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平和とか戦争とか

最近物騒なニュースをよく聞く。
ロシアが、ウクライナが、戦争が。我が家はあまりテレビを見ないし、新聞だって取っていないので世間を騒がすニュースを知るのはだいたいLINEニュース経由。そんなLINEニュースに載るのはだいたい芸能人のコロナ感染やら結婚といったお知らせだったので、いつも「ふーん」ぐらいで流していた。

しかし、最近あまりにも上述した両国の名前をよく見るので、Google先生で検索してみた。

「▷ウクライナ どうなっている」

今更感が否めないが、このようなバカ丸出しの流れでわたしはウクライナ情勢の記事をいくつか読んで概要を知った。その内容をここでつらつらと書くほどの知識量は得ていないし、見当違いなことを書く可能性もあるので、わたしはわたしの経験を書こうと思う。

大学時代、夏休みに短期で通ったバルセロナの語学学校にウクライナ人の男の子がいた。彼はわたしと同じで、中の上ぐらいのレベルのクラスだった。年齢は確かわたしより若かったと思う(当時わたしは21歳だったので彼は19歳ぐらい)

当時のわたしはスペイン語専攻だったにも関わらず、スピーキング(会話)が全くだめで、ライティング(筆記)で行われたクラス分けテストによって、運悪く中の上という微妙に厳しい場に紛れ込んでしまっていた。よく英語においても、日本人はライティングはできてもスピーキングができないと言われる。これは文法を重視した教育を行なっているからだとか諸説あるが、スペイン語においても同じことは言えるのではないか。

とにかく喋ろうと思っても言葉が出てこない。頭の中で日本語からスペイン語の変換を行なっている最中に緊張と焦りでフリーズしてしまう。そんな調子だったので、先生に当てられたときの相槌も「Uh, huh…(うん....)」のワンパターンであった。

そんな中、スペイン語を我がものとして先生と軽やかに会話を繰り広げていたのがそのウクライナ人の男の子だった。今となっては彼がなぜウクライナからスペインに来ていたのかも忘れたのだが、とにかく自分より若いのに語学が達者なその青年はひたすら眩しかった。と、同時に同じクラスで学ぶことは脅威でもあった。

ある日、いつものように先生がみんなの意見を聞く場面があった。中国人の青年、ウクライナ人の青年、ウズベキスタン人の女性と来てわたしに質問が回ったとき、ウクライナの彼は言った。

「彼女に聞いてもだめだよ。Uh, huh(うーん)しか言えないんだから」

恥ずかしくて、情けなくて、曖昧に笑った。
クラスの他の生徒も先生も笑っていた。
劣等感と自己嫌悪で消えてしまいそうだった。

そこから、帰って猛勉強した。
授業の予習と復習を欠かさず行い、休みの日も積極的に外へ出歩き街の人と会話を試みた。マクドナルドでスペイン語で注文して英語で返されても凹まずにスペイン語で御礼を言った。

正直、彼のその時の発言はショックだったし、心はポッキリ折れた。でも怒りはなかった。だって、事実だから。勉強をしに来ている語学学校で何も話さずに相槌だけ打つ変なアジア人。ウクライナの青年にとって、わたしはたぶんそんな感じに映っていたのだと思う。

べつに大して仲良くなれた訳でもないし、彼はわたしより先に学校を卒業してウクライナへ帰ったので最後の日に一緒に写真を撮ったきり。ただ、彼の強烈な叱咤でわたしはやる気になったし、そうならざるを得なかった。

必死で学んだスペイン語はもうほとんど話せないし、あれから10年近い年月が経ったけれど、社会人になってもあの時ほどの恥ずかしさを覚えることはあまりない。もしかすると無意識的にそうなる前に対処できているのかもしれない。だといいんだけど。

なので、わたしがウクライナと聞いて思い出すのはあの痛い過去の思い出と悪戯っぽい顔で笑う若く優秀な青年なのだ。

ロシアにも友人がいる。
日本語が堪能で困ったように優しく笑う女の子。いつか通訳のお仕事がしたいと言っていた。今年こそ日本で会えると思っていた。

どうか、誤らないでほしい。
選択をするのも決定を下すのもトップに立つ人間たちだけれども、犠牲になるのはいつもその下で支える国民なのだ。

わたしはただ、わたしの知っている彼らの記憶の中の笑顔が続いてほしい。


■写真

左端がわたし、真ん中はスペイン人の先生、右端は陽気なウクライナ人の青年

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