が燃えている。千田のほうも、その先も、どこもかしこも燃えていた。
 あちらこちらから、真っ赤な炎がごうごうと立ち上り、それらが黒い煙を生み出している。
「そこじゃみえんじゃろう。こっちへ来んさい。」
 目の前の誰か、正確に言えば、隣の家のおじいさんに手招きをされた私は、たえを抱いたまま、靴を履くことも忘れて戸をくぐった。
 戸の向こう、外へと出ると、燃え盛る炎の上に大きな雲が見えた。が、それは、空襲にしては大きすぎた。まずもって、雲の形がおかしい。空高くに立ち上る雲は、まるでキノコのような形をしている。こんな形の雲、見たことがない。不思議でならない。
 ふと気になってたえのほうを見た。たえも、その雲を見て不思議そうな顔を浮かべている。
「ありゃあ町はひどいことになっとるやろうな。」
 おじいさんは、そう言って悲しそうな表情を浮かべていた。
 私は、国民学校の様子が気になって、町の方に向かうことにした。国民学校までは徒歩二十分。平坦な道が続くこの町での二十分というのは、苦痛でもなんでもない。しかしこの日は違った。何も突然坂道ができていたわけではない。それは、家から出て十分ほど歩いたところ、町のほうぼうで燃え盛る炎の背が高くなってきた頃だ。
 風に乗って、町の方から熱気と異臭が漂ってきたのだ。それは、町の中心に近づけば近づくほど酷くなってくる。そして、いよいよ橋を渡ろうというところで、私の胃は限界を迎えた。地べたに手をついた私は、降ってくるすすが積もり始めた地面を見つめる。嘔吐前の不快感というのは、いくつになっても慣れるものでは無い。そういうわけで私は、少し黒ずんだ地面に朝食を吐き出した。
 胃は空っぽになったのだろうが、それでもまだ吐き気は収まらない。続いて上ってきた酸っぱい胃液に咳き込みながらも、私は立ち上がり、ふと橋の上を眺めた。
 欄干に引っかかている女性が見えた。
 まるで川を覗き込んでいるかのようにも見えるが、下半身の衣服は焼け焦げていて、真っ赤なやけどに覆われた地肌があらわになっている。ハエがたかっているあたり、もうとっくに死んでしまっているのだろう。その足元、うつぶせに倒れている子供がいた。ふと、もしかしたら生きているかもしれないと思い立ち、瓦礫に足をすくわれながら十メートルほど進んで、彼に手を伸ばせる距離まで近づく。そうして、小さな子供を目の前にした私は、彼の脇を抱えようと、国民服の肩口にある縫い目に手をかける。予想通りその体は軽く、ふわりと持ち上がった。しかし、その軽さに似合わず、頭部はそれなりの重みをもっているらしい。伸びきった腕と同様に、だらりと垂れ下がっている。つまるところ、もう生きてなどいない。わたしは、その小さな死体を静かに横たわらせ、あたりを見渡した。あちらこちらであがる炎、いたるところで死んでいる人。何とか生き永らえようと這って進む人。煙雲で薄暗くなった地上は、いつから地獄になってしまったのだろうか。どうもこの景色は、凄惨だとか、残酷だとか、そういう類の言葉を使っても表現することが難しそうだ。


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