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もう夢なんかみなくていいよって、誰かに言ってほしい

「夢」は、真っ暗な道にたつ街灯のようだと思う。

まるでそこに向かうことが、ただひとつの「希望」であるかのように思える。

夢を見ているようで、見せられているだけのような、そんな気分だ。

わたしにもいろんな夢があった。

ケーキ屋さん、マンガ家、デザイナー・・。

「わたし」だけじゃ心許なくて、「わたし」を強くする肩書がほしかった。とにかく「何者か」になりたかったのだ。

そのためにがむしゃらに夢をおいかけては、自分よりすごい人を見つけて「この夢をつかむのは自分じゃないんだ」と諦める。そのたびに「もう夢なんかみない」と思うのに、気づいたらまた夢にすがっている自分がいる。

「夢」は「希望」だったはずなのに、性懲りもなくそれにすがる自分にうっすらと絶望さえしている。

そしてそのたびに思うのだ。

「なんでこんなに夢ばかりみるのだろう?」。

自分を信じるため?人に尊敬されるため?

たぶん答えは見つからないことも、なんとなく分かっている。

でも考えずにはいられないのだ。

夢をもつことは素晴らしい?

思いかえせば、小学校の教室には筆で書かれた「夢」の文字がたくさん飾られていた。

力づよい夢や、ちいさく控えめな夢。

それぞれの「夢」が誇らしげに飾られていた。

卒業文集にも「夢」を書いた。

「どんなことでもいいから、あなたの夢を教えてね」と笑う先生に、無邪気に答えるあの頃のわたしを、わたしは守ってやりたいと思ってしまう。

「夢をもつことは素晴らしい」という、この世界から。

SNSやYoutube、そこかしこに夢は溢れている。キラキラ光って、「夢は素晴らしいよ」ってわたしたちを誘っている。

たしかにみんな、楽しそうでうらやましい。

でも、じゃあ、夢をもつのがこわい人はいったいどうしたらいいんだろう?

なんでもいいから夢をもてばいいのだろうか?

まるで名刺交換みたいに「夢」を交換しあうこの世界で、「とりあえずの夢」を用意すればいいのだろうか?

夢の素晴らしさが語られるこの世界で、夢をつかむ勇気もなければ、手放す勇気もない人はいったいどこにいればいいんだろう?

「夢なんかなくても生きていける」と顔では笑っていても、ほんとうは真っ暗闇に一人で立っているような気分なのだ。

そんなわたしに世界は容赦なく次の「夢」をみせてくる。

「ほら、これが希望だよ」って。

きっとわたしはまた、その「夢」にすがってしまうのだろう。



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